ギャウロフ初めスラヴ系の名歌手を中心とした理想的なキャスティング ― カラヤン畢生の名演。この《ボリス・ゴドゥノフ》はムソルグスキーの傑作にして、ドビュッシーにも影響を与えたオペラ。1970年11月録音の歌手陣も豪華で、とりわけニコライ・ギャウロフのボリスが秀逸。その充実と録音の鮮烈さが印象に残る。豪華絢爛たる、戴冠式の場は圧巻で、英DECCAでのヘルベルト・フォン・カラヤン、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の一連のプロダクトがCD化される時に、そのリリース予定を前に配られたハイライト盤の中で一番驚いた録音で、今もって脳裏にある。カラヤンらしい洗練された響きと、ドラマティックな演出が際立つ演奏が魅力だ。暗く、重く、そこへもってきて複雑に入り組んだ筋書きの上、オペラの華である女性歌手の華やかなアリアもなく、複雑でややこしいスコア版の問題のあるオペラだから何故か人気がいまいち。しかし、わたしはムソルグスキーの音楽エネルギーを包含しているオペラ史上では《展覧会の絵》を遥かに凌駕する傑作だと確信しています。《展覧会の絵》の人気がコマーシャルに思えて仕方ないほどだ。劇場でのライヴ録音と錯覚しそうなほど音空間が広い圧倒的な音響と満員の観客を前に興奮が伝わっているかの如き熱狂に心奪われるのである。ムソルグスキーのオリジナルにも1869年稿、1872年の改訂版があり、それ以上に、他者の手によるものがあり、幕数、順序、省略される曲と異同があり、それが劇全体の根幹の理解を揺るがすものにさえなっている。そこに有るのは、ムソルグスキーの技術的問題。ムソルグスキーにリアリズム、ロシアの魂を見出し、その「芸術の学校」であると聖典のごとく扱ったショスタコーヴィチでさえ、「鐘の場」には、オリジナルの斬新なアイデアの一方、それを表現する手腕が足りないと感じていました。プーシキンの原作もそのままではなく、台本もムソルグスキー自身であったため、民衆、聖愚者の扱い、また民衆という全体に焦点をあてるか、外題役である〝個〟のボリスに焦点をあてるのか、作品の解釈、演奏での山場をどこに持っていくか、オペラ全体の根幹に関わってくることなのです。
ムソルグスキーの音楽の反抗的な表現を手名づけて、角や出っ張り、粗削りなところ、後期ロマン派の混成音がもつ不安を抱かせるような迫真性を取り去ってしまったか。それを聴こうとする人なら、カラヤンの録音に感動するだろう。これは、まさにムソルグスキーの犠牲の上になりたったリムスキー=コルサコフの救済である名作オペラブックス(24)ボリス・ゴドゥノフで、ディートマル・ホラントはムソルグスキーのスコア(原典版)が見据えた社会派的な問題提起を留守にして音響のみの空騒ぎだという。そのカラヤン盤はギャウロフの圧倒的な存在感で解決する。悔恨にあえぐ「ボリスの死」によって、幕を閉じると、個人が引き起こした悲劇が終わって、次代に希望を残した終結と感じさせる。カラヤン盤は「マイヤベーア化」した極致なのだ。ムソルグスキーがスコアに込めた、そもそもの作曲動機は置き去りにしているだろうが、それでいいのだ。とくに合唱の迫力。豪華な音響の一方、そこに獲得したものは、改訂版にも多くいれられている「民衆」の視点です。「流れ出よ、血の涙よ。泣き叫べ、ロシアの民」。強く警句を発する愚者は、ここでも強い説得力。ムソルグスキーが本来書いた原色のロシア色に塗りこめられた、救いの訪れない世界を表出するよりも、ボリスは歴史の一コマに過ぎず、現在を生きる私達が《ボリス》から何を得るかではないだろうか。フランス人作曲家が、その発想の源泉をムソルグスキーに求めたとき、リムスキー=コルサコフを経た上でみていたことも重要です。録音から半世紀近く経ているが、カラヤンは、聴き手が望んでいることを完全に読み取ることができたのだろう。そして、それを自分が意のままにできるウィーン・フィルという最高の楽器によって実現出来たのである。そうした姿勢がアンチカラヤンを作ってしまったのだろうが、カラヤンがやってきたことは、他の指揮者は出来るのだろうか?権力者が一度握った力に翻弄されてしまい、自らの破滅に恐れ罪の意識に慄く悲劇を、カラヤン独自の鋭い表現力をもってこれでもかこれでもかと迫る。多少の辟易を覚えながらも圧倒されてしまいます。「これでいいのだ!」アンチカラヤン結構。如何なる意見も、どんと来い。あなたの云わん通りなのだから。とく戴冠式の場などは原色の油絵の具を惜しげもなく撒き散らしたように百花繚乱。オーケストラと声楽陣をフルに動かし豪華な音の王朝絵巻を作り上げました。自分の思い通りにオーケストラをドライブするという技術において、カラヤンの右に出る者はいないと本盤を聴くたびに思います。
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ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan オーストリア 1908〜1989)はその魅力的な容貌と優雅な身のこなしでたちまちにして聴衆の人気をとらえ、たんにこの点から言ってもその人気におよぶ人はいない。しかも彼の解釈は何人にも、そのよさが容易に理解できるものであった。芸術的に高度のものでありながら、一種の大衆性をそなえていたのである。元来レパートリーの広い人で、ドイツ系の指揮者といえば大指揮者といえども、ドイツ音楽にかぎられるが、カラヤンは何をやってもよく、その点驚嘆に値する。ドイツ、オーストリアの指揮者にとって、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスは当然レパートリーとして必要ですが、戦後はワーグナー、ブルックナーまでをカバーしていかなくてはならなくなったということです。カラヤンが是が非でも録音をしておきたいワーグナー。当初イースターの音楽祭はワーグナーを録音するために設置したのですが、ウィーン国立歌劇場との仲たがいから、オペラの録音に懸念が走ることになり、彼はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をオケピットに入れることを考えました。カラヤンのオペラにおけるEMI録音でも当初はドイツもの(ワーグナー、ベートーヴェン)の予定でしたが、1973年からイタリアもののヴェルディが入りました。英EMIがドイツものだけでなく広く録音することを提案したようです。この1970年代はカラヤン絶頂期です。そのため、コストのかかるオペラ作品を次々世に送り出すことになりました。オーケストラ作品はほとんど1960年代までの焼き直しです。「ベルリン・フィルを使って残しておきたい」というのが実際の状況だったようです。この時期、新しいレパートリーはありませんが、指揮者の要求にオーケストラが完全に対応していたのであろう。オーケストラも指揮者も優秀でなければ、こうはいかないと思う。歌唱、演奏の素晴らしさだけでなく、録音は極めて鮮明で分離も良く、次々と楽器が重なってくる場面では壮観な感じがする。非常に厚みがあり、「美」がどこまでも生きます。全く迫力十分の音だ。そして、1976年にはウィーン・フィルから歩み寄り、カラヤンとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は縒りを戻します。カラヤンは1977年から続々『歴史的名演』を出し続けました。この時期はレコード業界の黄金期、未だ褪せぬクラシック・カタログの最高峰ともいうべきオペラ・シリーズを形作っています。
- Record Karte
- Arranged by – Ippolitov-Ivanov, Rimsky-Korsakov. Biserka Cvejic, Nicolai Ghiaurov, Paul Karolidis, Ludovico Spiess, Rudolf Frese, Galina Vishnevskaya, Milen Paunov, Leo Heppe, Gregor Radev, Martti Talvela, Aleksei Maslennikov, Zoltan Kélémen, Sabin Markov, Zvonimir Prelćeć, Margarita Lilowa, Olivera Miljakovic, Najejda Dobrianowa, Anton Diakov, Chorus – Vienna Boys Choir, Sofia Radio Chorus, Vienna State Opera Chorus, Chorus Master – Norbert Balatsch, Conductor – Herbert von Karajan, Orchestra – Vienna Philharmonic Orchestra
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