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商品名GB DEC SET323-4 ゲオルク・ショルティ ブルックナー・交響曲7番/ワーグナー・ジークフリート牧歌
ナチス・ドイツ統制下のザルツブルク音楽祭での初演。特殊な環境下で時代の空気を感じさせる曲かと思いきや、モーツァルト回帰的な協奏曲。 ― 不滅のロンドン ffss ステレオ名盤。ホルンのコクのある響きと上手さ、速めのテンポによるダイナミックな進行、そしてゆるやかな部分でのしなやかな旋律の歌。胸のすく竹を割ったような音色に魅せられる好盤。》カラヤンは肉体を冷凍保存しておいて、2015年に蘇らせて欲しいと言っていた。しかし、死の直前のインタビューでは意欲が失せていることがわかる。カラヤンは最後になったブルックナーの7番に満足したのだろう。しかし、若い時からブルックナーの全集をレコード会社に要望したが、ショルティの全集が進んでいたので実現しなかった。ソロはワルター・ウェラー。彼はこの後指揮者に転向しているので、このタイミングで録音しておきたかったのだろう。テルアビブの海岸で散ったケルテスがベストパートナーだったロンドン交響楽団と残してくれた逸品。ホルンの名手、バリー・タックウェルも在籍していた当時のロンドン交響楽団は、技術はもちろん、表現力にもかなり高度なものがあり、また、英 DECCA の優秀な録音技術もあって、この作品本来のロマンティックな味わいを満喫することができます。タックウェルは1955年から68年までロンドン響の首席ホルン奏者を務めた名手で、現在は指揮者として活動しています。レコードも多く、モーツァルトだけでも、1961年(ロンドン交響楽団/ペーター・マーク)、1971年(アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールド/ネヴィル・マリナー)、1983年(イギリス室内管弦楽団「吹き振り」)、さらにもう一度1990年(フィルハーモニア「吹き振り」)にも録音しました。モーツァルトを引き合いに出すのは、4曲のホルン協奏曲がLPレコード一枚分に調度よく、ホルンの神様デニス・ブレインとカラヤンのコンビの不朽の名盤があるからです。数多くのホルンの名手が録音しているし、タックウェルがそれほど多くの指揮者にも人気があったということで、聴き比べるのも退屈しないで楽しいです。オーストラリア出身のタックウェル(1931~ )によるホルン協奏曲集は大作曲家のリヒャルト・シュトラウスの2曲と、その父親で有名なホルン奏者だったフランツの作品をカップリングした好企画でした。ホルンのコクのある響きと上手さ、速めのテンポによるダイナミックな進行、そしてゆるやかな部分でのしなやかな旋律の歌。胸のすく竹を割ったような音色に魅せられて何度も聴いている愛好盤。重厚にして豪快なシュトラウス、若々しさを感じさせるケルテス指揮下、ロンドン交響楽団が良く鳴っているし、気合の入れ方が違う。一般的にもっと聴いて欲しいリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲です。リヒャルト・シュトラウスの音楽はとても多様なところが魅力。20世紀音楽の雰囲気は感じるものの、ナチス・ドイツ統制下の音楽だとはすぐには結びつかないでしょう。リヒャルト・シュトラウスは、ミュンヘン宮廷歌劇場の首席ホルン奏者であった父親の影響もあって、若い頃から作曲を始め、ブラームスの影響を感じるヴァイオリン協奏曲を作曲したのは17、18歳の頃。同時期に作曲したホルン協奏曲第1番は、モーツァルト、メンデルスゾーン、シューマンからの影響を受けている。ホルン協奏曲の中でも、モーツァルトに次いで、演奏頻度の高い曲の一つとなっています。なお、第2番は、約60年後の1942年に作曲されています。第2次世界対戦の只中、ナチス・ドイツ統制下のザルツブルク音楽祭で初演されました。そんな特殊な環境下でどんなに時代の空気を感じさせる曲かと思いきや、モーツァルト回帰的な協奏曲です。イギリスを代表するホルン奏者として一世を風靡したバリー・タックウェルを独奏に、若くして事故死してしまったケルテスが、首席指揮者を務めていたロンドン交響楽団を指揮した演奏です。ケステスはブダペストに生まれ、リスト音楽院で大作曲家ゾルタン・コダーイに学んでいます。1955年からブダペスト国立歌劇場の指揮者となりましたが、1956年ハンガリー動乱で西側に亡命。1960年にアウクスブルク国立歌劇場の音楽総監督に就任し、1963年から亡くなるまでケルン国立歌劇場の音楽総監督を務めました。コンサート指揮者としては1965~68年までロンドン交響楽団の首席指揮者を務め、同時に英デッカにドヴォルザークの交響曲全集を始めとして数多くの録音を行いました。そしてウィーン・フィルへの客演や録音も軌道に乗り、いよいよ巨匠への飛躍の時期だった1973年4月、イスラエル・フィルに客演した際、テル・アビブの海岸で遊泳中に高波にさらわれ溺死しました。まだ43歳でした。ニキッシュに始まり、ライナー、フリッチャイ、オーマンディ、セル、ショルティと続くハンガリー指揮者界の栄誉を受け継ぐ期待のホープであったケルテス。もし、彼が、これからという時期に他界しなかったら、アバドや小澤世代のケルテスの存在は20世紀末の指揮者の勢力地図を大きく塗り替えていたろうと誰もが思っています。1961年録音のウィーン・フィルとの《新世界より》が大評判を呼び、その続編として第8番がロンドン交響楽団と録音されました。以降、1967年に発売された再度の《新世界より》を含め、1968年の序曲集までも録音したドヴォルザークの交響曲、管弦楽曲の全集。ストラヴィンスキーを予見させるような新鮮なモーツァルト、ウィーン・フィルとのシューベルトはとにかくも、ブラームスのセレナードまで含めた交響曲全集へと、DECCAレーベルの入れ込みようは並々ならず。当時のロンドン交響楽団は、技術はもちろん、表現力にもかなり高度なものがあり、また、英デッカの優秀な録音技術もあって、この作品本来の味わいを満喫することができます。ステレオ録音黎明期(れいめいき)1958年から、FFSS ( Full Frequency Stereo Sound )と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国 DECCA レーベル。レコードのステレオ録音は、英国 DECCA が先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマン SX-68 を導入するまで続けられた。英 DECCA は、1941年頃に開発した高音質録音 ffrr の技術を用いて、1945年には高音質 SPレコードを、1949年には高音質 LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英 DECCA は LP・EP にて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でも LP 3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとして ffss( Full Frequency Stereophonic Sound )が使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
GB DEC SET323-4 ゲオルク・ショルティ ブルックナー・…
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