通販レコード→GB NARROW BAND ED4 盤
聴き終わったあとの気分の良さは相当のものだ。
純粋音響美を追究した完成度を誇る演奏。歴史的プロジェクトであるワーグナー「ニーベルングの指環」全曲録音をウィーン・フィルと行っている同時期に録音された、マーラー「復活」。まさに乗りに乗っているショルティの勢いが刻みこまれた、これまた名演・名盤。録音も素晴らしいオーディオファイル盤です。
ロンドン交響楽団とのゲオルグ・ショルティの1度目の録音。このマジャール男はマーラーが交響曲2番に託したさまざまな思いや哲学はスパッと切り捨て、スコアにある音符を唯一の足がかりとして純粋音響美を追究した。ショルティの復活は、鉄板の定番。オーディオ的快感も堪能できる超優秀録音。アナログ録音のぬくもりと、腹にゴツンとくる迫力。レコード鑑賞会にこの曲を取り上げる時には、これで決定だろう。
1966年5月、キングズウェイ・ホール録音。ブルーノ・ワルターの「復活」のステレオ盤リリースからまだ5年。ショルティの「復活」は後のシカゴ交響楽団との再録音盤も有名ですが、この第1回目の録音は、テンションの高い演奏ぶりでは再録音を上回るほど。発売時期が忘れられた録音になりがちなのか、レナード・バーンスタインのチャイコフスキーの交響曲4番のケースと重ねて、時期の近い再録音は、指揮者の変化を見出せるのではないか。CD時代には新しい方が選ばれるのは惜しい思いがしています。
ショルティとDECCAの相性が良くないのかもしれませんが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのベートーヴェンが3曲だけでご破算となったように。リスナーとしては1960年代なかばのロンドン交響楽団とのマーラーは楽しまないと損します。シカゴ交響楽団とのレコードはグラミー賞を何度も得ていますが、わたしが面白いと聴いているのは、1960年代のショルティです。
ショルティは自伝の中で『復活』は「ベートーヴェンに近い」と語っています。この作品が内包している文学的アプローチよりも、音の構築物としてスコアと対峙する音楽作り。これは、どう考えてもかなりいびつな構成をもつこの曲が、聞き手が受け入れやすいように、マーラーの師事を無視してまで、古典的な均衡をもつ名曲として聴かせたワルターの志向の延長線上にあるのではないか。
ショルティ・ファン、マーラー好きならぜひ聴いておかないと、マーラー談義がちぐはぐな展開となることでしょう。
さて、ショルティの音楽の特性はマジャール気質からくる硬派、豪快、ダイナミックで、甘えのない厳格かつ躍動感にあふれる演奏。その反面 、比類なき生彩に満ち満ちた輝きを放つ。早いテンポでオーケストラを煽り、楽器を鳴らしまくるため聞き逃されてしまうが、対位法などのオーケストレーションを含む曲の構造に留意し精緻なアンサンブルを要求するといった論理的なアプローチも特色の一つで、完全主義者といわれる所以でもある。ナチスを恐れ、アルトゥーロ・トスカニーニのつてでスイスから米国へ逃れようと考えたショルティは1939年8月15日(27歳)、ブダペスト中央駅を旅立った。父が見送りに来て感極まり、息子は「1週間の別れで泣くなよ!」とたしなめた。一度は帰国を試みたが、今度は「母は何かを予感したのか、絶対にダメだと言った」とショルティの死後放送されたドキュメンタリー番組で彼は回想していた。ようやく帰国するのは終戦直後、駐留米軍人としてだった。そしてリスト音楽院の同級生のつてでナチス崩壊直後のドイツ、しかも廃虚のミュンヘンでバイエルン州立歌劇場音楽監督のポストを得た。そうした人生が反映して、ショルティの音楽のバネになっていると思う。マーラーの交響曲演奏に於いても、バーンスタインがマーラーの歌謡性に重きを置いたのに対し、ショルティはポリフォニーの表出とオーケストレーションの再現が主眼となっている。マーラーの書いた音符すべてを明確に鳴らしきった結果、マーラーの弟子ワルターの《復活》よりも ― マーラーのグロテスクさが全面に現れており現代のマーラー演奏が規範にしていると思われる。
知名度という点ではヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインと並ぶ、20世紀、特に戦後を代表する指揮者。なによりもゲオルグ・ショルティと ― この頃には ― 関係良好だったウィーン・フィルと後世に語り継がれるオペラをウィーンのソフィエンザールで次々と録音している。すでに定評があるショルティならでは、半世紀にわたり一貫してDECCAに録音し数々の名盤を遺した重要なアーティストであり続けた。そのレパートリーは多岐にわたり、ヨハン・ゼバスティアン・バッハからショスタコーヴィチまで幅広く網羅。おそらく有名交響曲作家で一曲もやっていないのはシベリウスぐらいではないか。 意外なことに現在、ワーグナーの10大オペラ、マーラー交響曲全集、ブルックナー交響曲全集を出しているただ1人の指揮者でもある。
しかし、この曲の推薦盤としては1980年になってシカゴ交響楽団と録音した全集を、これからマーラーの交響曲を聴きたいという向きには紹介している。グラミー賞を何度も得ている、これはいかにもショルティならではの強烈無比な演奏だ。わたしが個人的に好む方はロンドン交響楽団との「復活」だ。録音は1966年であり、かの歴史的な超名演であるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」をウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともにスタジオ録音している最中のもの。かかる録音も終わりに近づいており、そうしたことに去来するであろう自らの指揮芸術に対する漲るような自信と誇りが演奏自体にもあらわれているかのようである。ショルティの各楽曲に対するアプローチは、マーラーの交響曲だけにとどまらずすべての楽曲に共通していると言えるが、切れ味鋭いリズム感とメリハリのある明瞭さであり、それによってスコアに記されたすべての音符を完璧に音化していくということが根底にあったと言える。かかるアプローチは終生変わることがなかったとも言えるが、1980年代以降になると、演奏に円熟の成せる業とも言うべき奥行きの深さ、懐の深さが付加され、大指揮者に相応しい風格が漂うことになったところだ。したがって、ショルティは、マーラーの交響曲第2番を1980年になって、当時の手兵であるシカゴ交響楽団とともに再録音を行っているが、この1980年の演奏は、1966年録音のロンドン交響楽団との演奏とはかなり様相が異なり、鋭角的な指揮振りは健在であるとは言うものの、聴き手を包み込んでいくような包容力、そして懐の深さのようなものが存在し、シカゴ交響楽団の光彩陸離たる華麗な演奏ぶりが際立っていることからも、万人の聴き手にあまり抵抗感を与えないような演奏に仕上がっている。ロンドン交響楽団との演奏は第1楽章冒頭から終楽章の終結部に至るまで、ショルティの個性が全開。ロンドン交響楽団も、ショルティのメリハリのある指揮にしっかりと付いていき、持ち得る実力を発揮した見事な演奏を行っているとともに、ソプラノのハーパーやアルトのワッツをはじめとした声楽陣も最高のパフォーマンスを発揮している。アクセントは鋭く、ブラスセクションは無機的とも言えるほど徹底して鳴らし切るなど、楽想の描き方の明晰さ、切れ味の鋭いシャープさは、他の指揮者によるいかなる演奏よりも ― ショルティの思いがこもっているような ― 凄味を有している。したがって、1980年の演奏に抵抗を覚えなかった聴き手にも毒になりうる。私は、マーラーの交響曲の演奏様式の一つとして十分存在意義のあるものと考えており、「好きだ」と言える演奏だ。故に表向きはこの曲の推薦盤としてはシカゴ交響楽団盤をお薦めするが、本盤をわたしは捨てない。この音楽に浸っている間、しばし浮世の憂さを忘れられること請け合いです。
1966年5月、キングズウェイ・ホール録音。ブルーノ・ワルターの「復活」のステレオ盤リリースからまだ5年。ショルティの「復活」は後のシカゴ交響楽団との再録音盤も有名ですが、この第1回目の録音は、テンションの高い演奏ぶりでは再録音を上回るほど。発売時期が忘れられた録音になりがちなのか、レナード・バーンスタインのチャイコフスキーの交響曲4番のケースと重ねて、時期の近い再録音は、指揮者の変化を見出せるのではないか。CD時代には新しい方が選ばれるのは惜しい思いがしています。
ショルティとDECCAの相性が良くないのかもしれませんが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのベートーヴェンが3曲だけでご破算となったように。リスナーとしては1960年代なかばのロンドン交響楽団とのマーラーは楽しまないと損します。シカゴ交響楽団とのレコードはグラミー賞を何度も得ていますが、わたしが面白いと聴いているのは、1960年代のショルティです。
ショルティは自伝の中で『復活』は「ベートーヴェンに近い」と語っています。この作品が内包している文学的アプローチよりも、音の構築物としてスコアと対峙する音楽作り。これは、どう考えてもかなりいびつな構成をもつこの曲が、聞き手が受け入れやすいように、マーラーの師事を無視してまで、古典的な均衡をもつ名曲として聴かせたワルターの志向の延長線上にあるのではないか。
ショルティ・ファン、マーラー好きならぜひ聴いておかないと、マーラー談義がちぐはぐな展開となることでしょう。
さて、ショルティの音楽の特性はマジャール気質からくる硬派、豪快、ダイナミックで、甘えのない厳格かつ躍動感にあふれる演奏。その反面 、比類なき生彩に満ち満ちた輝きを放つ。早いテンポでオーケストラを煽り、楽器を鳴らしまくるため聞き逃されてしまうが、対位法などのオーケストレーションを含む曲の構造に留意し精緻なアンサンブルを要求するといった論理的なアプローチも特色の一つで、完全主義者といわれる所以でもある。ナチスを恐れ、アルトゥーロ・トスカニーニのつてでスイスから米国へ逃れようと考えたショルティは1939年8月15日(27歳)、ブダペスト中央駅を旅立った。父が見送りに来て感極まり、息子は「1週間の別れで泣くなよ!」とたしなめた。一度は帰国を試みたが、今度は「母は何かを予感したのか、絶対にダメだと言った」とショルティの死後放送されたドキュメンタリー番組で彼は回想していた。ようやく帰国するのは終戦直後、駐留米軍人としてだった。そしてリスト音楽院の同級生のつてでナチス崩壊直後のドイツ、しかも廃虚のミュンヘンでバイエルン州立歌劇場音楽監督のポストを得た。そうした人生が反映して、ショルティの音楽のバネになっていると思う。マーラーの交響曲演奏に於いても、バーンスタインがマーラーの歌謡性に重きを置いたのに対し、ショルティはポリフォニーの表出とオーケストレーションの再現が主眼となっている。マーラーの書いた音符すべてを明確に鳴らしきった結果、マーラーの弟子ワルターの《復活》よりも ― マーラーのグロテスクさが全面に現れており現代のマーラー演奏が規範にしていると思われる。
知名度という点ではヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインと並ぶ、20世紀、特に戦後を代表する指揮者。なによりもゲオルグ・ショルティと ― この頃には ― 関係良好だったウィーン・フィルと後世に語り継がれるオペラをウィーンのソフィエンザールで次々と録音している。すでに定評があるショルティならでは、半世紀にわたり一貫してDECCAに録音し数々の名盤を遺した重要なアーティストであり続けた。そのレパートリーは多岐にわたり、ヨハン・ゼバスティアン・バッハからショスタコーヴィチまで幅広く網羅。おそらく有名交響曲作家で一曲もやっていないのはシベリウスぐらいではないか。 意外なことに現在、ワーグナーの10大オペラ、マーラー交響曲全集、ブルックナー交響曲全集を出しているただ1人の指揮者でもある。
しかし、この曲の推薦盤としては1980年になってシカゴ交響楽団と録音した全集を、これからマーラーの交響曲を聴きたいという向きには紹介している。グラミー賞を何度も得ている、これはいかにもショルティならではの強烈無比な演奏だ。わたしが個人的に好む方はロンドン交響楽団との「復活」だ。録音は1966年であり、かの歴史的な超名演であるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」をウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともにスタジオ録音している最中のもの。かかる録音も終わりに近づいており、そうしたことに去来するであろう自らの指揮芸術に対する漲るような自信と誇りが演奏自体にもあらわれているかのようである。ショルティの各楽曲に対するアプローチは、マーラーの交響曲だけにとどまらずすべての楽曲に共通していると言えるが、切れ味鋭いリズム感とメリハリのある明瞭さであり、それによってスコアに記されたすべての音符を完璧に音化していくということが根底にあったと言える。かかるアプローチは終生変わることがなかったとも言えるが、1980年代以降になると、演奏に円熟の成せる業とも言うべき奥行きの深さ、懐の深さが付加され、大指揮者に相応しい風格が漂うことになったところだ。したがって、ショルティは、マーラーの交響曲第2番を1980年になって、当時の手兵であるシカゴ交響楽団とともに再録音を行っているが、この1980年の演奏は、1966年録音のロンドン交響楽団との演奏とはかなり様相が異なり、鋭角的な指揮振りは健在であるとは言うものの、聴き手を包み込んでいくような包容力、そして懐の深さのようなものが存在し、シカゴ交響楽団の光彩陸離たる華麗な演奏ぶりが際立っていることからも、万人の聴き手にあまり抵抗感を与えないような演奏に仕上がっている。ロンドン交響楽団との演奏は第1楽章冒頭から終楽章の終結部に至るまで、ショルティの個性が全開。ロンドン交響楽団も、ショルティのメリハリのある指揮にしっかりと付いていき、持ち得る実力を発揮した見事な演奏を行っているとともに、ソプラノのハーパーやアルトのワッツをはじめとした声楽陣も最高のパフォーマンスを発揮している。アクセントは鋭く、ブラスセクションは無機的とも言えるほど徹底して鳴らし切るなど、楽想の描き方の明晰さ、切れ味の鋭いシャープさは、他の指揮者によるいかなる演奏よりも ― ショルティの思いがこもっているような ― 凄味を有している。したがって、1980年の演奏に抵抗を覚えなかった聴き手にも毒になりうる。私は、マーラーの交響曲の演奏様式の一つとして十分存在意義のあるものと考えており、「好きだ」と言える演奏だ。故に表向きはこの曲の推薦盤としてはシカゴ交響楽団盤をお薦めするが、本盤をわたしは捨てない。この音楽に浸っている間、しばし浮世の憂さを忘れられること請け合いです。
- Record Karte
- 1966年5月ロンドン、キングズウェイ・ホール録音。
- リーフレット付属。
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