GB DECCA SXLG6594 ウラディーミル・アシュケナージ ゲオルグ・ショルティ シカゴ交響楽団 ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集

商品番号 34-20777

通販レコード→英ナローバンド ED4盤

万人のファースト・チョイス!美しいピアノと豪快なオーケストラの組み合わせが好評 ―  ピアノは流麗。オーケストラの方は各パートの冴えた音色や美技で魅せる。スタンダードなベートーヴェン演奏として、まず最初に聴いておきたい名盤として推薦できる全集。ウラディーミル・アシュケナージは圧倒的に広いレパートリーを持ち、英デッカ社の財力を背景に完結させた全集企画の数では古今東西のピアニストの中では群を抜いている。彼は大変な努力家で、1つ1つの作品に全精力を注いで、それらの作品からその魅力を最大限に引き出そうとする姿勢がデッカ経営陣の心を打ったと聞いています。アシュケナージはベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を3回録音していますが、ズービン・メータ指揮による2回目の録音は1980年代半ばにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で行いレコード・アカデミー大賞を受賞しました。そして3回目がクリーヴランド管弦楽団を自ら弾き振りして録音したことからも、全曲を通じて楽譜に非常に忠実であろうとすることに感心する。それぞれ違いがあって面白いが、ベートーヴェンの作品自体を敬っている点は変わらない。小柄な彼の身体からは想像もできないほどの強靭なタッチによる美しい音色と切れ味の鋭いテクニックでベートーヴェンの傑作を雄弁な語り口で弾いています。このベートーヴェンの全集も、実に細部まで美しく彫琢された、現代的な頗る明快な演奏です。また、オーケストラが凄まじい音を出しておりピアノが押され気味にも感じられる威勢の良さ。ヘルベルト・フォン・カラヤンとアレクシス・ワイセンベルクの全集でもそうだが、カリスマタイプの巨匠指揮者はソリストに対して優しくない。アシュケナージとショルティの初共演となった本全集は、その、いかにも伴奏ですよという風に流す演奏が多い中、こう気合いが入った伴奏はかえってありがたい。音をまとめるのが難しいとされるキングスウェイ・ホールでのロンドン交響楽団で腕を磨き、美しい響きのゾフィエンザールでのウィーン・フィルで理想の響きを得て、機動力ではティラノザウルス・レックス級のシカゴ交響楽団を手に入れた。主語にはショルティでも、デッカ技術陣でも良い。そう、本盤の素晴らしさは、アナログ絶頂期に当時円熟期にあった伝説の名エンジニア、ケネス・ウィルキンソンがシカゴの、メディナ・テンプルより音響に優れたクラナートセンターで収録したこと、絶頂期のサー・ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団を伴奏に、溌剌としたアシュケナージによる演奏により、実に美しいピアノといい意味で豪快なオーケストラの組み合わせが好演。ピアノだけに耳を澄ますと、優等生的な気取りが感じられなくもないが、対照的なアプローチで鳴らされるオーケストラの力によって中和されている。ベートーヴェンのピアノ音楽には、柔和さや神秘的な雰囲気が神髄でもあろうが、現代的だ。そうしたところが支持されたのか、このショルティとシカゴ響との1972年の第1回目のピアノ協奏曲全集は、アメリカのグラミー賞を受賞している力強く、雄大なベートーヴェンです。
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ショパン国際ピアノコンクールで2位となり、エリーザベト王妃国際コンクールで優勝したウラディーミル・アシュケナージは、EMIやメロディアからレコードも発売されるなど音楽院在学中から国際的な名声を確立します。1965年には来日も果たし、さらにデッカと専属契約を結んで着々とレコーディングを行うなど、活躍の場の国際化とともに政府の干渉や行動制限が増えたため、1974年にはソ連国籍を離脱してアイスランド国籍を取得しています。この時期のアシュケナージの勢いにはすごいものがありました。主にデッカレーベルに膨大な録音をしているアシュケナージは、モーツァルトのピアノ協奏曲全集、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、同ピアノ協奏曲全集はゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団と、ズービン・メータ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との2種、ショパンのピアノ曲全集、シューマンのピアノ曲全集、ラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチなどのほか、アンサンブル・ピアニストとしてもヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタ、ピアノ・トリオ、リートの伴奏などにも参加し、驚異的とも言える非常に膨大なレパートリーを誇っている大ピアニストである。大作曲家のレアな楽曲はもちろんのこと、マイナーな作曲家の楽曲も数多くレコーディングしており、そうした音楽的な好奇心に加え、世界中のオーケストラの指揮台に登って個々の音楽家と無理なくコラボレーションしていく姿勢には定評がある。そこにはソリストとして、様々な ― キリル・コンドラシン、ハンス・シュミット=イッセルシュテット、ユージン・オーマンディ、イシュトヴァン・ケルテス、ゲオルグ・ショルティ、ロリン・マゼール、アンドレ・プレヴィンといった名指揮者たちや有力オーケストラと共演してきたアシュケナージならではの観察眼やノウハウが活かされているに違いない。弾き振りも期待された、NHK交響楽団とは1975年に初共演。2004〜2007年には音楽監督を務め、現在では桂冠指揮者として定期的に共演を重ねている。
ウラディーミル・アシュケナージは持ち前の明るく口当たりの良いタッチで、良い意味で万人向きのピアノである。打鍵の粒が揃った演奏でメロディラインははっきり聴こえる。実に細部まで美しく彫琢された、現代的なすこぶる明快な演奏です。磨きぬかれた輝かしい音色、ニュアンスに富んだ表現力、優れた音楽性、筋のよい安定したテクニックと、あらゆる面において現代のピアニストの水準を上を行く演奏を聴かせています。木の香り漂う温かいベーゼンドルファーの重心の低い響きと、その自然なタッチのもとに歌うシューマンの世界は格別、他のピアニストではけっして得られない独特の世界。シューマン作品のロマンティックな持ち味が、アシュケナージの抒情に富む表現によって写し出されている様な演奏です。音楽の都ウィーンの気品あるピアノ。ベーゼンドルファーのインペリアルが使用されており、重厚な音色を堪能できます。ベーゼンドルファーのピアノはフランツ・リストの激しい演奏に耐え抜いたことで多くのピアニストや作曲家の支持を得、数々の歴史あるピアノブランドが衰退していく中、その人気を長らくスタインウェイと二分してきた。かつてベーゼンドルファーのピアノは1980年までショパン国際ピアノコンクールの公式ピアノの一つであった。ベーゼンドルファーのピアノを特に愛用したピアニストとしてはヴィルヘルム・バックハウスが有名。ジャズ界においては、オスカー・ピーターソンが「ベーゼン弾き」としてよく知られている。木の香り漂う温かい響きが特色のメーカー。オーストリア・ウィーンで製造。ロンドン、デッカレーベルはベーゼンドルファーと契約しているようで、ラドゥ・ルプー、ホルヘ・ボレット、アンドラーシュ・シフ、アリシア・デ・ラローチャ、パスカル・ロジェ、ジュリアス・カッチェンなどはシューベルトの『ピアノ・ソナタ全集』やハイドンの『ピアノ・ソナタ』などウィーン古典派の作品を中心にベーゼンドルファーを弾いている。一方、ルドルフ・ブッフビンダーやシュテファン・ヴラダー、ティル・フェルナーなどの新しい若い世代のウィーンのピアニストはスタインウェイを弾いていて、あえて伝統的なベーゼンドルファーの使用を避けているようだ。音色は至福の音色と呼ばれる。ピアノ全体を木箱として鳴らす設計で、ズーンと太く伸びやかに鳴り響く低音域が魅力。スタインウェイを金管楽器に例えるなら、こちらは木管楽器といった印象でしょうか。ナチュラルホルンが倍音を響かせて鳴り響くような音の豊かさ、魅力がある。弱点は大ホールで演奏する際のパワー不足。
圧倒的に広いレパートリーを持ち、細部まで丁寧に演奏していること、そしてその結果として演奏の水準にほとんどムラがないことは特筆すべきことです。素晴らしいテクニックの持ち主だが、それをひけらかすことなく難しい作品もいとも容易く弾きこなしてしまう。それがウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Davidovich Ashkenazy)だ。アシュケナージは大変な努力家で、1つ1つの作品に全精力を注いで、それらの作品からその魅力を最大限に引き出そうとする姿勢がデッカ経営陣の心を打ったようだ。DECCAレーベルの入れ込みようは並々ならず。英デッカ社の財力を背景に完結させた全集企画の数では古今東西のピアニストの中では群を抜いている。1937年7月6日にソ連のゴーリキーで生まれ、幼少からピアノに才能を発揮。ショパン国際ピアノコンクール、エリザベート王妃国際コンクール、そしてチャイコフスキー国際コンクールと、ピアノコンクールの3大難関コンクールで優勝、または上位入賞を果たした。1955年にショパン国際ピアノコンクールで2位となりますが、このときアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を降板する騒動を起こしたことは有名な話。ちなみに優勝したのは開催国ポーランドのアダム・ハラシェヴィチ。その後モスクワ音楽院に入学し、翌1956年、エリーザベト王妃国際コンクールで優勝、活躍の場を一気に世界に広げ、音楽院在学中から国際的な名声を確立し、EMIやメロディアからレコードも発売された。1960年にはモスクワ音楽院を卒業し、1962年にはチャイコフスキー国際コンクールに出場してイギリスのジョン・オグドンと優勝を分け合います。アシュケナージがデッカと専属契約を結んで初めて録音をおこなったのは、チャイコフスキー国際コンクール優勝の翌年、1963年のことでした。1963年にはソ連を出てロンドンへ移住、まず3月に録音したのは亡命作曲家ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番で、指揮はソ連からの亡命指揮者であるアナトール・フィストゥラーリが受け持ち、活動の場の国際化とともに政府の干渉や行動制限が増えたため、ほどなく亡命することとなるアシュケナージがソロを弾くという亡命尽くしの録音でした。翌月には同じくロンドン交響楽団とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音しています。ここでの指揮は当時破竹の勢いだったロシアの血をひく指揮者ロリン・マゼールが担当しています。この年の9月には、ツアーに来ていたキリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルという祖国のチームとの共演でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を録音しており、この年のうちにアシュケナージは3つのロシアの有名協奏曲をロシアつながりの指揮者との共演で録音したことになります。翌年からはソロの録音も本格化し、以後半世紀に渡って数多くの録音をデッカでおこなうこととなります。ピアノ音楽のほとんどすべてに及ぶほど、彼の録音したピアノ曲のレパートリーは幅広い。
着々とレコーディングをおこなう一方、世界各国でコンサートをおこない、1965年には初来日も果たすなど、この時期のウラディーミル・アシュケナージの勢いにはすごいものがありました。その後、1970年代に入るとピアニストとしての活動に並行して指揮活動も行うようになり、1974年にはソ連国籍を離脱してアイスランド国籍を取得してからは、オーケストラ・レコーディングにも着手するなど、その指揮活動は次第に本格的なものとなって行きます。クリーヴランド管弦楽団との鮮烈なリヒャルト・シュトラウスやプロコフィエフのシンデレラ、コンセルトヘボウ管弦楽団との美しいラフマニノフなど、アシュケナージの指揮の腕前がピアノのときと同じく見事なものであることを示す傑作が数多くリリースされた。もちろん彼の演奏するロシア音楽のすばらしさは特筆すべきものがある。
1972年5月シカゴ、クラナートセンターでのケネス・ウィルキンソンによる優秀録音、解説書付き。4枚組。
GB DEC SXLG6594 アシュケナージ&ショルティ ベートー…
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