GB DEC SET432 ケルテス モーツァルト・皇帝ティートの慈悲(ハイライト)

商品番号 34-20761

通販レコード→英ナローバンド MADE IN ENGLAND ED3盤[オリジナル]

最初は台本も見ないでとにかく何回も何回も聴いてください。 ― 《皇帝ティートの慈悲》というオペラは、歌詞の内容が面白くないだけであって音楽はめっぽう面白いんですから。テルアビブの海岸で遊泳中に散ったイシュトヴァン・ケルテスが残したオペラ録音の中で数少ない全曲録音「皇帝ティートの慈悲」(SET357-9)からのハイライト盤です。レオポルド2世のボヘミア王としての戴冠式1791年9月6日の祝典用オペラとして作曲された。台本は1734年に最初のオペラが作られたメタスタジオの代表作で、君主の寛容を称えるもの。ザクセンの宮廷詩人カテリーノ・マッツォーラとモーツァルトが会って改作した。ヨーゼフ2世に〝音が多すぎるね、モーツァルト君〟と言われたことを覚えていた彼はことさらに平明なスタイル、時代遅れのわかりやすいメロディ、簡単なハーモニー、薄手のオーケストレーションを採用した。長くて堂々としたアリアは、できるだけ短くなっている。元の台本では25曲あったアリアは、結局9曲だけになってしまう。その分重唱が増やされ展開が停滞しない成果を得た。ケルテス&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は出だしから躍動感に溢れており、その気迫に圧倒されます。1963年、若くしてウィーン・フィルに起用され将来を嘱望されたケルテスの録音を聴くと、オーケストラの自発性とその自然体の音楽に楽員も嬉々として弾いているのではないかと思え、ケルテスへの嘱望がセールストークでなかったと確信できる。テンポ、フレージング、プロポーション、どれをとっても文句なく見事で落ち込んだ時に聴くと、何故か勇気付けられます。ジョン・カルーショーの残党ハンス=シュミット・イッセルシュテットの子息として高名なエリック・スミスのプロデュース、ジェームス・ロックの録音、ウィーン・フィルの拠点ソフィエンザールでのセッションと、三拍子揃った演奏。スミスは、テレサ・ベルガンサを起用して、《皇帝ティートの慈悲》に対する並々ならぬ意欲をもってプロデュースしました。ベルガンサの最盛期のころの録音で、美しい声と容姿、声は輝きを放つようなコロラトゥーラではないけれど、女性的で温かく、安定しています。ヒロインとズボン役を演じ、英デッカの録音にペルゴレージとヘンデルのアリアも歌っています。《皇帝ティートの慈悲》では、こちらもまたズボン役をレパートリーにしていたブリギッテ・ファスベンダーとともにヒロインに恋する若者役。舞台上では男女の衣装でも4人の女性歌手が愛する思いを歌い交わすオペラですので、最初は台本も見ないでとにかく何回も何回も聴いてください。歌詞が分かった方がいいに決まっていますが、分からなくてもモーツァルトの音楽は十分に素晴らしい。大体の筋が分かれば、あとは音楽が雄弁に語ってくれる。今後ともこれを凌駕する盤は不可能に近いのでは ... ケルテスはこの時までケルンの歌劇場で《皇帝ティートの慈悲》を上演していたようで、それをもとに名プロデューサー、スミスがデッカで録音したというわけです。ですから、ケルテスとスミスが《皇帝ティートの慈悲》復活の仕掛け人といえそうです。この若くして逝った指揮者の唯一のモーツァルト・オペラの全曲盤にして、最初の全曲盤になりました。スミスは1956年に、モーツァルト生誕200年を記念したフィリップスのモーツァルト全集の編集で頭角をあらわした人物です。だからかケルテスのモーツァルトは当たり外れがありません。宗教曲だから、交響曲だから、オペラだからといって変わることなく、いつも同じ姿勢を貫き通しています。ケルテスにはモーツァルトが何であるかが解かっているのでしょう。モーツァルトの場合、音楽が台本を完全に超えてしまっています。台本から受けるイメージで音楽を聴いてみるとまるで違う印象を受ける。
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これをレコードで聴けば、2人のズボン役のメゾ・ソプラノを含めて、4人の女声を聴き分けるだけでも難しい。モーツァルト生誕200年を機会としてなければレコード発売されなかっただろうし、モーツァルトの最後のオペラ《皇帝ティートの慈悲》はあまり聴かれていないオペラでしょう。モーツァルティアンはモーツァルトに駄作なしと威張っていますが、この《皇帝ティートの慈悲》は最晩年のオペラであるのに、直前の《魔笛》に比べて積極的には取り沙汰されない。事実、《魔笛》と《レクイエム》の仕事を懸命にやっているところに《皇帝ティートの慈悲》の依頼がきたので、作曲を仕上げる期限も迫っていたので短期間にやっつけた仕事といった先入観もあるようです。でも、どうでしょう。台本を直すのにモーツァルト自身が深く関わっていたのは明らかで、わずか18日間で書き上げたということにハンディはない、ということはモーツァルティアンこそ、自慢とするモーツァルトの魅力ではないでしょうか。『魔笛』と『レクィエム』の作曲中でもあることが、そのために〝駄作〟と感じるほど高度な作曲技法を発揮したのではないでしょうか。台本の複雑さはともかく、音楽は滅法美しい。崇高で控えめな秘密、それは吹奏楽の輝きもなければ、憂鬱な半音階化もなく、また直接的な劇的表現もなく、ただその存在の正当性を、メロディーにこめられた美学的に純粋なこの作品の本質として強く主張する。それに、18世紀のオペラ・セリアは、アリアとレチタティーヴォの果てしない交替は、後世の人たちを退屈させたのだけれどモーツァルトは、そこから逃れるための手を打ったのだった。その改作がものをいい簡潔で劇的な展開が、オペラ・セリアの歴史の最後を飾る作品をかたち作っている。そのせいか、19世紀前半までは結構人気のあるオペラだったようです。モーツァルトの死後、1800年までに出版されたヴォーカル・スコアの数は《皇帝ティートの慈悲》が5回で、それを上回るのは《魔笛》の9回で、《ドン・ジョヴァンニ》、《イドメネオ》、《後宮からの誘拐》が3回で、《フィガロの結婚》と《コジ・ファン・トゥッテ》は2回でした。上演回数も、この数に比例していた。以降も、1800年から1830年の間に《皇帝ティートの慈悲》のスコアの出版は10回も数え、これを上回ったのは《ドン・ジョヴァンニ》だけ。然し、時代がロマン的な方に動向していったことが分かります。その後、19世紀後半からは聴衆の関心が《魔笛》やダ・ポンテのオペラに向けられてしまい、20世紀後半に至るまで《皇帝ティートの慈悲》は忘れ去られた存在になってしまいました。が、伝統的なオペラ・セリアの枠を超えてしまう独創性を持たされた《皇帝ティートの慈悲》は、このジャンルへのモーツァルトの挑戦だったのではないかと考えられるようになりました。
セストのアリアや第1幕のフィナーレなど、すぐれたところがいくつかあるオペラ、なのではなくて、今日では歌劇《皇帝ティートの慈悲》は傑作だと考えられている。モーツァルトは晩年の作品ついて、更なる新境地の開拓に取り組むが実現を見ないまま残されてしまった、と持論としてわたしは言います。最後のオペラとなった、イタリア語の《皇帝ティートの慈悲》とドイツ語の《魔笛》を同時期に作曲しました。《魔笛》はシカネーダーの依頼でモーツァルトと二人三脚で作られたもので、モーツァルトの視点が旧来の王侯貴族から中産階級や大衆にまで拡げられて、オペラ・ブッファとジングシュピールの融合を試みる足場を築いた。更に、見知らぬ人からの依頼の《レクイエム》も、旧来の手法に飽き足らずにいるのを残された楽譜から感じられる。歌劇《皇帝ティートの慈悲》はオーストリア皇帝レーオポルト2世がボヘミア王も兼任することになり、戴冠の式が9月6日に急遽決まったため、題材を1734年以降ハッセやグルックを含め10人以上が使っていた《ティートの慈悲》に決め、宮廷詩人メタスタジオの旧作の台本をマッツォーラが大胆に改作したものをもとに、3幕の原作を2幕に改められ、いくつかのエピソードがカットされた。そして、時間的余裕がなく、アリアの数が大幅に減らされました。加えて、レシタティーヴォ・セッコをジェスマイヤーに任せオーケストラを伴奏に使い、オーケストレーションも簡潔にしていながら、モーツァルトが育んできたオペラ・ブッファ、ジングシュピールの手法をうまく取り込み、短期間で作曲されたにもかかわらず、モーツァルトの色彩が色濃く輝いているから不思議で、これが天才のなせる業かと圧倒されます。モーツァルトが好んだ楽器が美しいアリアに装飾的に使われている。クラリネットがセストの第9曲に、バセット・ホルンがヴィッテリアの第23曲のロンドに。第1幕の幕切れのティトウスが刺されたという言葉が伝わった後の暗く不安な合唱と音楽はモーツァルトの傑作。市民の合唱を背景にして、よく表現されているし、その直前の三重唱での、動揺するヴィッテリアに求められるのは、『フィガロの結婚』の伯爵夫人のアリアを思わせる豊かな感情の表現。序曲はハ長調のアレグロではじまりますが、《魔笛》の序曲の最初の和音と似ている。民衆が皇帝ティートの無事を神に感謝を捧げる合唱は慈悲深く荘厳に響きます。壮大で祝典的ではありながら、合唱に入ると似ているフレーズも出てきて、《魔笛》の世界が濃厚になる。慣れてくると〝皇帝ティート〟のテーマが《魔笛》をなぞっているような印象がして、そこに思いが至ると、登場人物それぞれのテーマは、《ドン・ジョヴァンニ》であったり、《フィガロの結婚》であったり、《コジ・ファン・トゥッテ》であったりと、ジングシュピールの《魔笛》やブッファの《コジ・ファン・トゥッテ》を、セリアの《皇帝ティートの慈悲》は融合してしまったようなところがあります。上演回数が減ってきた理由の一つに、祝典音楽のため、地域が特定されかねない他、上演に際して大がかりな舞台装置が必要であるなど音楽とは別の問題も浮かび上がってきます。それから、モーツァルト自身がセリア・オペラからの脱却を図っていたように、一般大衆の好みの変化も大きく作用していると思われます。
イシュトヴァン・ケルテス(Istvan Kertesz, 1929.8.28〜1973.4.16)はブダペストに生まれ、リスト音楽院で大作曲家ゾルタン・コダーイに学んでいます。1955年からブダペスト国立歌劇場の指揮者となりましたが、1956年ハンガリー動乱で西側に亡命。1960年にアウクスブルク国立歌劇場の音楽総監督に就任し、1963年から亡くなるまでケルン国立歌劇場の音楽総監督を務めました。コンサート指揮者としては1965~68年までロンドン交響楽団の首席指揮者を務め、同時に英デッカにドヴォルザークの交響曲全集を始めとして数多くの録音を行いました。そしてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団への客演や録音も軌道に乗り、いよいよ巨匠への飛躍の時期だった1973年4月、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団に客演した際、テル・アビブの海岸で遊泳中に高波にさらわれ溺死しました。まだ43歳でした。アルトゥール・ニキッシュに始まり、フリッツ・ライナー、フェレンツ・フリッチャイ、ユージン・オーマンディ、ジョージ・セル、ゲオルク・ショルティと続くハンガリー指揮者界の栄誉を受け継ぐ期待のホープであったケルテス。もし、彼が、これからという時期に他界しなかったら、クラウディオ・アバドや小澤征爾世代のケルテスの存在は20世紀末の指揮者の勢力地図を大きく塗り替えていたろうと誰もが思っています。1961年録音のウィーン・フィルとの《新世界より》が大評判を呼び、その続編として第8番がロンドン響と録音されました。以降、1967年に発売された再度の《新世界より》を含め、1968年の序曲集までも録音したドヴォルザークの交響曲、管弦楽曲の全集。ストラヴィンスキーを予見させるような新鮮なモーツァルト、ウィーン・フィルとのシューベルトはとにかくも、ブラームスのセレナードまで含めた交響曲全集へと、DECCAレーベルの入れ込みようは並々ならず。当時のロンドン響は、技術はもちろん、表現力にもかなり高度なものがあり、また、英デッカの優秀な録音技術もあって、この作品本来の味わいを満喫できます。
ステレオ録音黎明期1958年から、ffss(Full-Frequency Stereophonic Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrr(Full-Frequency Range Recording)の技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLP3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてffssが使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
ウェルナー・クレン(ティート:ローマの皇帝でセルヴィーリアを妃に選ぶ)、テレサ・ベルガンサ(セスト:ティートの友人でヴィテッリアに恋している)、マリア・カズーラ(ヴィテッリア:皇帝ティートの先帝の皇女でティートとの結婚を望む)、ルチア・ポップ(セルヴィーリア:セストの妹でアンニオに恋している)、ブリギッテ・ファスベンダー(アンニオ:セストの友人でセルヴィーリアに恋している)。1967年5、6月ウィーン、ゾフィエンザールでのエリック・スミス&ジェームズ・ロックによる録音。
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