34-14531
商品番号 34-14531

通販レコード→英ナローバンド ED4盤[オリジナル]
万人向きのピアノ ― ピアノ1台の協奏曲のみならず、2台、3台のための協奏曲も書いたモーツァルト。ウラディーミル・アシュケナージをはじめ、ダニエル・バレンボイムやフー・ツォンといった当時若手で活躍していたピアニストたちの共演による録音です。犬猿の仲と思われた二人が中国人をクッションに邂逅した珍しい一枚。アシュケナージが弾きぶりでモーツァルトのピアノ協奏曲全集をスタートするのは、1977年。それから1987年までアナログ・ステレオからデジタル録音の期間を跨ぐ気の長いものだった。それ以前は1966年5月のイシュトヴァン・ケルテスとの第8番、9番。1968年1月のハンス・シュミット=イッセルシュテットとの第20番、6番でしか無い。前年からバレンボイムと始めたイギリス室内管とのピアノ協奏曲演奏シリーズが成功をし始めて、3台ピアノのための第7番と、2台ピアノのための第10番に共演するピアニストとしてアシュケナージが相乗りした。この二人の協演はかねて注目されていたので、イギリス室内管弦楽団のマネージャーのウルスラ・ストレビ女史が企画しBBCがドキュメンタリー制作した。バレンボイムは、幼年から楽才を評価されて上り詰めた人であり、所謂、コンクール上がりのピアニストではない。アシュケナージも同様に年少より才能を示していたが、コンクールを目指して努力し、その勝利者であったと言えよう。二人はリハーサルのため本番の2日前に到着し、二人きりでリハーサルを開始していたが、火花が出るような真剣さが記録されている。アシュケナージは「この楽団は室内楽になれているから要所だけ指揮をすれば良い」と語っているが、コンサートマスターは「バレンボイムのような自ら演奏する指揮者とは相性が良い。」と信頼を語る。結果としては、清新で躍動感あるモーツァルトを描き出している。アシュケナージは持ち前の明るく口当たりの良いタッチで、流麗に、わかりやすく料理している。そして良い意味で万人向きのピアノである。実に細部まで美しく彫琢された、現代的なすこぶる明快な演奏です。磨きぬかれた輝かしい音色、ニュアンスに富んだ表現力、優れた音楽性、筋のよい安定したテクニックと、あらゆる面において現代のピアニストの水準を上を行く演奏を聴かせています。彼は大変な努力家で、1つ1つの作品に全精力を注いで、それらの作品からその魅力を最大限に引き出そうとする姿勢がデッカ経営陣の心を打ったようだ。DECCAレーベルの入れ込みようは並々ならず。英デッカ社の財力を背景に完結させた全集企画の数では古今東西のピアニストの中では群を抜いている。デッカの優秀録音に乗り素晴らしい仕上がりになっています。
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圧倒的に広いレパートリーを持ち、細部まで丁寧に演奏していること、そしてその結果として演奏の水準にほとんどムラがないことは特筆すべきことです。素晴らしいテクニックの持ち主だが、それをひけらかすことなく難しい作品もいとも容易く弾きこなしてしまう。それがウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Davidovich Ashkenazy)だ。1937年7月6日にソ連のゴーリキーで生まれ、幼少からピアノに才能を発揮。ショパン国際ピアノコンクール、エリザベート王妃国際コンクール、そしてチャイコフスキー国際コンクールと、ピアノコンクールの3大難関コンクールで優勝、または上位入賞を果たした。1955年にショパン国際ピアノコンクールで2位となりますが、このときアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を降板する騒動を起こしたことは有名な話。ちなみに優勝したのは開催国ポーランドのアダム・ハラシェヴィチ。その後モスクワ音楽院に入学し、翌1956年、エリーザベト王妃国際コンクールで優勝、活躍の場を一気に世界に広げ、音楽院在学中から国際的な名声を確立し、EMIやメロディアからレコードも発売された。1960年にはモスクワ音楽院を卒業し、1962年にはチャイコフスキー国際コンクールに出場してイギリスのジョン・オグドンと優勝を分け合います。アシュケナージがデッカと専属契約を結んで初めて録音をおこなったのは、チャイコフスキー国際コンクール優勝の翌年、1963年のことでした。1963年にはソ連を出てロンドンへ移住、まず3月に録音したのは亡命作曲家ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番で、指揮はソ連からの亡命指揮者であるアナトール・フィストゥラーリが受け持ち、活動の場の国際化とともに政府の干渉や行動制限が増えたため、ほどなく亡命することとなるアシュケナージがソロを弾くという亡命尽くしの録音でした。翌月には同じくロンドン交響楽団とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音しています。ここでの指揮は当時破竹の勢いだったロシアの血をひく指揮者ロリン・マゼールが担当しています。この年の9月には、ツアーに来ていたキリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルという祖国のチームとの共演でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を録音しており、この年のうちにアシュケナージは3つのロシアの有名協奏曲をロシアつながりの指揮者との共演で録音したことになります。翌年からはソロの録音も本格化し、以後半世紀に渡って数多くの録音をデッカでおこなうこととなります。ピアノ音楽のほとんどすべてに及ぶほど、彼の録音したピアノ曲のレパートリーは幅広い。
着々とレコーディングをおこなう一方、世界各国でコンサートをおこない、1965年には初来日も果たすなど、この時期のアシュケナージの勢いにはすごいものがありました。その後、1970年代に入るとピアニストとしての活動に並行して指揮活動も行うようになり、1974年にはソ連国籍を離脱してアイスランド国籍を取得してからは、オーケストラ・レコーディングにも着手するなど、その指揮活動は次第に本格的なものとなって行きます。クリーヴランド管弦楽団との鮮烈なリヒャルト・シュトラウスやプロコフィエフのシンデレラ、コンセルトヘボウ管弦楽団との美しいラフマニノフなど、アシュケナージの指揮の腕前がピアノのときと同じく見事なものであることを示す傑作が数多くリリースされた。もちろん彼の演奏するロシア音楽のすばらしさは特筆すべきものがある。
モーツァルト:2台のピアノのための協奏曲変ホ長調 K.365、3台のピアノのための協奏曲ヘ長調 K.242。1972年4月ロンドン、キングズウェイ・ホールでのステレオ・セッション録音。
GB DEC  SXL6716 アシュケナージ&バレンボイム モーツ…
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