音の原色の連続。 ― ストコフスキーによる極彩色オーケストラ・アルバム。レコーディングの時にはオーケストラの前にはダミーの指揮者を置いて行った強者。1940年公開の米アニメーション『ファンタジア』では準備に3年間かけて、9チャンネルのマルチ・ステレオ録音という恐るべきことをやった、SPレコード時代から革新的だったレオポルト・ストコフスキーの演奏だが、派手であり、楽しくあり、音の洪水である。〝音の魔術師ストコフスキー〟の偉大にして華麗さは、楽譜にない楽器を加えたり、音を盛ったりたいそうな異形の行いで終わるものではなかった。ヒューストン交響楽団と1959年3月にエヴェレスト・レーベルに録音したスクリャービンの交響曲第4番《法悦の詩》が長岡鉄男氏の「外盤A級セレクション」では『演奏はストコフスキーらしく、スクリャービンも法悦というよりはテレビ演説みたいな賑やかさがあるが、録音は鮮烈で情報量が多く歪みは少なく音像は驚くほど小さく輪郭鮮明、しっかり定位し、音場も広い。』と評価されていた。ステレオ最初期ながら評判が良い。録音が少ない曲だったこそもあろうが、ストコフスキーのアプローチはいやらしくなり過ぎないほど良いエロさ。スクリャービンが神秘主義に傾倒した後期の代表作。日本語の〝法悦〟は意訳で、原語のまま〝エクスタシー〟として理解するとよい。この標題の意図については、性的な絶頂を表すと考えるほかに、宗教的な悦びを表す、あるいは両者を包含しているという解釈もある。2つの動機をモチーフとした主題で曲は展開され、しだいに、大きくうねるように盛り上がり、金管楽器のトランペットによる頂点が繰り返される。かつては、オルガズムを期待してこの楽曲を聴いてみたけれど、ストコフスキーがもたらす〝エクスタシー〟は、もう結構とならず、また強弱のバランスやあっさりしすぎず、もう一度聴いてみたいと思わせる。ストコフスキーはコンテンポラリーを振るときは、大胆な事をせず、真面目に演奏しているが、同時代の音楽家へのリスペクトだろうか。しかし、決して退屈にはならないのがストコフスキーの凄い所で、鈍急、メリハリを付けて、この演奏はかなり良い。エヴェレスト盤から12年隔てた今回の本盤の録音だ。オーケストラの各楽器に光を当て、楽器の輝かしさを徹底的に際立たせる。それがストコフスキー録音の特徴であり、最新のデジタル録音では得られない面白さ。ドヴォルザークの《スラヴ舞曲集》は、ブラームスの強い勧めで作曲されたもので、最初は4手のためのピアノ曲として作曲が進み、途中からは管弦楽曲として作曲された。ブラームスの《ハンガリー舞曲集》に似て軽快で親しみやすい作品に仕上がっており、現在でもしばしば演奏される。
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さて、戦前の日本におけるストコフスキーの代表盤と言えば、ドヴォルザークの交響曲「新世界」とリストの「ハンガリアン・ラプソディ」でしょう。1937年に製作された映画「オーケストラの少女」でも使われました。この映画の大ヒットのおかげで、それまでクラシック音楽に縁のなかった多くの大衆が、その楽しさに開眼したそうです。当時の日本のレコード店には、それまで流行歌しか聞かなかったような半纏姿の丁稚さんが、このレコードを買いに押しかけて来たそうです。レオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski)は老いを知らない、まるで逆に年をとっているのではないかと思われるほど、いつまでも若さを失わない指揮者である。あの見事な銀髪、ギリシャ彫刻を思わせるような、彫りの深い芸術的な顔。指揮棒をすて、しなやかな10本の指から創りだされる表情豊かな音楽。彼は言葉では表現できないふしぎな魅力をもった指揮者である。1882年、ポーランド人を父に、アイルランドの移民を母としてロンドンに生れた彼は、オルガニストとして音楽の第一歩を踏みだした。13歳で王立音楽大学に入学。1902年、ピカデリーの聖ジェームズ教会のオルガニスト、聖歌隊指揮者となり、1903年にはオックスフォード大学クイーンズ・カレッジで音楽学士号を取得。1905年アメリカに渡りニューヨークの聖バーソロミュー教会でオルガンを弾いていたが、夏の間はヨーロッパで研究を続けていた。1909年、パリで急病の指揮者の代わりに指揮をしてデビュー。その成功がきっかけで、シンシナティ交響楽団の常任指揮者に就任。ごく短期間のうちにその実力を相当な高みにまで引き上げた。そしてその腕が買われ、1913年、弱冠31歳でフィラデルフィア管弦楽団の常任に迎えられた。それから24年間 ― 1912年から1940年まで常任指揮者として同楽団を世界最高水準のオーケストラに育て上げたのである。その後、ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団、ヒューストン交響楽団の指揮者をつとめ、その後みずから、全米青少年管弦楽団(1940年)、ニューヨーク市交響楽団(1944年)、ハリウッドボール交響楽団(1945年)、アメリカ交響楽団(1962年)を次々に結成し、その育成に心血をそそぐことでアメリカの交響楽運動の第一線にたち続けた。ストコフスキーは20世紀における個性的な指揮者の一人で、主にアメリカで活動した。SP時代に初めてブラームス全集を出したり、映画音楽を数多く録音したり、とにかく自由奔放に活動した。レパートリーは格段に広い。20世紀のアメリカの、いや世界の大衆にバッハ音楽を紹介した最大の功労者と言ってよい。1941年、フィラデルフィア管との戦前最後の演奏会がヨハン・ゼバスチャン・バッハの《マタイ受難曲》であったということが示すように、ストコフスキーにとってバッハの音楽は常に大切なよりどころでもあった。オルガニスト、音楽学者として活躍した20世紀初頭に、ロンドンとオックスフォードでイギリスのバッハ復興運動の第一線にいた経験が、まさに彼のルーツであり、大管弦楽のための数多くのバッハ編曲も、そうした背景から理解できる。一方で1971年までに指揮した7,000回の演奏会のうち、新作の初演はじつに2,000回に及ぶなど、現代音楽の紹介者としての功績も忘れてはならない。その音楽に対する情熱とスケールの大きさには驚かされる。どんな曲でも新鮮な刺戟的な演奏をし、たとえばホルンに強烈なビブラートをかけるのも特徴的で、さらに弦に関しては耽美的、神秘的な響きである。〝ストコフスキー・サウンド〟とか、〝音の魔術師〟と呼ばれた、それはまったく「怪物」という印象であった。
- Record Karte
- Stokowski Conducts Scriabin, Rimsky-Korsakov, Dvořák, The Czech Philharmonic Orchestra, The New Philharmonia Orchestra – Le Poème De L'Extase / Capriccio Espagnol / Slavonic Dance In E Minor Op.72 No. 2.
- Side-A
- Le Poeme De L'Extase Composed By – Scriabin, Orchestra – The Czech Philharmonic Orchestra, Recorded:live in The House of Artists, Prague on 7th-8th September 1972
- Side-B
- Capriccio Espagnol, Op. 34 Composed By – Rimsky-Korsakov, Orchestra – The New Philharmonia Orchestra, Recorded:lin the Kingsway Hall, London on 17th-18th June 1973
- Alborada
- Variazioni
- Alborada
- Scena E Canto Gitano
- Fandango Asturiano
- Slavonic Dance In E Minor, Op. 72 No. 2 Composed By – Dvořák, Orchestra – The Czech Philharmonic Orchestra, Recorded:live in The House of Artists, Prague on 7th-8th September 1972
- Capriccio Espagnol, Op. 34 Composed By – Rimsky-Korsakov, Orchestra – The New Philharmonia Orchestra, Recorded:lin the Kingsway Hall, London on 17th-18th June 1973
- Side-A
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2018-01-26
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