FFSSの真価を発揮~どこまでも高揚していく音楽。情報量が多いとはこういうことだ。デモンストレーションにも、音楽と演奏と録音を満足させるレコードの代表盤。 ― 大迫力のコンチェルトとして知られるブラームスのピアノ協奏曲第1番ですが、カーゾンとセル&ロンドン交響楽団の組み合わせによるこの1962年演奏は、中でもトップクラスの緊迫感と厳しさに貫かれた名演として知られています。録音がデッカということもあって、冒頭から凄まじいオーケストラ・サウンドが展開されますが、カーゾンのピアノの音も圧倒的で、終楽章のペダルを踏み込む衝撃音の生々しさなど驚くばかり。もちろん、抒情的な部分では独自の透明なリリシズムを聴かせてくれますが、それにしてもこの名前の組み合わせからはちょっと想像できないほどの気迫がビシビシと伝わってくる白熱した演奏であることに違いはありません。ジョン・カルショーとケネス・ウィルキンスンの名コンビによる優秀な録音も特筆ものです。さだまさしのCDなど、マスタリング・エンジニアの鈴江真智子が「仕事以外であまりクラシックのCDは聴かなかったのですが、セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏を聴いて、クラシックの良さが分かるようになりました」と言っていた。本盤は録音の良さがまず耳に残る。ここでは、英デッカ社はFFSS録音の優秀さを知らしめようと指揮者には御大ジョージ・セルを起用、ズシリと腹に響く低音の凄みから繊細な高音域まで、デッカならではの生々しいサウンドに捉えられており、どこまでも高揚する崇高な音楽が見事なマッチングを見せているので、セルとしても滅多にないほどすごい演奏をかなりの情報量で伝えてくれているのです。巨大なスケールと金管の迫力、低弦の凄みには言葉もありません。この録音の爽快感の虜になったら、ヘビロテ決定盤。この爽快感はヘルベルト・フォン・カラヤンに近いが、セルの録音を見せつけられたら超える自信がなかったのだろう。それとも相応しいピアニストの登場を待ったまま時が経ったのか、大名曲だというのにカラヤンは録音を果たせずじまいに終わった。数あるこの曲の録音の中でも、常に「最高峰」とされる永遠の名演が、この録音です。クリフォード・カーゾンは録音嫌いだったとはいえ、ディスコグラフィーを眺めると随分とレコード発売している。カーゾンは弾力的なリズム感と固い構成感で全体を見失わせない実に上手い設計で聴かせてくれるピアニストです。ブラームスのエッジの効いた冒頭から終わりまで息もつけぬ緊張感を味わえます。磨きぬかれた輝かしい音色、ニュアンスに富んだ表現力、優れた音楽性、筋のよい安定したテクニックと、汎ゆる面において現代のピアニストの水準を上回る。セルの伴奏も秀逸。カーゾンとセルの組み合わせのブラームスは、淡々とした美しさを奥深い透明感で貫いて描ききる素晴らしい名演。情感豊かに歌うタイプではなく、枝葉をとっぱらって幹だけを残したような精悍で男性的な演奏というのが第一印象。重ねて聴くと、時々岩のような荒々しさを感じるところはあるが、さっぱりした叙情が流れていて、職人芸的な渋さと味わいがあり、これはこれでなかなか良いものだと思える。録音を仕切ったジョン・カルショウは「カーゾンの繊細な音の素晴らしさを録音でとらえるのは空を飛ぶ鳥をつかまえるより難しい」と語っていたそうだから、用意周到。伝え聞くところによると、この録音の時のセルとカーゾンの関係は最悪だったそうです。それは聴けば解ります。当然のことながら、カーゾンは第2楽章の流れで繊細さを前面に出して最終楽章も演奏していこうとします。ところが、セルはお構いなしにオーケストラを豪快に鳴らしにいくのです。録音の最初から最後までセルとカーゾンはいがみ合っているとしか思えないような最悪の関係で、オーケストラのメンバーだけでなく、プロデューサーのカルショウも、かなり気をもんだとのことです。然し乍ら、出来上がった演奏は最高の出来栄えになったのは、本当に音楽というものは意思疎通が出来ていると面白くないレコードが出来上がるというのが、このレコードで気が付きます。特に第1楽章は緊迫感に満ちていて、セルとカーゾンの組み合わせでしかこういう雰囲気は出せないのかもしれない。セルが指揮するオーケストラの演奏は、潤いのなさを感じるところはあるが、とてもシャープで引き締まった演奏。それに金管が大きく咆哮するのがかなり目立つ。それがロンドン響の金管楽器セクションとロンドン、キングスウェイホールの響きがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団では出せなかっただろうなと思うと愉快だ。
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音楽CDが世の中に出たのが1982年。今から約35年前のこと。それ以降、みなさんご存知のとおり「レコードからCDへ」という流れが生まれました。ところで世界初のデジタル録音を成し遂げたのは、CD誕生の10年前となる1972年のこと。スメタナ四重奏団を招き、世界初のデジタル録音を日本で行ったモーツァルトの「弦楽四重奏曲第15番ニ短調 K.421」と「弦楽四重奏曲第17番変ロ長調 K.458《狩》」でした。このときの記念すべき演奏はレコードとして発売されましたが、CDとしての発売は十年以上待たされた。デジタル録音は一般化していきますが、1960年代後半から1970年代前半のステレオ録音最盛期のレコードが今でも評価の高い中心でしょう。トマス・エジソンが『フォノグラフ』を発明したのは1877年のこととされるが、それから百年のレコーディングを振り返ってみれば時間とともに消え去るはずの音楽が、これほどまで正確に記録されるようになったと驚かないわけにはゆかないであろう。それは演奏の方法や様式感にも計り知れない影響を及ぼしている。それ以前の名演奏家たちは伝説として語り伝えられているが、レコードの発明以来、この分野も科学の時代に入ったのである。こういう時代を考えないではジョージ・セルについて正しく語ることは出来ない。はじめはピアニストとして活躍していたがリヒャルト・シュトラウスに認められて、指揮界に進出した。1946年からクリーヴランド管弦楽団の常任指揮者になったが、それ以前にはドイツやチェコ、それにアメリカの多くの管弦楽団を指揮してもいた。セルの魅力と長所は、クリーヴランド管を指揮した時に最高度に示される。セルは完全主義者といわれるだけにオーケストラとも作品とも少しの妥協を許さず、厳しいアンサンブルの中で歪んだところのない音楽をつくりあげてゆく。クリーヴランド管の名声が世界に轟いたのも、このセルのおかげだったのである。シンフォニー・オーケストラの窮極的な機能を追求し、クリーヴランド管という完全無欠なアンサンブルを造り出したことはセルの個人的な業績であるばかりでなく、すでに確固たる歴史的な達成として認められることである。それがレコードとしてもセルの死後ますます輝かしい光を放っている。その他の誰もが達し得ない程の高い完成度を、どうして否定できようか。現代の演奏は如何に主観主義的な表現を行おうとも科学的考察の対象になるのであって、音楽もまた神話や伝説の領域に留まるものではない。セルはこういう時代に与えられた指揮者の最高の使命を担って全うしたのである。セルの極めて厳格な耳と審美感覚はオーケストラという非常に人間的な集団から不透明な人間臭を排除し、純粋な音楽を抽出した。そのため完璧なアンサンブルを掌中にしようとする鬼ともなり、冷たいとか非人間的とかいわれたが、むしろ暖かみがあるのやら人間味があるのやらと称される演奏以上に高度な音楽的表現をすることが出来た。それこそレコードに聴く、信じられないような透明無垢のハーモニー、鮮やかな色彩を見せる絶妙なバランス、表情の豊かなアゴーギグを持つ生気溌剌としたリズム、各パートが常に音楽と一体となって呼吸していて決して乱れないアンサンブル、なのである。セルの指揮するクリーヴランド管は凡そ全ての人間的な弱点や欠陥を克服して、この世に在らざるかのような彼岸の美に到達していたといって良い。
ジョージ・セルは1897年6月7日にブダペストで生まれたが3歳からヴィーンに移り住み、ヴィーンの音楽を身に受けて育った。事実、セルの様式感はヴィーンの伝統を受け継いでいる。このことはクリーヴランド管弦楽団の浮世離れした美感故なかなか気づかれなかったようであるがハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの解釈にはヴィーンの流れをくむセルの揺るぎない様式感が打ち出されている。そうした古典様式の美学を踏まえて、セルはメンデルスゾーンやシューマンやブラームス、ワーグナーやブルックナーやマーラー、ドヴォルザークやチャイコフスキーなど、所謂ロマン派の世界に乗り出していったのであり、そこにセルの神髄が見いだせる。第2次世界大戦後、アメリカでのみ可能な最高のメカニズムを実現して未曾有のザ・クリーヴランド・オーケストラが造り出されたが、それはヴィーンで培われたシンフォニズムに根差したものに他ならない。そして、クリーヴランド管とともに1970年に来日し素晴らしい演奏を聴かせてくれたが、セルは日本の演奏旅行から帰った直後の6月から心臓病で入院し、7月30日にクリーヴランドで没した。そういう演奏の透徹ぶりを目の当たりにして驚嘆した日本の聴衆にしてみれば何かが植え付けられたはずである。ヨハン・シュターミッツの指揮するマンハイム宮廷管弦楽団や、ハンス・フォン・ビューローの指揮するマイニンゲン管弦楽団は伝説の中に生きているけれども、セルとクリーヴランド管は科学的考察の下に絶対的美感を示しつつ生きながらえるであろう。レコードが、その証言となる。
ジョージ・セル(George Szell)の最大の業績はオハイオ州の地方都市クリーブランドのオーケストラを、大都会のニューヨーク、ボストン、シカゴ、ロサンゼルスの各オーケストラに比肩する、いや場合によっては凌駕する全米屈指の名門オーケストラに育て上げただけではないでしょう。その演奏スタイルは独裁者と揶揄されたセルの芸風を反映して、驚くべき透明さや精緻とバランスを持って演奏することであったという。セルはまたオーケストラのある特定のセクションが目立つことを嫌い、アンサンブル全体がスムーズかつ同質に統合されることを徹底したとも云う。こうしたセルの演奏から、まず伝わってくるのは、あたりを払うような威厳であり、作品の本質を奥底まで見つめようとする鋭い視線が窺える。かつて ― 今でも雛形になっている感が払えませんが、「セルが指揮した音楽は冷たい」とか、「セルが指揮したクリーヴランド管の演奏は室内楽のようだ」とか、若干揶揄する意味合いを含めて言われたものです。思うにこれはセルの耳が驚異的に良いことに起因する現象であり、オーケストラ・トレーナーとして手腕を発揮するハンガリー出身の大指揮者には少なくなく、その辺り、西側の指揮者は真似できない何かが有ります。相互して、そうしたセルに ― 時には反感を持ちながらも、なにくそと、ついていったクリーヴランド管の驚異的なアンサンブルによるものだと思っています。他のオーケストラの演奏と比べて、きっちり揃っていたので、冷たくも聞こえ、室内楽のようにも聴こえたのだと思っています。つまり複数の人で演奏したフレーズの音程、リズム、ニュアンスなどがきっちり揃っていると、まるで一人で演奏しているように聴こえる弦楽四重奏ということです。セルの全盛時代であり、手兵のクリーヴランド管弦楽団とは、「セルの楽器」とも称されるような精緻な演奏が信条であった。本盤でのバックは絶頂期のクリーヴランド管でなく、ロンドン交響楽団。豊穣にして豪壮華麗なオーケストラの響きをベースとした温もりのある名演と言った趣きがする。音色の美しさも特筆すべきもので、オーケストラ全体がまるでひとつの楽器のように聴こえます。オーケストラ・トレーナーとして手腕を発揮した代表的な指揮者だけに、一期一会であれギッシリ詰まって密度が高い証左か。とにかく、セルの棒にかかると、どこのオーケストラだろうと実に格調高く、またスケールの大きなものとなる。こういう演奏に接すると、セルは、特にクリーブランド管以外のオーケストラを指揮する場合には、冷徹な完全主義者という定評を覆すような、柔軟にして温かい演奏も繰り広げていたことがよくわかる。さらに、旋律の歌わせ方などは、セルがハンガリー出身であることも思い出させてくれます。英DECCA社の招聘にセルが応じてロンドン滞在時にロンドン響と収録した思いがけない名盤で、冷徹な完全主義者という定評を覆すような、柔軟にして温かい演奏も繰り広げていたことがよくわかる。厳格なセルから、さらなる追加録音を引き出せなかったのは些か残念。
第2次世界大戦の潜水艦技術が録音技術に貢献して、レコード好きを増やした。繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS(Full Frequency Stereo Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLP3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてffss(Full Frequency Stereophonic Sound)が使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
- Record Karte
- 1962年5月ロンドン、キングズウェイ・ホールでの録音。
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