34-5495

商品番号 34-5495

通販レコード→英オレンジ銀文字盤

〝ウィーン・フィルのブルックナー〟 ― まず本盤を選んだ理由は、英デッカ社の製作陣と録音場所に有ります。名前を聞いただけで良い音がする予感がします。ウィーンの残響豊かなソフィエンザールで、ジョン・カルーショーの残党レイ・ミンシャル&ジェームス・ロック、コーリン・マーフォート、ジャック・ロウが当時スターの階段を上っていたインド人メータを起用して入れたブルックナーということで ― ダイナミックな迫力、ティンパニのクリアな轟き、躍動的なリズム、艶っぽい響き、同じヘルベルト・フォン・カラヤン&ウィーン・フィルとはまるで異なる聴き応えです。力感も十分あり、特にホルンは他のオーケストラでは聴けない独特の音色を思いっきり強奏させて痛快。強奏部でのブルックナー特有の同音反復の洪水の中に少しでもメロディックな動きが埋もれていると、そこは必ず、きちんと耳に届くように強調されていました。盛り上がりが一段落してやや静かな雰囲気に流れていくはずの部分で〝ハイドンの驚愕〟を髣髴させる強烈な一撃、新しいブルックナーの解釈かと思ったほどです。〝ブルックナーの9番〟という曲の性格とはちょっと違うのではないか、と思われるかも知れませんが、これは、楽曲の持つ許容の深さの中で十分ありえるアプローチでしょう。若いメータを迎えたウィーン・フィルとデッカ・スタッフが生み出した〝このときしか出来ない〟演奏だったのかも知れません。録音が良いから、殊更にブルックナーが苦しみ抜いて世に説いた複雑怪奇な〝第9番〟が、透けて聴こえるのです。スコアに含まれた〝歌〟を丹念に、耳にはっきり聴こえるようにクローズアップしていく録音。若きズービン・メータが29歳のときに、はじめてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した名演。1960年代ウィーン・フィルのデッカ録音の魅力全開。木管のソロは、スポットライトを当てるのも当然と言えるほどの美しさ。その美しさは煌びやかさや光沢の度合いではなく、特徴あるウィーン・フィルの楽器の音色をリアルな質感で捉え、ゾフィエンザールを満たす豊かな響きを捉えた名盤です。この年の秋と翌年にイギリス・デッカは、ウィーン・フィルとブルックナーの交響曲をゲオルグ・ショルティの指揮で第7番と8番。1969年にはクラウディオ・アバドと第1番。1970年以降に、カール・ベームと第3番と4番。ロリン・マゼールと第5番、ホルスト・シュタインと第2番と6番を録音し、ウィーン・フィルによるブルックナーの交響曲全集がデッカにより完結、日本でも国内盤でそれが売り出された。今ではブルックナーの9つの交響曲を一人の指揮者で、全集録音することは珍しくありませんが、一曲一曲が巨大で、レパートリーにできているオーケストラはそうそうなかった。そのように発展していく最大の理由がこの〝メータの9番〟だったのだ。ヘルベルト・フォン・カラヤンの後継者に目されるほどの聴かせ上手だった若き日のメータは1962年からロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督に就任。デッカ=ロンドンの売れっ子指揮者として、録音効果のあがるダイナミックな音楽ばかりで勝負していくことになる。メータとロサンジェルス・フィルが、UCLAのロイス・ホールでセッション・レコーディングで制作したアルバムは、どれも音質が良く、演奏も当時の彼らならではの勢いの良さとダイナミックな力強さが気持ちの良いものばかりで、そうした傾向と作品の性格が合致した場合は無類の心地よさを感じさせてくれたものでした。1959年にはウィーン・フィル、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビューし、大成功を収めたのは若干23歳の時。いまや、コンサートのみならず、オペラにおけるレパートリーも広範にわたる。響きは豊潤、スケールは雄大であり、かつての巨匠指揮者を偲ばせる芸風である。新型コロナウイルス禍で定期コンサートが中止となり、新しい演奏会の放送がなく、NHKのETV「クラシック音楽館」で東日本大震災からおよそ1か月後の2011年4月10日に東京文化会館で行われたNHK交響楽団のチャリティー・コンサートが再放送されたのは不幸中の幸いとなった。リズムの扱い、弦楽の旋律に埋もれない木管のフレージング、打楽器のアクセント。哲学や解釈に頼らず、ベートーヴェンが思いを託してスコアに書き込んだ音を、丁寧に掬い上げることで聴衆と、演奏者の間に共感と感動が生まれ出る。東日本大震災が起こった後、来日を中止した演奏者も多かった中で、聴きたい音楽への渇望、演奏家も音楽を届けたかった思いが素晴らしい演奏として結実していた。新型コロナウイルス禍後のこれからの演奏会で、この時の感動をもっと数多く経験するだろう。こうした場面でのメータは力を最大限に発揮する。まずテンポとリズム感が良い。そして一音一音を美しく響かせ、音楽の流れが自然でそしてふんわりと浮くように軽い。いたずらにアクセントを強調するわけでなく、快活そのもの。テンポの推移はスムーズで、ワクワクして聴ける。メータはヴィルヘルム・フルトヴェングラーに私淑していたということなので、20歳でフルトヴェングラーがデビューした時にも指揮したこの曲に対し、並々ならぬそれを以って臨んだのではないかと思われる。比較的ゆったりとした演奏で、肉厚でなかなか壮麗かつ悠揚としたものになっている。ハンス・クナッパーツブッシュ、オットー・クレンペラー、カール・シューリヒトといった大御所が、まだ存命していた時期の録音。〝ハッタリのないブルックナーの交響曲第9番の快演盤〟のひとつで、壮麗なサウンドをもったいぶらずに輝かしく響かせ、まっとうなテンポと声部バランスによって作品の細部に至るまで丁寧に示しています。後期ロマン派における最大の交響曲作曲家の一人であるブルックナー。音楽もことさら深刻にならず、自然な流れの方が強く印象残る。
  • Record Karte
  • 1965年5月ウィーン、ゾフィエンザールでのセッション、ステレオ録音。
  • GB DEC LXT6202 メータ ブルックナー・9番
ブルックナー:交響曲 第9番
Universal Music LLC
2009-07-14

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ステレオ録音黎明期の1958年から英国デッカレーベルは、〝Full Frequency Stereophonic Sound(FFSS)〟と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた。レコードのステレオ録音は、英国デッカが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英デッカは、1941年頃に開発した高音質録音〝ffrr〟の技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英デッカはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLP3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとして〝FFSS〟が使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。クラシックの録音エンジニアの中で、ケネス・ウィルキンソンは一部のファンから神のように崇められている。サー・ゲオルグ・ショルティはデッカレーベルで、ゴードン・パリー、ケネス・ウィルキンソン、ジェームズ・ロックの3人に限って録音をしているほどだ。録音の成功はプロデューサーにかかっている。また内田光子が「真に偉大なプロデューサー」と語ったエリック・スミス(1931〜2004)は、デッカとフィリップスで35年間にわたって活躍し、数々の名盤を世に送り出しました。名指揮者ハンス・シュミット=イッセルシュテットを父に持つ彼は、その父親と組んでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団初のステレオ録音全集を完成させる。当時ウィーン・フィルのシェフであり、録音の偉業を望んでいたヘルベルト・フォン・カラヤンではなかった理由はそこにありそうだ。指揮者よりも、エンジニアが主導権を持っているようだったとセッションの目撃証言がある。またズービン・メータの「展覧会の絵」の第1回の録音セッションに居合わせたレコード雑誌の編集長は、デッカのチームはホールの選択を誤った、と感じていた。指揮者のメータはそれまでの分を全部録り直すようだろうと予見していたが、プレイバックを聴いたら、その場で聞く音とは比較にならない〝素晴らしい〟出来に化けていたという。もちろんそれが商品として世に出ることになる。マイク・セッティングのマジック、デッカツリーの威力を示すエピソードですが、デッカでは録音セッションの段取りから、原盤のカッティングまでの一連作業を同一エンジニアに課していた。指揮者や楽団員たちは実際にその空間に響いている音を基準に音楽を作っていくのだが、最終的にレコードを買う愛好家が耳にする音に至って、プロデューサーの意図するサウンドになるというわけだ。斯くの如く、演奏家よりレコードを作る匠たちが工夫を極めていた時代だった。

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