34-8755

商品番号 34-8755

通販レコード→英ナローバンド ED4盤

若き指揮者が描く成功への野心を聴く ― 後期ロマン派における最大の交響曲作曲家の一人であるブルックナー。第1交響曲はすでに40歳を超えた頃に書き上げられましたが、ブルックナーならではの個性が溢れた、完成度の高い作品として知られています。このアルバムは、1969年に若きクラウディオ・アバドがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して録音したもので、オーケストラの美しい響きを最大限に生かしながら旋律を朗々と歌わせて、明快で歯切れのよい演奏を披露している。アバドは、1966年2月~1969年1月の間、デッカにLP9枚分の録音を行いました。この時代のアバドは文字通りフレッシュな演奏をしている。アバドが最もアバドらしい時代の演奏群で、大変すばらしい演奏ばかりです。彼のデビュー盤はベートーヴェンの「第7交響曲」でした。今までこういった演奏をする人はおらず、聴衆には大変な刺激になったであろう事がよくわかります。その他、現在ほとんど演奏される機会の無いブラームスの『リナルド』、当時は野心的なプログラムだったブルックナーの「交響曲第1番」やヒンデミットの録音など、若き日のアバドによる劇的で鮮烈な名演が刻まれています。レコーディング・デビュー間もない若きアバドの溌溂としてロマンチックな演奏は、ここでは確かにウィーン・フィルには目立った破綻なく、録音も悪くない。完成したFFSSの真価が具現されている。メンデルスゾーンやモーツァルト、そしてベートーヴェンもだが大作曲家は、演奏の分野でも神童が数多い中、40歳を超えてようやく書き上げたブルックナーの交響曲第1番は、もっとずっと感動的な曲であろう。しかし、そこで聴かれる〝音楽〟は早めのテンポで、威勢は良いが、感性に乏しく乾いた印象を与える。アバドは若きブルックナーの新鮮な感性に満ちたこの作品を前にほとんど何のインスピレーションもなく振ってのけた。溌溂としていて、かといって華美に走らずとても気持ちの良い演奏です。若き指揮者にとって野心を抱けるものだったのか、アバドのブルックナーは第1、4、5、7、9番と録音されていますが、ブルックナーの交響曲の中でも演奏される機会の少ないこの第1番を好んで取り上げています。ブルックナーの交響曲は版の問題が複雑ですが、この第1番は大きく分けてリンツ稿とウィーン稿があります。ウィーン稿は作曲から25年後 ― 第8番第2稿より後に作曲者自身によって改訂されており、ウィーン稿の響きは初期の作品というより後期ロマン派を感じさせるものとなっています。アバドはリンツ稿を主に使用していますが、のちにルツェルン祝祭管弦楽団との2012年のライヴではウィーン稿を使用して、初期作品の活気ある雰囲気を残しつつも後期の洗練されたオーケストレーションを堪能出来るウィーン稿の良さをより味わえる演奏となっています。本盤はその、交響曲第1番ハ短調(リンツ版)の最初の録音。ワーグナーをも思わせるようなロマンティックな響き。この指揮者の作品を演奏する事への意欲とともに、非常に良いセンスと、作品の内容への完璧な理解力が備わっている演奏は、聴き続けて疲れず、聴き返して飽きない。そこには全く別の世界が広がっている筈だ。
1969年11月、12月ウィーン、ゾフィエンザールでの録音。
GB 	DEC 	SXL6494	アバド 	ブルックナー・交響曲1番
GB 	DEC 	SXL6494	アバド 	ブルックナー・交響曲1番
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私がクラシック音楽を聴き始めて間もなく、颯爽と若き指揮者クラウディオ・アバドはデビューし、LPレコードでリリースされた数々のバレエ音楽の演奏は印象に残っています。それがメキメキ頭角を現して、やがてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のシェフにまで登り詰めたわけです。大病後の生まれ変わったようなスタイルに驚き、独墺大作曲家のシンフォニー等でも一定の評価を得てはいましたが、私はかつて若きアバドがロンドン交響楽団を振ってのプロコフィエフの古典交響曲、バレエ音楽「ロメオとジュリエット」抜粋、バレエ組曲「道化師」等を聴いていました。

クラウディオ・アバド(Claudio Abbado)は1933年6月26日、イタリア・ミラノ生まれの指揮者。ヴェルディ音楽院の校長を務めた父のもとで育ち、1954年からウィーン音楽アカデミーで学ぶ。父のミケランジェロ・アバドはイタリア有数のヴァイオリンの名教育者であり、19歳の時には父と親交のあったトスカニーニの前でJ.S.バッハの協奏曲を弾いている。オペラ監督のダニエル・アバドは息子、指揮者のロベルト・アバドは甥である。1959年に指揮者デビューを果たした後、ヘルベルト・フォン・カラヤンに注目されてザルツブルク音楽祭にデビューする。ベルリン・フィルやウィーン・フィル、シカゴ、ドレスデンなどの桧舞台に早くから客演を重ね、確実にキャリアを積み重ねて、1968年にミラノ・スカラ座の指揮者となり、1972年には音楽監督、1977年には芸術監督に就任する。イタリア・オペラに限らず広大なレパートリーを高い質で提供しつつ、レコーディングにも取り組んだ。1990年、マゼールなど他に様々な有力指揮者らの名前が挙がった中、カラヤンの後任として選出されベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督に就任し、名実共に現代最高の指揮者としての地位を確立した。アバド時代のベルリン・フィルについて、アバドの音楽的功績や指導力については評価はかなり様々であるが、在任年間の後期の成熟期におけるベルリン・フィルとの録音として、ベートーヴェン交響曲全集(2回目・3回目)や、ヴェルディのレクイエム、マーラーの交響曲第7番・第9番、ワーグナー管弦楽曲集、等々がある。現代音楽もいくつか録音されており、世界最高の名器たる実力を余す所なく披露している。楽曲解釈は知的なアプローチをとるが、実際のリハーサルではほとんど言葉を発さず、あくまでタクトと身体表現によって奏者らの意見を募る音楽を作っていくスタイルだという。その点がアルゲリッチの芸風と相性が良いのだろうか、マルタ・アルゲリッチとも多くの録音がある。比較的長めの指揮棒でもって描かれる曲線は力強くかつ繊細であり、自然なアゴーギクとともに、色彩豊かな音楽を表現するのが特徴である。
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