34-6523

商品番号 34-6523

通販レコード→英ナローバンド ED4盤

内的な心に響く音楽を作り出したピアニスト ― 僕はシューベルトのソナタに耳を澄ませる。「どう、退屈な音楽だろう?」と彼は言う。「たしかに」と僕は正直に言う。「シューベルトは訓練によって理解できる音楽なんだ。僕だって最初に聴いたときは退屈だった。君の歳ならそれは当然のことだ。でも今にきっとわかるようになる。この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。そういうものなんだ。僕の人生には退屈する余裕はあっても、飽きているような余裕はない。たいていの人はそのふたつを区別することはできない。」 ― 村上春樹が「海辺のカフカ(新潮文庫) 」でシューベルトのピアノ音楽を題材に問いかけてくるのですが、それにしても、シューベルトのピアノ音楽、とりわけ後期のピアノ・ソナタほど不思議な音楽はありません。とりとめなく、全体の構成は甘くて、当人はいたって懸命なのですが、一般的な聴き手にとっては手持ち無沙汰きわまりない焦りすら覚えるのです。もしも、音楽を減点法で採点すれば至る所にマイナス点がついてトータルとしてみればあまり芳しくない結果になることは明らか作品です。ですから、この作品を「名曲」と言い切るには些か躊躇いが生じることは事実です。而して、持て余しそうな音楽をどう聴いていけばいいのか。どう演奏したって退屈なものにしかならない音楽を、退屈だと思って演奏し続けながら、それでもその中に燦めくように散りばめられたシューベルトその人のモノローグを過たずに掬い上げてこなければいけない。そう言う音楽を、最晩年に取り組むべき音楽として選んだのがクリフォード・カーゾンです。シューベルトのピアノ・ソナタの持つ「冗長さ」や「まとまりのなさ」や「はた迷惑さ」が、今の僕の心に馴染むからかもしれない。と村上は音楽エッセイ『意味がなければスイングはない (文春文庫) 』のなかでクリスプで正確なタッチ、わざとらしさのない簡潔なユーモア、長く着込んだ上等なツィートの上着のような心地よさ、柔軟な間合いの取り方、暖除楽章におけるいかにもたおやかな、優しい音楽の湛え方、どれを取っても一級品だ。と、カーゾンを称賛していて愛聴盤だという。カーゾンと言っても、今となっては知る人ぞ知るピアニストになってしまいました。ウィルヘルム・バックハウス、ウィルヘルム・ケンプ、ルドルフ・ゼルキン、アルトゥール・ルービンシュタイン、ウラディミール・ホロヴィッツらは今でもビッグネームですが、カーゾンの認知度は彼らと比べるとかなり落ちてしまいます。しかし、それは、カーゾンが彼らと比べると一段も二段も格が落ちると言うことを意味していません。これは後半の話の中心テーマですが、この認知度の低さは、ひとえにカーゾンの「録音嫌い」に起因しています。そのうえ、カーゾンは最晩年になると本当にレパートリーが狭くなっていったピアニストです。その関心は、まず第1にモーツァルト、そしてベートーヴェンとシューベルトだけに専念したかのように見えます。その徹底ぶりは見事なものですが、作品の隅々までを知り尽くし心で最高の理想を追い求めるアーティストのみが実現できる、内的な心に響く音楽を作り出すことに姿勢を見せます。不世出のピアニストのカーゾンが、十八番とするシューベルトの「楽興の時」、そして高潔タッチと精神力が漲る、ベートーヴェンの「エロイカ」変奏曲。数あるこの曲の録音の中でも、常に「最高峰」とされる永遠の名演が、この録音です。
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玄人好みのするイギリス人ピアニストのクリフォード・カーゾンが残した数少ない録音は、どれも彼の真摯なピアニズムを味わえる逸品揃いですが、この《「エロイカ」の主題による15の変奏曲とフーガ》は協奏曲やソナタの録音の影に隠れがちなだけに、一層声を張り上げて素晴らしさを訴えたい超一級の芸術品です。ベートーヴェンのソロ・ピアノのための変奏曲の中でも、最晩年の「ディアベリ変奏曲」と並んでよく知られている《エロイカ変奏曲》は1802年に作曲された。この作品で変奏の対象となっている主題を、ベートーヴェンは生涯で4つの作品に使用している。最初はオーケストラのための「コントルダンス」舞曲、2度目はバレエ音楽「プロメテウスの創造物」の終曲、3度目がこのピアノのための変奏曲で、最後に転用されたのが交響曲第3番「英雄(エロイカ)」の終楽章だった。この「英雄交響曲」があまりにも有名であるために、以前に作曲されたこの変奏曲も《エロイカ変奏曲》の通称で呼ばれるという逆転現象が起こったのである。通常の変奏曲形式は冒頭に「主題提示」が行われるが、この《エロイカ変奏曲》では「導入部」として、 本来の主題の低音部のみをテーマとした変奏が行われ、劇中劇のような効果を上げている。この低音主題に乗って現れる本来の主題は、のびやかで屈託のない旋律を持ったもので、それが1声部ずつ増えていく形で3つの変奏が行われる。自己の芸術に対して厳しかったカーゾンは、ここで冒頭和音の一撃からしてひれ伏したくなる鉄壁のニュアンスで、鋲を打ち、テーマが2声から4声へと細やかに発展していく様を克明に描く。第1変奏では16分音符、 第2変奏では更に細かい3連符の分散和音が鍵盤上を駆けめぐる。ベートーヴェンらしいリズムの遊びが楽しい第3変奏の音の跳躍の生命力。その語り口の気品と意味深さ、内声の緊密な絡みとリズムのセンス、風格美は例えようもありません。左手が主導権を握る第4変奏の強弱対比の俊敏さには、表面的な技巧の臭いなど皆無。簡潔で対位法的な第5変奏を経て、第6変奏では和声だけがハ短調に転調、嵐のような激しい表現が聴かれる。第7変奏はシンコペーションのユーモラスな2声のカノン。重低音の連打が十分な威容を備えながら、典雅に轟かせるなどという技も、そうそう耳にすることができません。第8変奏では「ワルトシュタイン・ソナタ」のフィナーレに先駆けて長いペダルの使用が指示されている。第9変奏では左手の1指に変ロ音を保続させながら、両手のリズムを食い違わせていく。その保続の変ロ音が第10変奏ではさまざまな音域に配置され、後半では半音高い変ハ音がユニゾンで響き渡る。オペラ・ブッファの一幕を思わせる愉快な第11変奏、両手の分散和音が対話する第12変奏、激しいアクセントと高音の装飾音が瑞々しく跳躍を繰り広げる第13変奏は、まさにリズムの本質と言わずにいられません。第14変奏は一転して沈痛な変ホ短調に転調。第15変奏ではテンポが大幅に引き延ばされる静謐で深淵な世界に、後期のベートーヴェンを予感させる天才的な発想力を思い知らされ、ハ短調の移行部を挟んで、冒頭の低音主題に基づく3声のフーガが壮大に展開されていく。厳格なフォルムの中で熱い精神が無限に広がる終曲は、主題の縮小形や反行形を自在に用いながら、属音の保続を経てクライマックスが築かれると、感動も極限に達する。コーダでは主題の再現と更なる変奏が行われ、長い道のりの終着点を示して、この無類の構築性を備えた傑作は幕を下ろす。この曲とカーゾンの演奏の魅力にとりつかれたら、他の演奏のことなど考えられなくなってしまうでしょう。また録音も、カーゾンの録音の中でも最高位に位置するものです。
クリフォード・カーゾンは弾力的なリズム感と固い構成感で全体を見失わせない実に上手い設計で聴かせてくれるイギリス人ピアニストです。アルトゥール・シュナーベルのもとで研鑽を積み、1939年のアメリカ・デビューで大成功を収めて以来、欧米での評価が格段に上がり、生涯、神のごとく尊敬を集めました。人柄のためか、色んな指揮者と共演しているが、たとえばジョージ・セルが1953年にニューヨーク・フィルハーモニックと演奏したブラームスのピアノ協奏曲第2番など、中堅ごろの力強いカーゾンの思わぬピアノタッチが聴けたり。彼が晩年に録音したラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団とのモーツァルト・ピアノ協奏曲の数々は、実にそれらの点が最高に発揮されたもので、隠れた名演奏である。派手さは決してないが、着実な活動を幅広く続け、寡黙だが、その音楽は本質を突き、しっとりと聴かせる。カーゾンは録音嫌いだったとはいえ、ディスコグラフィーを眺めると随分とレコード発売している。カーゾンは英デッカの専属演奏家だったが、もしも、カーゾンがデッカの名プロデューサーであったジョン・カルショーと友人でなければ、そして、カルショーが録音スタジオに強引にカーゾンを誘ったことに足る。カーゾンのピアニズムは、絶妙なタッチから紡ぎ出される音色の美しさでした。カルショーは、その美しいピアノの音色を録音ですくい取ることは、「空を飛ぶ小鳥を素手で捕まえようとするようなものだ」と語っていました。そのピアニズムを録音で再現することに、やりがいがあっただろう。さらに、カルショーはカーゾンのことを「大惨事を鞄に入れて持ち歩いているようなピアニスト」だともぼやいています。どれだけのレコーディング・スケジュールを建てていたのか、展望をどこまでかなえられたのか。カーゾンはどこか浮世離れしたようなノーブルなジェントルマンであり、同時に「持っている」人でもあったようです。無事に録音が終わった後にプレイバックしようとした担当が間違って、録音ボタンを押したまま状態で録音テープを回してしまい全てを消去する事態を招いたり。リストのソロ・ソナタのセッション、彼が密やかに、最高の美しさでピアニシモで演奏していると突然ホールの照明が落下してきた。会場のゾフィエンザールには、デッカのスタッフによって照明が追加されていたが、ヴェルディのオペラ「オテロ」でも、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」でも、ブルックナーの大交響曲のクライマックスでも、ヴェルディのレクイエムの怒りの日だろうと、オーケストラがどんなに大音響で鳴り響こうと、その照明はびくともしなかった。しかし、カーゾンがピアニッシモのパッセージを弾いていると、突如として全てのランプが大轟音とともに落下してきたのだった。こんなことは、仕組んでもやれることではないだろう。カーゾンが乗った客車だけが鉄道会社のミスで切り離されて行方不明になったこともあった。カーゾンがアルルベルク急行でウィーンに向かったとき。スタッフが駅に出迎えにいったが、列車が到着してもカーゾンの姿はない。カーゾンの妻に聞くとカーゾンが列車に乗るのをちゃんと見送ったといい、ウィーンで出迎えにきていた友人たちはカーゾンを見なかったという。彼は、どこに神隠しされた。カルショーたちがホテルやら練習場所やら方々探し回って、真夜中にまた駅へ行ってみたところ、アルルベルク急行の客車2両だけが、なぜか機関車に牽引されて遠くのホームへ移動しているところだった。この客車はどういうわけか、ザルツブルグの西で本線から切り離されて、待避線内に3時間も停車していたのだった。よもや、その切り離された客車にいたのがカーゾン。カーゾンはダミーの鍵盤で練習していたので、客車が切り離されたことに気づかず、彼が時刻と事態に気がついた頃には、どうしようもなかったのだった。アルルベルク急行の歴史に前例のないこんな愚かな事件の犠牲者になれるのは、カーゾンただ一人。録音は録り直されたが、落下した照明と同じく、この事件もまた、彼を待っていたのだ。そのような「待っている」存在があった人に、よくぞこれだけの録音が残ったものだ。強運で弾き返した、カルショーの熱意に感謝あるのみです。
第2次世界大戦の潜水艦技術が録音技術に貢献して、レコード好きを増やした。繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS(Full Frequency Stereo Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLP3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてffss(Full Frequency Stereophonic Sound)が使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
  • Record Karte
  • 1971年2月、4月、ステレオ録音。
  • GB DEC SXL6523 カーゾン ベートーベン・エロイカ変
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