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親愛感に満ちた調和に感嘆 ― イギリス風のメロウなサウンドに明るくのびやかな音色。「ロンドン管楽合奏団」は、イギリスを代表するクラリネット奏者だったジャック・ブライマー(Jack Brymer)が主宰していたアンサンブルで、その当時のイギリスの木管の名手を集め、かなり高い水準キープしています。モーツァルト28歳時の作品、《ピアノと管楽のための五重奏曲変ホ長調 K.452》はピアノとクラリネット、オーボエ、ホルン、ファゴットによる曲です。この一風変わった編成の室内楽は後年の後輩達も大きく刺激されこのジャンルに挑んだくらいにモーツァルトが残した意欲作で、モーツァルト自ら「自分がこれまで作曲した中で最高の作品」と言ったほどの自信作です。モーツァルトが書いた弦楽四重奏曲や弦楽五重奏曲といった室内楽作品とは全く別の世界が広がり、またそれらの調和がことのほか美しいことに驚嘆させられます。モーツァルトの管楽器に対する扱いの卓越ぶりはいまさら言うに及びませんが、それにしても、特に比較的新しい楽器であるクラリネットを、この時代にここまで自由に表現できる作品を書いた人はいなかったのではないでしょうか。ブライマーのクラリネットがまたこよなくいい音を出しており、モーツァルトの、それこそ天から降りてきたとでも形容しようのない旋律を響かせています。タイムズ紙は彼を「おそらく彼の世代の、おそらく世紀の主要なクラリネッティスト」と呼んだ。ベートーヴェンの《ピアノと管楽のための五重奏曲変ホ長調 作品16》ともどもの2曲は1966年の発売当時から、いまだにこの作品の代表的な録音として評価されているもの。これはピアノとたった4本の管楽器による曲ですが、それらが互いに競い合い、主旋律をリードしていくといったミニ協奏曲的な作品に仕上がっています。当時20歳代の若きウラディーミル・アシュケナージのみずみずしいピアニズムとブライマーやホルンのアラン・シヴィルといったイギリスの誇る管の名手たちが絶妙なサポートをするアンサンブルは、いつまでも色褪せない新鮮さに満ちている。この異色の楽器編成による嫋やかでふくよかな表情、鄙びた色彩は格別に素晴らしく、音楽する愉しさがいっぱいの演奏だ。録音もいい。FFSS録音の長所を十二分に享受したと云いたくなるような素晴らしい録音です。英デッカの優秀録音も手伝って各楽器が手に取るように認識でき、またそれらの調和がことのほか美しいことに驚嘆させられます。ゆったりとした気分で安心して聴くことのできる名作定番です。
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すばらしいテクニックの持ち主だが、それをひけらかすことなく、難しい作品もいともたやすく弾きこなしてしまう。それがウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Davidovich Ashkenazy)だ。1937年7月6日にソ連のゴーリキーで生まれ、幼少からピアノに才能を発揮。ショパン国際ピアノコンクール、エリザベート王妃国際コンクール、そしてチャイコフスキー国際コンクールと、ピアノコンクールの3大難関コンクールで優勝、または上位入賞を果たした。1955年にショパン国際ピアノコンクールで2位となりますが、このときアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を降板する騒動を起こしたことは有名な話。ちなみに優勝したのは開催国ポーランドのアダム・ハラシェヴィチ。その後モスクワ音楽院に入学し、翌1956年、エリーザベト王妃国際コンクールで優勝、活躍の場を一気に世界に広げ、音楽院在学中から国際的な名声を確立し、EMIやメロディアからレコードも発売された。1960年にはモスクワ音楽院を卒業し、1962年にはチャイコフスキー国際コンクールに出場してイギリスのジョン・オグドンと優勝を分け合います。アシュケナージがデッカと専属契約を結んで初めて録音をおこなったのは、チャイコフスキー国際コンクール優勝の翌年、1963年のことでした。1963年にはソ連を出てロンドンへ移住、まず3月に録音したのは亡命作曲家ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番で、指揮はソ連からの亡命指揮者であるアナトール・フィストゥラーリが受け持ち、活動の場の国際化とともに政府の干渉や行動制限が増えたため、ほどなく亡命することとなるアシュケナージがソロを弾くという亡命尽くしの録音でした。翌月には同じくロンドン交響楽団とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音しています。ここでの指揮は当時破竹の勢いだったロシアの血をひく指揮者ロリン・マゼールが担当しています。この年の9月には、ツアーに来ていたキリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルという祖国のチームとの共演でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を録音しており、この年のうちにアシュケナージは3つのロシアの有名協奏曲をロシアつながりの指揮者との共演で録音したことになります。翌年からはソロの録音も本格化し、以後半世紀に渡って数多くの録音をデッカでおこなうこととなります。ピアノ音楽のほとんどすべてに及ぶほど、彼の録音したピアノ曲のレパートリーは幅広い。
着々とレコーディングを行なう一方、世界各国でコンサートを行ない、1965年には初来日も果たすなど、この時期のウラディーミル・アシュケナージの勢いにはすごいものがありました。その後、1970年代に入るとピアニストとしての活動に並行して指揮活動も行うようになり、1974年にはソ連国籍を離脱してアイスランド国籍を取得してからは、オーケストラ・レコーディングにも着手するなど、その指揮活動は次第に本格的なものとなって行きます。クリーヴランド管弦楽団との鮮烈なリヒャルト・シュトラウスの交響詩やプロコフィエフのバレエ音楽・シンデレラ、コンセルトヘボウ管弦楽団との美しいラフマニノフの交響曲など、アシュケナージの指揮の腕前がピアノのときと同じく見事なものであることを示す傑作が数多くリリースされた。もちろん彼の演奏するロシア音楽の素晴らしさは特筆すべきものがある。
Piano – Vladimir Ashkenazy, Clarinet – Jack Brymer, Oboe – Terence MacDonagh, Horn – Alan Civil, Bassoon – William Waterhouse.録音は1965年3月22日〜24日ロンドン、デッカ・スタジオ(West Hampstead Studio 3)でのステレオ・セッション。Producer – Christopher Raeburn, Engineer – James Lock.1966年11月の初版はED1。

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  1. GB  DEC  SXL6252 ウラディーミル・アシュケナージ モ…
  2. GB  DEC  SXL6252 ウラディーミル・アシュケナージ モ…