34-19380
通販レコード→ワイドバンド ED1盤[オリジナル]

GB DECCA SET242-6 ショルティ ワーグナー・ジークフリート

商品番号 34-19380

セッション録音の魅力 父神が制した最強の槍を、先へ歩みだすために息子が、自ら鍛え直した剣で叩き折る轟音に身震いさせられる ― 指環は人類史の一時代が没落してゆく、その発端、その過程、その結末を描いた物語だという人が居ます。そしてワーグナーは指環によって、愛を失い、権力と富のみを追い求める19世紀の資本主義社会を批判したわけですが、その批判は21世紀の現代にもピッタリ当てはまります。ヴォータンは槍の柄を削り出して世界樹を枯らしてしまい、アルベリヒはラインの河底に潜在していた黄金を強奪し、愛を呪って指環を作り上げます。つまり指環には、世界没落の発端は自然収奪・破壊にあるという、毎日新聞紙上を賑せているテーマをワーグナーは19世紀に警笛を鳴らし、そこには贈収賄・企業不祥事・偽造・捏造等々が進捗しない背景にあり、最近では公約違反で話題沸騰の代表選挙で忙しい権力闘争中の某政党はこの指環のストーリーを自らのシナリオとして描いているようです。人間の欲望は何時の世も変らないものだな、とワーグナーがワルハラ城から見下ろしているかもしれない。同時代の指揮者だったサー・レジナルド・グッドオールの伝記の中でイギリス・デッカが「指環」全曲盤をセッション録音する際に、ハンス・クナッパーツブッシュのような19世紀生まれの劇場たたき上げの人物なら、安定した状態では録音時間10分ほどだった技術的課題を抱えてて、完璧を期して何度も部分的に録り直したりする作業を理解しないということも大きかった、としています。楽劇「ジークフリート」は1958年に録音された楽劇「ラインの黄金」の後しばらく中断され、その間にゲオルグ・ショルティがコヴェントガーデンに来ることが決まり、録音再開第一弾として録音されました。ショルティはコヴェントガーデンの音楽監督に就任してロンドンで指環を振るまでは楽劇「ジークフリート」を指揮したことはなく、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の方も戦後はまだ全曲演奏はしていなかったそうなので、この企画がこれ程成功したのはタイミングと、よく言われるプロデューサーらDECCAによるところが大きい。1958年は、全米レコード協会(RIAA)で45/45方式のステレオレコードが規格化された年で、各社からステレオLPレコードが発売される時期でもありました。フランク・シナトラのエピソードにありますが、ポップスでは20本のマイクを使用していましたが、オペラではオーケストラ用に12本、ステージマイク3本、ブラウアーザール用で3本、オフステージ用2本と、合計20本のマイクを使用し、アンペックス社の4トラック・テープ・レコーダーを3台使っての録音。真空管では無く、当時としては出始めのソリッド・ステート(トランジスタ)で構成されたミキシングコンソールで、技術陣も手探りの日々だったでしょう。それにしても、当時の最新鋭の録音機材によるものか、ジョン・カルーショーのマスタリングのセンス(技術)によるものか、40khz以上の周波数成分も存在し、さらに、当代の一流歌手とオーケストラと相まって、ショルティの「ニーベルングの指環」は、不朽の名盤であることは間違いない。今のデジタル録音スタジオでは絶対に禁煙でしょうか、カルーショーや同僚の録音技師もコンソールの前で、灰皿を横に置いて、タバコを吸いながら。歓談の席では、殆どの歌手 ― うるさ型のディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウさえもがタバコを吹かしている。レコーディングの雰囲気が、温かみのあるアナログサウンドになっている一因でもないでしょうか。指揮棒の振り方が分かりにくく、見えにくいので「もっと上げろよ」と怒鳴られることもあったショルティの表現も、「ラインの黄金」の時よりは違和感は少なくて、独特のスタイルとして確立されつつあるところだった。そのような絶妙なタイミングに録音された楽劇「ジークフリート」を聴いたことこそ、わたしがこの作品を最も好むものにしている。(1962年5月,10月 ウィーン・ゾフィエンザール 録音 DECCA)
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