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ブラック or ホワイト、2台のピアノで弾いているとは思えないほどの一体感 ― 清新で躍動感あるロシアン・モーツァルトを描き出している、ウラディーミル・アシュケナージは持ち前の明るく口当たりの良いタッチで、流麗に、わかりやすく料理している。良い意味で万人向きのピアノである。そして本盤で連弾するのは、アメリカ・セントルイス生まれのピアニスト、マルコム・フレージャー(Malcom Frager, 1935〜1991)。録音のためのピアノには、ベーゼンドルファーのインペリアルが使用されており、重厚な音色を堪能できます。ベーゼンドルファーのピアノはフランツ・リストの激しい演奏に耐え抜いたことで多くのピアニストや作曲家の支持を得、数々の歴史あるピアノ・ブランドが衰退していく中、その人気を長らくスタインウェイ&サンズと二分してきた。かつてベーゼンドルファーのピアノは1980年までショパン国際ピアノコンクールの公式ピアノの一つであった。ベーゼンドルファーのピアノを特に愛用したピアニストとしてはヴィルヘルム・バックハウスが有名。ジャズ界においては、オスカー・ピーターソンが「ベーゼン弾き」としてよく知られている。木の香り漂う温かい響きが特色のメーカー。オーストリア・ウィーンで製造。LONDON DECCAレーベルはベーゼンドルファーと契約しているようで、ラドゥ・ルプー、ホルヘ・ボレット、アンドラーシュ・シフ、アリシア・デ・ラローチャ、パスカル・ロジェ、ジュリアス・カッチェンなどはシューベルトの『ピアノ・ソナタ全集』やハイドンの『ピアノ・ソナタ』などウィーン古典派の作品を中心にベーゼンドルファーを弾いている。一方、ルドルフ・ブッフビンダーやシュテファン・ヴラダー、ティル・フェルナーなどの新しい若い世代のウィーンのピアニストはスタインウェイを弾いていて、あえて伝統的なベーゼンドルファーの使用を避けているようだ。音色は至福の音色と呼ばれる。ピアノ全体を木箱として鳴らす設計で、ズーンと太く伸びやかに鳴り響く低音域が魅力。スタインウェイを金管楽器に例えるなら、こちらは木管楽器といった印象でしょうか。弱点は大ホールで演奏する際のパワー不足。アシュケナージとフレージャーのハツラツとしたモーツァルトが聴ける。打鍵の粒が揃った演奏で、メロディラインははっきり聴こえる。実に細部まで美しく彫琢された、現代的なすこぶる明快な演奏です。磨きぬかれた輝かしい音色、ニュアンスに富んだ表現力、優れた音楽性、筋のよい安定したテクニックと、あらゆる面において現代のピアニストの水準を上を行く演奏を聴かせています。速いパッセージでもピッタリ合った演奏で、2台のピアノで弾いているとは思えないほどの一体感である。そして、アシュケナージがこよなく愛したというシューマンも渾身の演奏で、デッカの優秀録音に乗り素晴らしい仕上がりになっています。2台のピアノ、2台のチェロとホルンという珍しい編成の「アンダンテと変奏曲」は録音自体が貴重だし、シューマンのホルンという楽器への愛情も伝わる捨てがたい佳曲だ。これも品質の高い演奏で収録されており、ドビュッシーが編曲した「カノン形式の練習曲」を加え、このアルバムの価値をいっそう高めている。
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圧倒的に広いレパートリーを持ち、細部まで丁寧に演奏していること、そしてその結果として演奏の水準にほとんどムラがないことは特筆すべきことです。素晴らしいテクニックの持ち主だが、それをひけらかすことなく難しい作品もいとも容易く弾きこなしてしまう。それがウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Davidovich Ashkenazy)だ。アシュケナージは大変な努力家で、1つ1つの作品に全精力を注いで、それらの作品からその魅力を最大限に引き出そうとする姿勢がデッカ経営陣の心を打ったようだ。DECCAレーベルの入れ込みようは並々ならず。英デッカ社の財力を背景に完結させた全集企画の数では古今東西のピアニストの中では群を抜いている。1937年7月6日にソ連のゴーリキーで生まれ、幼少からピアノに才能を発揮。ショパン国際ピアノコンクール、エリザベート王妃国際コンクール、そしてチャイコフスキー国際コンクールと、ピアノコンクールの3大難関コンクールで優勝、または上位入賞を果たした。1955年にショパン国際ピアノコンクールで2位となりますが、このときアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を降板する騒動を起こしたことは有名な話。ちなみに優勝したのは開催国ポーランドのアダム・ハラシェヴィチ。その後モスクワ音楽院に入学し、翌1956年、エリーザベト王妃国際コンクールで優勝、活躍の場を一気に世界に広げ、音楽院在学中から国際的な名声を確立し、EMIやメロディアからレコードも発売された。1960年にはモスクワ音楽院を卒業し、1962年にはチャイコフスキー国際コンクールに出場してイギリスのジョン・オグドンと優勝を分け合います。アシュケナージがデッカと専属契約を結んで初めて録音をおこなったのは、チャイコフスキー国際コンクール優勝の翌年、1963年のことでした。1963年にはソ連を出てロンドンへ移住、まず3月に録音したのは亡命作曲家ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番で、指揮はソ連からの亡命指揮者であるアナトール・フィストゥラーリが受け持ち、活動の場の国際化とともに政府の干渉や行動制限が増えたため、ほどなく亡命することとなるアシュケナージがソロを弾くという亡命尽くしの録音でした。翌月には同じくロンドン交響楽団とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音しています。ここでの指揮は当時破竹の勢いだったロシアの血をひく指揮者ロリン・マゼールが担当しています。この年の9月には、ツアーに来ていたキリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルという祖国のチームとの共演でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を録音しており、この年のうちにアシュケナージは3つのロシアの有名協奏曲をロシアつながりの指揮者との共演で録音したことになります。翌年からはソロの録音も本格化し、以後半世紀に渡って数多くの録音をデッカでおこなうこととなります。ピアノ音楽のほとんどすべてに及ぶほど、彼の録音したピアノ曲のレパートリーは幅広い。
着々とレコーディングを行なう一方、世界各国でコンサートを行ない、1965年には初来日も果たすなど、この時期のウラディーミル・アシュケナージの勢いにはすごいものがありました。その後、1970年代に入るとピアニストとしての活動に並行して指揮活動も行うようになり、1974年にはソ連国籍を離脱してアイスランド国籍を取得してからは、オーケストラ・レコーディングにも着手するなど、その指揮活動は次第に本格的なものとなって行きます。クリーヴランド管弦楽団との鮮烈なリヒャルト・シュトラウスの交響詩やプロコフィエフのバレエ音楽・シンデレラ、コンセルトヘボウ管弦楽団との美しいラフマニノフの交響曲など、アシュケナージの指揮の腕前がピアノのときと同じく見事なものであることを示す傑作が数多くリリースされた。もちろん彼の演奏するロシア音楽の素晴らしさは特筆すべきものがある。
モーツァルト:2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448、シューマン:2台のピアノ、2つのチェロとホルンのためのアンダンテと変奏曲、カノン形式の練習曲 op.56-4 (ドビュシー編)。マルコム・フレイジャー(第2ピアノ)、バリー・タックウェル(ホルン)、アマリリス・フレミング(チェロ)、テレンス・ウェイル(チェロ)。1966年2月ロンドン、キングズウェイ・ホールでのステレオ・セッション録音。

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  1. GB  DEC  SXL6130 マルコム・フレイジャー&ウ…
  2. GB  DEC  SXL6130 マルコム・フレイジャー&ウ…