34-5493

商品番号 34-5493

通販レコード→英オレンジ銀文字フラット盤

各楽章ごとに性格が違う、ヴォーン=ウィリアムズの粋な演出が魅力。 ― 交響曲第8番は1953年から1955年にかけて作曲された。2管編成のやや小規模な曲で、長さも30分に満たないが内容はとても好ましい。いわゆるイギリス郷愁たっぷりの映画音楽的ヴォーン=ウィリアムズ節ではなくて、スッキリとした中にほのかな情緒をにじませたような曲調が清々しいのだ。20世紀中庸に書かれた交響曲としては現代音楽の最先端を切り開いたというような曲でもないし、激しい緊張感や聴く者をぞっとさせるような奇怪なフレーズもないので、刺激に乏しく話題に登り難いのだろうけど、音楽は激しさや話題性だけで評価するものでもない。佇まいから受ける印象も、よくよく聴くと吟味された拘りがある。フォーマルの装いが体型にフィットサイズであることのみならず、ネクタイピンからカフスまで仕立てに含まれているようなものである。楽章ごとに楽器編成を変えることによって、それぞれの楽章の性格の違いを浮き彫りにしている。第1楽章は、「ファンタジア」という表題を持つ異質な変奏形式の楽章で、さらに「主題のない変奏」という副題をつけている ― 後に「主題を探す7つの変奏」と付け加えている。第2楽章は管楽器のみによって演奏されるスケルツォで、歯切れの良いウィットな旋律が面白い。弦楽器は全員が休んでいるが第3楽章は7部に分かれて合奏する弦楽のみで荘厳かつ情感豊かに演奏される。第4楽章はパーカッションをふんだんにとり入れたゴージャスな音の饗宴を聴かせてくれる。使われる打楽器は、トライアングル、シンバル、大太鼓、小太鼓、ヴィブラフォン、シロフォン、グロッケンシュビール、チューブラーベル、音程のあるゴングとかなり多彩で、打楽器奏者は5人も用意しなければならない。このような一風変わった音楽表現によって聴く者を楽しませてくれるところがレイフ・ヴォーン=ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams, 1872年10月12日〜1958年8月26日)の魅力の最たるものだろう。翌1956年5月2日にサー・ジョン・バルビローリ指揮のハレ管弦楽団によりマンチェスターで初演されました。本盤は1956年録音。交響曲第2、3、4、6番を初演するなど、ヴォーン=ウィリアムスの音楽を世に広めることをライフ・ワークとしていたボールト卿による録音となった。サー・エードリアン・ボールト指揮の1952〜1956年のモノラル録音が第1回のヴォーン=ウィリアムズの交響曲全集。作曲家存命中で、まだ第9番が作曲されていなかった頃で第1番から第8番となる。《二重弦楽合奏のためのパルティータ》は1946年から1948年にかけて書かれた作品で、もともとは二重の弦楽三重奏のために書かれた室内楽作品でしたが、のちに拡大されて二重弦楽合奏のための作品に変貌。そのため第2ヴァイオリン・パートなしという変則的な編成となっています。曲調は新古典主義的な傾向を感じさせるもので、晩年のヴォーン=ウィリアムズらしいドライさを基調に、ときおり美しい旋律を交えながら進められて行きます。
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ボールトは「私は常に指揮をとるということは、船の船長になるようなものだと思ってきた。私には石油のドラムカンといっしょにころげまわる理由はまったくない」と言った。ボールトというと、長命だったこともあってか晩年の老成した演奏のイメージが強いのですが、1950年代までの彼は、ときにかなりアグレッシヴな演奏も行うという、爆演も辞さぬ積極的な芸風の持ち主であったことはマニアにはよく知られています。エルガーやホルスト等も得意としたイギリス音楽のスペシャリストとされるボールトによるヴォーン=ウィリアムズは、サー・ジョン・バルビローリ指揮のものと並んで決定版と言えるものです。長寿の作曲家と長寿の指揮者の組み合わせでもあり、極めて〝イングリッシュ〟な両者の取り合わせでもある。つまり、一歩間違えれば時代錯誤も甚だしいアナクロに陥るものが、まさに芸術の域に昇華されているわけで、極めてイギリス的な際どさがスリリング。英国の巨匠サー・エードリアン・ボールトはオックスフォード大学で音楽の学位を得たのち、ライプツィヒ音楽院でマックス・レーガーに作曲を学ぶ傍らハンス・ジットに指揮を学びますが、この地でボールトが最も感銘を受けたのは、アルトゥール・ニキシュによるリハーサルやコンサートの数々だったといいます。ボールトは20歳代初めの若い頃、ライプツィヒで偉大な指揮者ニキシュに私淑したが、晩年に至るまで讃仰の気持ちは変わることがなかった。「ニキシュは私などよりももっと簡素だった。今日、若い世代の指揮者たちには余りにも跳び回る傾向がある。もっとも、彼らはそうすることを期待されているのかもしれないがね。また最近の傾向としては、総体的な建築的構成を犠牲にしてディテール(細部)をほじくることが著しく目立っていると思う。」とは、ボールトの現代批判であるが反面、聴き手はボールトに一種の安全弁のようなものを見出していたようである。少なくともイギリス人はそうであった。ボールトが英国音楽だけでなく独墺系音楽も得意としていたのは、そうした事情が背景にあるとも思われ、これまでにも両分野での人気には絶大なものがありました。どれも堂々たる仕上がりのボールトらしい立派な演奏でリズムの弾力性の高さもボールトの多くの録音の中でも群を抜くもの。ここでもアンサンブルはかっちりと凝縮されており、極めて清潔なその響きにも酔いしれます。
英国の巨匠エードリアン・ボールト(Adrian Boult, 1889~1983)は、20世紀の英国の生んだ最もノーブルな指揮者として知られています。オックスフォード大学を経てライプツィヒ音楽院に留学、マックス・レーガーに作曲を学ぶ傍らゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者だったアルトゥール・ニキシュに私淑し、大きな影響を受けています。イギリスに帰国後、直接親交のあったエルガー、ホルスト、ヴォーン・ウィリアムズらイギリスの作曲家の作品を取り上げて高く評価され、1930年には新しく創設されたBBC交響楽団の初代首席指揮者に就任、幅広いレパートリーをイギリスに紹介しています。中でもボールトの代名詞ともいうべき作品がホルストの組曲「惑星」です。1945年のBBC響とのSP録音(EMI)を皮切りに、ボールトは生涯に「惑星」を5回録音も録音しています。1918年9月ロンドンのクイーズ・ホールにおける作品の非公開の全曲演奏(私的初演)が行われた際にホルストからの依頼で指揮をとったのがボールトであり、その成功によって「《惑星》に初めて輝きをもたらし、作曲者の感謝を受けたエイドリアン・ボールトに」という献辞の書き込まれた印刷譜を作曲者から送られています。戦後はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、バーミンガム市交響楽団の首席指揮者を歴任しつつ、イギリス音楽界の大御所として1981年、92歳という高齢で引退するまで矍鑠とした指揮活動を続けました。ボールトはJ.S.バッハからハヴァーガール・ブライアンまで幅広いレパートリーで卓越した演奏を聴かせる指揮者でしたが、最も得意とするのはイギリス音楽とニキシュの影響を強く受けたドイツ・オーストリア音楽でした。イギリス人にいわせると軍服ならぬエンビの退役将軍、あるいはパブリック・スクールの老校長を想わせるというが、姿勢の正しさと無駄のないキビキビしたジェスチュアは、まさしく老将軍といった面影をそなえている。ボールトは柔和な表情のうちに威厳を兼ね備えている。一見してイギリス人らしい風貌の持ち主である。ボールトはSPレコードが電気吹き込みになる以前の1920年代からイギリスの様々なレーベルに録音しているが、その中の大手である英 EMI がボールトを発見したのは、1966年、ボールト77歳のときだった。80歳の誕生日祝いのコンサートを振った折り、ボールトはふと、こんなことをもらした。「レコード会社は、ほぼ10年ほど前に私がまだ生きていたってことに突然気づいた。こんなに忙しいのは嬉しいことだが、私がもっと元気だった、それより10年前(60歳代)に起こったらねえ」。一口にいってボールトは極めて地味な指揮者だったから、人気者で名物男だったサー・トーマス・ビーチャムが、1961年に82歳で没し、公衆のアイドルだったサー・マルコム・サージェントが1967年に72歳で没し、芸術の夕映えに輝いていたサー・ジョン・バルビローリが1970年に70歳で没したのち、サー・エードリアン・ボールトが浮上していたというわけである。晩年の10年間、ボールトの録音に協力したクリストファー・ビショップの談によると、80歳代の高齢にもかかわらずボールトの耳は以前としてシャープであり、老眠鏡もかけずに、こまごまとした手書きスコアを読むことができ、健康な食欲に恵まれ録音スタジオのキャンティーン(簡易食堂)で楽員たちと同じ食事をうまそうに平らげていたそうである。
第2次世界大戦勃発(ぼっぱつ)直前の1941年頃に潜水艦ソナー開発の一翼を担い、その際に、潜水艦の音を聞き分ける目的として開発され、当時としては画期的な高音質録音方式であった。1945年には高域周波数特性を12KHzまで伸ばしたffrr(Full Frequency Range Recording 、全周波数帯域録音)仕様のSP盤を発売し、1950年6月には、ffrr仕様の初のLP盤を発売する。特にLP時代には、この仕様のLPレコードの音質の素晴らしさは他のLPと比べて群を抜く程素晴らしく、当時のハイファイ・マニアやレコード・マニアに大いに喜ばれ、「英デッカ=ロンドンのffrrレコードは音がいい」と定着させた。LP第1回発売には、J.S.バッハ作曲「ブランデンブルク協奏曲第4&6番」(LXT-2501、12インチ盤)、同作曲「管弦楽組曲第3番」(LX-3001、10インチ盤)があった。演奏はいずれも、カール・ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団によるものである。本盤はDecca ffrr Silver inner-groove。英国DECCA ffrr録音LP、LXTナンバーのオリジナル。1958年頃までのプレスで、オレンジ地に銀文字の『内溝』タイプ。耳マークがあります。音場型のステレオ盤に比べてモノラルは音像型。総じてモノラル盤の音質はステレオ盤より中低音域が厚く、コシがあるので同じ演奏のステレオ盤より明らかに好ましいものも少なくない良い音です。また、こうしたモノラル盤は単にモノーラルになっているだけではなく、ステレオ盤とは別にセッション録音したのがあります。モノーラル盤はステレオ盤より力感があり、そこはブルーノートのモノラル盤と共通していますが奥行きでオーケストラの存在感を出している点で、わたしはオレンジ・レーベル盤が好きです。
GB DEC LXT5314 ボールト ウィリアムズ・8番