GB DECCA SXL6489 ズービン・メータ ブルックナー・交響曲4番
商品番号 34-17469
通販レコード→GB NARROW BAND ED4 1W/2W 英ナローバンド ED4盤
ブルックナーの最高傑作に清新の息吹をあてるメータ=ロス・フィルの豊かな結実。 ― 当時ヘルベルト・フォン・カラヤンの後継者に目されるほどの、聴かせ上手だった若き日のメータ。デッカ=ロンドンの売れっ子指揮者として、録音効果のあがるダイナミックな音楽ばかりで勝負して、悉くベストセラーを築いてきたコンビの1970年の録音。来日記念最新盤として1972年に日本では初発された。リヒャルト・シュトラウス(「アルプス交響曲」「家庭交響曲」「英雄の生涯」「ツァラトゥストラはかく語りき」)や、「春の祭典」(ストラヴィンスキー)、「惑星」(ホルスト)、「1812年」(チャイコフスキー)などと同じ頃の録音で、ズービン・メータとロサンジェルス・フィルハーモニックが、UCLAのロイス・ホールでセッション・レコーディングで制作したアルバムは、どれも音質が良く、演奏も当時の彼らならではの勢いの良さとダイナミックな力強さが気持ちの良いものばかりで、そうした傾向と作品の性格が合致した場合は無類の心地よさを感じさせてくれたものでした。ブルックナーの交響曲第4番『ロマンティック』もそうした快演盤のひとつで、壮麗なサウンドをもったいぶらずに輝かしく響かせ、まっとうなテンポと声部バランスによって作品の細部に至るまで丁寧に示しています。後期ロマン派における最大の交響曲作曲家の一人であるアントン・ブルックナー。『ロマンティック』は、ブルックナーならではの個性が溢れた完成度の高い作品として知られています。ブルックナーの交響曲は版の問題が複雑ですが、この《交響曲第4番》はハース版による演奏。ずしりとした低音。はじけるようなティンパニ。輝かしい金管に、しっとりとした木管。そして抜けるように鮮やかな弦楽器。第1楽章から音楽は早めのテンポで颯爽と進むが、テンポの揺らしもなく真っ当なブルックナー。ホルンや金管の屈託ない響きが左右から掛け合う。弦は爽やかで気持ちよい。終楽章は逆に遅めのテンポをとり、複雑になった曲構成を丁寧に描き出す。クライマックスのホルンがテーマを咆哮している裏で刻まれる、オーケストラのリズムが混濁せずに聴こえるのもいい。一丸となったオルガンの響きにも似たオーケストレーションを、大健闘するロス・フィルのパワーでぐいぐい押し切っていくメータ。こんな耳のご馳走は贅沢な限りでして、いつまでも、どこまでもこのまま浸っていたいんです。演奏者も聴き手も明日はきっと明るいと信じることができる。壮大な音響に身を任せる快感。しかし、イギリスDECCAの録音は素晴らしい。弦の歯切れのよい進行に、普段は聴こえないトランペットがのっかってくるところなどDECCAならではのマルチマイクサウンドが威力を発揮している。なにがあってもくよくよするなと、最後まで前向きで豪快なサウンドが炸裂する。そして、ここにある音楽の音色の美感たるや、とてつもない魅力なんです。
1970年4月ロサンジェルス、UCLAのロイス・ホールでのセッション、ステレオ録音。
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ステレオ録音黎明期の1958年から英国デッカレーベルは、〝Full Frequency Stereophonic Sound(FFSS)〟と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた。レコードのステレオ録音は、英国デッカが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英デッカは、1941年頃に開発した高音質録音〝ffrr〟の技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英デッカはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLPレコード3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとして〝FFSS〟が使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
クラシックの録音エンジニアの中で、ケネス・ウィルキンソンは一部のファンから神のように崇められている。サー・ゲオルグ・ショルティはデッカ・レーベルで、ゴードン・パリー、ケネス・ウィルキンソン、ジェームズ・ロックの3人に限って録音をしているほどだ。録音の成功はプロデューサーにかかっている。また内田光子が「真に偉大なプロデューサー」と語ったエリック・スミス(1931〜2004)は、デッカとフィリップスで35年間にわたって活躍し、数々の名盤を世に送り出しました。名指揮者ハンス・シュミット=イッセルシュテットを父に持つ彼は、その父親と組んでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団初のステレオ録音全集を完成させる。当時ウィーン・フィルのシェフであり、録音の偉業を望んでいたヘルベルト・フォン・カラヤンではなかった理由はそこにありそうだ。指揮者よりも、エンジニアが主導権を持っているようだったとセッションの目撃証言がある。またズービン・メータの「展覧会の絵」の第1回の録音セッションに居合わせたレコード雑誌の編集長は、デッカのチームはホールの選択を誤った、と感じていた。指揮者のメータはそれまでの分を全部録り直すようだろうと予見していたが、プレイバックを聴いたら、その場で聞く音とは比較にならない〝素晴らしい〟出来に化けていたという。もちろんそれが商品として世に出ることになる。マイク・セッティングのマジック、デッカツリーの威力を示すエピソードですが、イギリスDECCAでは録音セッションの段取りから、原盤のカッティングまでの一連作業を同一エンジニアに課していた。指揮者や楽団員たちは実際にその空間に響いている音を基準に音楽を作っていくのだが、最終的にレコードを買う愛好家が耳にする音に至って、プロデューサーの意図するサウンドになるというわけだ。斯くの如く、演奏家よりレコードを作る匠たちが工夫を極めていた時代だった。
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