34-14397

商品番号 34-14397

通販レコード→英ワイドバンド WITH GROOVE "ORIGINAL RECORDING BY THE DECCA" ED1 盤[オリジナル]

クールでかっこいい音楽、それがブリテン。 ― 厳正な批評で知られるザ・タイムズ紙が、大きく「傑作」という見出しを掲げて批評を始めたほど、各紙から賞賛を博した、ベンジャミン・ブリテンのチェロ交響曲はチェロ・ソナタ、チェロ組曲などと並ぶムスティスラフ・ロストロポーヴィチのために書かれた作品としては、最後の作品。一般に聴かれるブリテンといえば、シンプル・シンフォニー(1933年)、青少年の音楽入門(1946年)、ピーター・グライムズ(1945年)、戦争レクイエム(1961年)といった創作年になっている。初期ほど有名で、年を追うごとに、とっつき難くなっていくイメージがあるが、ブリテン特有のクールさと熱っぽさが、混濁した響きの中から立ち昇ってくるのを聴くと、五感を刺激されるような大いなる感銘を覚える。オラトリオ「戦争レクイエム」を1962年に初演すると、コヴェントリーを始め、ロンドン、ベルリン、広島、東京ほか、様々な場所で演奏されるものになる。東洋のエキソシズムなどにも感化し、ミステリアスな雰囲気と独特のリズム感などにも特徴を見出すことができる時期。《カンタータ・ミゼリコルディウム 作品69》は、1963年9月1日ジュネーブで行われた赤十字100年記念の式典の為に作曲されたもので、当日ジュネーブのグランド・テアトルでエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団によって初演された。戦争には勝者や敗者はなく、それに関わったすべての人々が不幸であり、それを認識することが、死者の魂を慰めることになるのだという考えを伝え続けてきたブリテン、50歳の充実期の作曲。「戦争レクイエム」の初演にドイツから招いたバリトンのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウの声に感じ入り、その翌年の当初演に招聘、そして本盤録音は実った。「戦争レクイエム」は、併録の《シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)》のテーマを、さらに追及したものである。明治新政府は国民に教育を義務化し、指導はコントロールに転じ軍国国家となっていった、第二次世界大戦が勃発した時代。日本は中国へ侵攻しつつも、まだ第二次大戦に参加はしていなかった。この時期、日本政府が、日本の皇紀260年奉祝曲を各国作曲家に依頼しているという話を聞き、その委嘱をブリテンは受けた。ドイツとの戦争の色が濃厚になる1939年4月、この戦争を避けるためにイギリスをあとにしたブリテンは、ニューヨークに渡っていたが、次第に生活費に困るようになる。そうした折のことだった。当時既に日支事変が既に始まっており、そこで行われるテロ行為を思い、この主題は日本に贈る音楽の主題として決して不似合いではないと信じて、《シンフォニア・ダ・レクイエム》を委嘱作品として書いたが、神道的国家の世紀の祭典にキリスト教的色彩が濃いばかりか、弔いの音楽を寄せるとはとして、日本政府からは「神武天皇ノ神霊ヲ讃フル奏祝楽曲ノ内容ヲ有セザル節」との理由で演奏を拒否された。1940年頃には、反戦主義者として生きることを既に自覚していたブリテンの《シンフォニア・ダ・レクイエム》は、両親の死を悼んで書いたものではあるが、結果的に、日本軍国主義を批判したものとなった。オーケストラ作品であり歌詞は持たないが、音自体が焦燥感を持ち、戦争の恐怖と言い知れぬ不安感を齎す。最後の審判の下った日に灰の中から起き出てくる死者に対して永遠の安息を与え給えと祈る第1曲「涙の日(ラクリモーサ)」では、明らかにティンパニの響きは爆撃音である。両親の魂の安らぎを求めるだけではなく、既に「戦争レクイエム」と共通する不穏な響きに満ちている。やがて彼は、この曲を出来る限り戦争反対ということで作ったと述べ、また、この曲を書いたことにより、より戦争反対の信念が強まったとも言っている。その通り、この曲は「戦争レクイエム」を予告したものになる。
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第2次世界大戦の潜水艦技術が録音技術に貢献して、レコード好きを増やした。繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS(Full Frequency Stereo Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLP3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてffss(Full Frequency Stereophonic Sound)が使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
  • Record Karte
  • ピーター・ピアーズ(テノール)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)、ロンドン交響楽団&合唱団、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団。1963年録音。
  • GB DEC  SXL6175 ブリテン カンタータ・ミゼリコルディ…
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