34-19816
通販レコード→ブルーリング盤

GB DGG 2530 879 ダニエル・バレンボイム ドビュッシー・聖セバスティアンの殉教、交響組曲「春」

商品番号 34-19816

《テンポの揺れは殆ど無く、凪の中で静かに時間が進み、色彩が移り変わっていく。 ― バレンボイムは演奏家である前に、独自の音楽観を持った音楽家であり、音楽以外の書物は思考を深めてくれると若い演奏家に言った言葉は、レコードを聞く私達にも投げかけられていることだと思う。》 バレンボイムがパリ管弦楽団の首席指揮者を務めた時期のドビュッシー・シリーズ最初の1枚です。「聖セバスティアンの殉教(じゅんきょう)」は長大な神秘劇のための音楽から弟子のアンドレ・カプレが編作した作品です。明快なドビュッシーの淡い色彩感でなく多彩な音色がきらめく生き生きとした演奏です。けっこう自由なアプローチも、感興重視のバレンボイムならでは。バレンボイムは演奏家である前に、独自の音楽観を持った音楽家であり、楽想そのものの流れを掴むことのできる稀有な才能の持ち主であろう。テンポの揺れは殆ど無く、凪の中で静かに時間が進み、色彩が移り変わっていく。全体的には厚めの暖かみのある音色で、煌めき度は高くなく沈んだ暖色系の色がしている。ホールに分厚く渦巻く演奏の熱気が余すところなく捉えられていたミュンシュのパリ管弦楽団から、主旋律を基調にした、解釈の斬新さと演奏の集中力という点では「内向的情熱」とでもいった熱気をただよわせて、フルトヴェングラーやクレンペラーが瞠目した早熟性が垣間見れます。7歳でピアニストとしてデビューしたバレンボイムの演奏を聴いた指揮者、マルケヴィッチは『ピアノの腕は素晴らしいが、弾き方は指揮者の素質を示している』と看破。52年、一家はイスラエルへ移住するが、その途上ザルツブルクに滞在しフルトヴェングラーから紹介状“バレンボイムの登場は事件だ”をもらう。エドウィン・フィッシャーのモーツァルト弾き振りに感銘し、オーケストラを掌握するため指揮を学ぶようアドヴァイスされた。ピアニスティックな表現も大切なことだとは思いますが、彼の凄さはその反対にある、音楽的普遍性を表現できることにあるのではないか。『近年の教育と作曲からはハーモニーの概念が欠落し、テンポについての誤解が蔓延している。スコア上のメトロノーム指示はアイディアであり演奏速度を命じるものではない。』と警鐘し、『スピノザ、アリストテレスなど、音楽以外の書物は思考を深めてくれる』と奨めている。バレンボイムの演奏の特色として顕著なのはテンポだ。アンダンテがアダージョに思えるほど引き伸ばされる。悪く言えば間延びしている。そのドイツ的重厚さが、単調で愚鈍な印象に映るのだ。その表面的でない血の気の多さ、緊迫感のようなものが伝わってくる背筋にぞっとくるような迫力があります。この時期のレコードで特に表出している、このロマンティックな演奏にこそバレンボイムを聴く面白さがあるのです。「トリスタンを振らせたらダニエルが一番だよ」とズービン・メータが賞賛しているが、東洋人である日本人もうねる色気を感じるはずだろう。だが、どうも日本人がクラシック音楽を聞く時にはドイツ的な演奏への純血主義的観念と偏見が邪魔をしているように思える。フランスの名指揮者、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)がその最晩年に持てるエネルギーの全てを注いだのが、パリ管弦楽団の創設と育成でした。1967年6月、フランス文化相アンドレ・マルローと文化省で音楽部門を担っていたマルセル・ランドスキのイニシアチブにより、139年の歴史を誇りながらも存亡の危機を迎えていた名門パリ音楽院管弦楽団の発展的解消が行われ、新たに国家の威信をかけて創設されたのがパリ管弦楽団で、その初代音楽監督に任命されたのがミュンシュでした。第2次世界大戦前にパリ音楽院管弦楽団の常任指揮者を務めていたミュンシュ以上にこの新たなオーケストラを率いるのにふさわしい指揮者はおらず、同年10月2日からの綿密なリハーサルを重ねてむかえた11月14日の第1回演奏会は、国内外に新しいフランスのオーケストラの誕生をアピールする大成功を収めたのでした。その1年後、1968年11月、パリ管弦楽団の北米ツアーに同行中にリッチモンドで心臓発作のため急逝するまで、ミュンシュは30回ほどの共演を重ねるとともに、EMIにLP4枚分の録音を残しました。このオーケストラは1967年の創設以来次々と音楽監督が代わりましたが、1975年にバレンボイムがその地位に就任してからは、得意のフランス音楽を中心に積極的な活動を展開するようになりました。
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