特有の疾走感と同時に、ほの暗さがある ― バッハを弾くときは、よくも鍵盤の少ない時代にこれだけ多彩なメロディーが出来たなと感心させられること頻りだが、ピアノで有名なショパンやベートーヴェンのピアノ・ソナタに比べると、モーツァルトのピアノ・ソナタは演奏法は比較的簡単な方になります。ことショパンを得意としているピアニストの演奏中心に、彼らのレパートリーだけを追って聴いているとロマン派以外の音楽家にも興味が湧くようになると、モーツァルトを聴いていないことに気付くのです。モーツァルトのソナタは本当に素晴らしい曲が多く、人類の宝の一つでしょうが、満足いく演奏がほとんどありません。自分で弾いたほうが、安心できる音楽なのです。ダニエル・バレンボイムは素晴らしい閃きはありますが、恣意的なテンポが気になる。フリードリヒ・グルダも楽しいし、音楽的充実もあるのですが、彼がベートーヴェンを弾いたときのような感動はない。ピアノのレパートリーは広く、特に近代のロシアものは思い入れも強い。アシュケナージは意外にもモーツァルトのソナタはあまり録音しておらず、これらの曲は全て彼の唯一の録音です。大変な努力家で、1つ1つの作品に全精力を注いで、それらの作品からその魅力を最大限に引き出そうとする姿勢がデッカ経営陣の心を打った。アシュケナージは1970年にアイスランド交響楽団を振っての指揮デビュー以来、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督、ベルリン・ドイツ交響楽団の首席指揮者など世界のオーケストラのポストを歴任。指揮者として究めている音楽からモーツァルトを演奏していない理由は見当つくが、アシュケナージのモーツァルトのピアノ・ソナタ録音は27年ぶりに第9番、14番、16番、幻想曲ハ短調、アダージョロ短調に取り組んだ曲目はすべて初録音と言うものだった。58歳になる1995年の録音だった、それはバランスの良い響きや、抒情的な温かみのうえに、重厚な味わいも増し、じわじわと訴える演奏だった。本盤は30歳になったばかりのときの録音で繊細な美しさに満ちた演奏だが、若々しい気迫にも富んでいる。アシュケナージとモーツァルトはピアノ協奏曲全集はじめ、当盤ソナタ集など柔和で温厚な芸風が曲想とマッチ、ショパン弾きとしてキャリアをスタートしたアシュケナージのモーツァルト演奏は、この作曲家のイメージに付きまとう透明感を内に秘めながらも、やはりロシアン・モーツァルトな感じでその演奏を進めています。第8番と17番はロシアンな骨太さもあり恰幅良く勢い満ちたアプローチで特有の疾走感はもちろん、陰影に富んだ表現力も見事。どこまでも深みにはまっていくような響きは他の演奏から聴くことはできるまい。どれもアシュケナージの才気あふれる快演だが、同時に仄暗さがあるのがよい。録音も良好で各曲最高位の優秀盤。
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すばらしいテクニックの持ち主だが、それをひけらかすことなく、難しい作品もいともたやすく弾きこなしてしまう。それがウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Davidovich Ashkenazy)だ。1937年7月6日にソ連のゴーリキーで生まれ、幼少からピアノに才能を発揮。ショパン国際ピアノコンクール、エリザベート王妃国際コンクール、そしてチャイコフスキー国際コンクールと、ピアノコンクールの3大難関コンクールで優勝、または上位入賞を果たした。1955年にショパン国際ピアノコンクールで2位となりますが、このときアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を降板する騒動を起こしたことは有名な話。ちなみに優勝したのは開催国ポーランドのアダム・ハラシェヴィチ。その後モスクワ音楽院に入学し、翌1956年、エリーザベト王妃国際コンクールで優勝、活躍の場を一気に世界に広げ、音楽院在学中から国際的な名声を確立し、EMIやメロディアからレコードも発売された。1960年にはモスクワ音楽院を卒業し、1962年にはチャイコフスキー国際コンクールに出場してイギリスのジョン・オグドンと優勝を分け合います。アシュケナージがデッカと専属契約を結んで初めて録音をおこなったのは、チャイコフスキー国際コンクール優勝の翌年、1963年のことでした。1963年にはソ連を出てロンドンへ移住、まず3月に録音したのは亡命作曲家ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番で、指揮はソ連からの亡命指揮者であるアナトール・フィストゥラーリが受け持ち、活動の場の国際化とともに政府の干渉や行動制限が増えたため、ほどなく亡命することとなるアシュケナージがソロを弾くという亡命尽くしの録音でした。翌月には同じくロンドン交響楽団とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音しています。ここでの指揮は当時破竹の勢いだったロシアの血をひく指揮者ロリン・マゼールが担当しています。この年の9月には、ツアーに来ていたキリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルという祖国のチームとの共演でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を録音しており、この年のうちにアシュケナージは3つのロシアの有名協奏曲をロシアつながりの指揮者との共演で録音したことになります。翌年からはソロの録音も本格化し、以後半世紀に渡って数多くの録音をデッカでおこなうこととなります。ピアノ音楽のほとんどすべてに及ぶほど、彼の録音したピアノ曲のレパートリーは幅広い。
着々とレコーディングをおこなう一方、世界各国でコンサートをおこない、1965年には初来日も果たすなど、この時期のアシュケナージの勢いにはすごいものがありました。その後、1970年代に入るとピアニストとしての活動に並行して指揮活動も行うようになり、1974年にはソ連国籍を離脱してアイスランド国籍を取得してからは、オーケストラ・レコーディングにも着手するなど、その指揮活動は次第に本格的なものとなって行きます。クリーヴランド管弦楽団との鮮烈なリヒャルト・シュトラウスやプロコフィエフのシンデレラ、コンセルトヘボウ管弦楽団との美しいラフマニノフなど、アシュケナージの指揮の腕前がピアノのときと同じく見事なものであることを示す傑作が数多くリリースされた。もちろん彼の演奏するロシア音楽のすばらしさは特筆すべきものがある。
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第17番 ニ長調 K.576、ロンド イ短調 K.511、ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 K.310(300d)。1967年7月ロンドンでのステレオ・セッション録音。
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