聴いていて空恐ろしい凄さ ― 作曲家が想像した以上の域にまで高めていく。驚異的な技巧と深い教養に裏打ちされた音楽的な表現が印象深いジュリアス・カッチェンの演奏は、抒情的な感情に溺れることなく理知的で、現代人の感覚にもストレートに訴えかけてきます。レパートリーは古典から現代曲まで、またスラヴものからドイツ、フランス、アメリカものまで幅広く、デッカには40数枚のLP録音を残しました。洗練されたカッチェンの美しきピアニズムは本盤でも遺憾なく発揮され、淡々とした美しさを奥深い透明感で貫いて描ききる素晴らしい名演。カッチェンはひとり遥かにブラームスの才能の上を行く。数々の英デッカのオーディオファイルレコードで、カッチェンは弾力的なリズム感と固い構成感で全体を見失わせない実に上手い設計で聴かせてくれる。冒頭から終わりまで息もつけぬ緊張感を味わえます。DECCA レーベルでは早くから録音を開始し、ブラームスのみならずレパートリーの広いカッチェンは、まさに破竹の勢いで演奏活動を行っていた時期に当たります。英 DECCA 社は、この米国の逸材から利益を計上したと関係者から聞いた事が有ります。一頃の DECCA のピアノ部門はカッチェンが背負っていたと云っても過言でないことを証明する名盤。更に付け加えておきますが、ピエール・モントゥーの躍動感溢れる指揮、交響曲第5番を聞いているようです。ブラームスを生涯尊敬し慈しみ続けたモントゥーこそと考えられるかも知れません。収録時カッチェン32歳、モントゥーは83歳の時の演奏です。この後、ちょうど10年後に急逝したことで活動が途切れたことは非常に残念です。ステレオ盤は、SXL2112が初発。録音自体も1960年以前のものとはいえ、鮮明に記録されていました。当時のDECCAの録音技術は驚くべきです。
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ピエール・モントゥーの指揮は冒頭から引きつけるものがある。一言で表現すれば〝大人の風格〟か、明快さ、明朗な演奏。若手のやる気満々の指揮者のような情熱の発散ぶりに驚きを禁じ得ません。メカニックな響きはどこにもなく、細部を緻密に掘り下げるのではなく、全体の曲の雰囲気作りと大きな有機的なフレージングを信条とした演奏は、今聴いても新鮮です。曖昧な部分がなく、それでいてスケールは極めて大きい。テンポにもフレージングにもまったく無理がなく、表情はさりげないのに味わいがあって滋味豊か。モントゥーは、ブルーノ・ワルターと同じで70歳を過ぎてから益々意気盛んといった感じの人物者。健康的な快速テンポはこの老人の何処に潜んでいるのだろうか、微妙なニュアンスの豊かさ、スポーツ的にとどまらない陶酔感、推進力を裏付ける音楽性 … 。晩年残された録音は全て傾聴に値するといいたくなるほどの名演揃いで、加えて、最晩年になってもあまり衰えることの無かった気力・体力にも恵まれた所為か、ステレオ録音にも素晴らしい演奏がたくさん残されている。何かと共通点の多いワルターとモントゥー、永遠に其の名を刻む大家と言えよう。若いが年寄りめいた指揮者が多い昨今、モントゥーのような指揮者が現れる事希求します。しかし思うにモントゥーというマエストロは、「春の祭典」のセンセーショナルな初演等々近代音楽で名を馳せましたが、晩年に近づくにベートーヴェンやブラームスなどの古典モノに傾倒した指揮者ですね。同時期のドヴォルザークの交響曲第7番も唯一の録音。響きの豊かさでもさることながら、気品がありながらも高揚する場面も随所に備えた、まさにこの曲を味わうには最適の盤です。当時まだ第7番はそれほど録音される機会は少なかった作品であり、どちらかと言うと有名な第8番や第9番と多少異なり、民族色を前面に出した解釈が多い曲でしたが、いち早く曲の魅力をグローバルに打ち出したモントゥーの指揮は出色でした。
1959年3月24〜25日ロンドン、ウォルサムストウ・アッセンブリーホールでのモノラル&ステレオ録音
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