通販レコード→ワイドバンド ED2盤[オリジナル]
GB DECCA SXL6348 ケルテス ドヴォルザーク・序曲集
商品番号 34-16291
《三部作・自然と人生と愛の真ん中に位置する「謝肉祭」の中間部に出てくるテーマは、前後の曲に関連があり、新世界交響曲のひとつ前の交響曲とした聞き方も出来る。》イシュトヴァン・ケルテスが手兵ロンドン交響楽団を指揮して録音したドヴォルザークの序曲集。ロンドン交響楽団とドヴォルザークの交響曲全集を完成させていたケルテスは、管弦楽曲も多数録音していました。交響曲の録音が一区切りすると、演奏会レパートリーとしても人気の高い傑作『スケルツォ・カプリチオーソ』と『演奏会用序曲』と銘打った、そして3つの序曲 ― 序曲『自然の中で』 Op.91、序曲『謝肉祭』 Op.92、序曲『オセロ』 Op.93 ― を録音しています。作品番号からも分かる通り、この3曲は三部作《自然と人生と愛》を構成。ドヴォルザークがアメリカへ行く前年に書き始められた作品で1891年から1892年にかけて3つの演奏会序曲を完成。3曲まとめて演奏会用序曲3部作《自然と人生と愛》という1つの作品にするつもりでした。結局、この3曲はそれぞれ独立した作品として出版されることになり、第1部《自然》は《自然の中で》、第2部《人生》は《謝肉祭》、第3部《愛》は《オセロ》というタイトルが与えられました。《謝肉祭》は3曲の中でも特に人気が高く、演奏される機会が最も多い作品です。曲中に見られる、彩り豊かなオーケストレーションや、活気あふれるリズム、表情豊かなメロディが人気の理由なのでしょう。序曲三部作を通して聴くのが、なかなか面白い。《謝肉祭》の中間部に出てくるテーマが、1曲目で何回も出てくる。《謝肉祭》の中間部は全体の中でちょうど真ん中に位置していて、全体の中で一番穏やかな部分。ドヴォルジャークが愛してやまなかった自然への想いが描かれ、静かな安らぎのなかにも内面的な深い味わいを読み取れる、とても味わいのある印象深い曲。時に組曲と呼ばれるが、実際の演奏会では3曲連続で演奏されることは稀で、演奏頻度は「謝肉祭」が圧倒的に高い。初演は1892年4月28日、プラハにおいて作曲者の指揮、国民劇場管弦楽団により行われた。「オセロ」作曲後もタイトルを「悲劇的」にしようか「エロイカ」にしようかと出版社のジムロックに相談していることからも判るように、これらは決して標題音楽ではなく、各曲がそれぞれ漠然と自然、人生、愛に対応しているに過ぎない。この後、渡米して《新世界》交響曲を作曲します。三部作を新世界交響曲のひとつ前の交響曲とした聞き方も出来る。出版社の手違いとして歴史が仕掛けたいたずらか、新世界交響曲が第10番になること無く、世に広く愛好される曲として完成した。1965年12月、1966年10月&12月、ロンドン、キングズウェイ・ホールでの収録。ドヴォルザークを得意にしていたケルテスと相思相愛のロンドン交響楽団が疾走感ある瑞々しい演奏を披露している。歯切れ良いリズム、華やかな色彩感覚が聴き応えあり。録音当時30代半ばの青年指揮者らしいフレッシュさが素晴らしく、それゆえになおの事ケルテスの早世が惜しまれる。音響の良さで知られたキングズウェイ・ホールでの収録ということもあり音質も良好。アナログ期のデッカの名録音の一つ。テルアビブの海岸で散ったケルテスがベストパートナーだったロンドン交響楽団と残してくれた逸品。ホルンの名手、バリー・タックウェルも在籍していた当時のロンドン交響楽団は、技術はもちろん、表現力にもかなり高度なものがあり、また、英 DECCA の優秀な録音技術もあって、この作品本来のロマンティックな味わいを満喫することができます。重厚にしてややブラームス寄りのシンフォニックで構築力の勝った豪快なドヴォルザークで若々しさを感じさせるケルテス指揮下、ロンドン交響楽団がよく鳴っている。快感すら覚えます。1961年録音のウィーン・フィルとの《新世界より》が大評判を呼び、その続編として第8番がロンドン響と録音されました。 ― 以降、1967年に発売された再度の《新世界より》を含め、1968年の序曲集までも録音。 ― レコード芸術1964年2月号で推薦盤となり「オーケストラを完全に棒の統制下に収めて、意のままに動かしているようすが強く感じとれる。そして、彼の演奏は、この曲のロマンティックな情感を抑え、ダイナミックな面を強調している。」と評されました。ケステスはブダペストに生まれ、リスト音楽院で大作曲家ゾルタン・コダーイに学んでいます。1955年からブダペスト国立歌劇場の指揮者となりましたが、1956年ハンガリー動乱で西側に亡命。1960年にアウクスブルク国立歌劇場の音楽総監督に就任し、1963年から亡くなるまでケルン国立歌劇場の音楽総監督を務めました。コンサート指揮者としては1965~68年までロンドン交響楽団の首席指揮者を務め、同時に英デッカにドヴォルザークの交響曲全集を始めとして数多くの録音を行いました。そしてウィーン・フィルへの客演や録音も軌道に乗り、いよいよ巨匠への飛躍の時期だった1973年4月、イスラエル・フィルに客演した際、テル・アビブの海岸で遊泳中に高波にさらわれ溺死しました。まだ43歳でした。ケルテスがロンドン交響楽団を指揮してセッション録音したドヴォルザークの交響曲全集は、当時のデッカの迫力ある音調と、ケルテスの覇気に満ちた指揮ぶりがうまく結びついたみごとな仕上がりで有名。ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS ( Full Frequency Stereo Sound )と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国 DECCA レーベル。レコードのステレオ録音は、英国 DECCA が先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマン SX-68 を導入するまで続けられた。英 DECCA は、1941年頃に開発した高音質録音 ffrr の技術を用いて、1945年には高音質 SPレコードを、1949年には高音質 LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英 DECCA は LP・EP にて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でも LP 3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとして ffss( Full Frequency Stereophonic Sound )が使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
1968年初発、ED2がファースト・プレス。
1968年初発、ED2がファースト・プレス。
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