〝聖なる民族を代弁する精神主義者ブロッホ〟 ― エルネスト・ブロッホは1880年7月24日スイス、ジュネーヴのユダヤ系時計商の家に生まれ、1959年7月15日アメリカ、オレゴン州ポートランドでガンのために79歳で他界した。生前ブロッホは自分の経歴について次のように語っている。
私の故郷はわたしの父と祖父の家のあるジュネーブです。私の経歴は全く平凡極まるものです。ジュネーヴで私はエミール=ジャック・ダルクローズに作曲を学び、16歳の時ブリュッセルでウジェーヌ・イザイについてヴァイオリンを習いました。同地で3年独学してから古典に魅せられてドイツにゆきました。フランクフルト・アム・マインにおける私の師匠はイヴァン・クノールでした。彼は造詣深い偉大な教育者でした。彼はあらゆる偉大なことを私に教えてくれたのです。いわば彼はわたしが自分自身を教育することを私に教えてくれました。真の教師はあなた方が自分で自分を教育する術を啓発してくれるものです。自分で努力して得たもの、長い間の不信の熟考の後に発見したものだけが真に役に立つのだから。私はフランクフルトへくる前に和声に精通していたので私の師を満足させるに充分だったけれども、私はもう一度クノール師に基本からやり直してもらいました。私は2、3ヵ月でその教課をマスターしてしまいました。彼は私に深く内省する機会を与えてくれたのです。私が同地で現在の妻と逢ったのもこの頃でした。それから私はミュンヘンで、しばらくルートヴィヒ・トゥイレ師について学びました。ミュンヘンで最初の交響曲を書き、パリに行きました。1916年に舞踊家モード・アラン一座の専属指揮者として渡米したブロッホはそれがきっかけとなってアメリカに住み着くようになった。翌1917年に初演されたヘブライ狂詩曲《シェロモ》によって特異的な作曲家して注目された。ブロッホはひじょうに人望のあった人物で次のようなポストを歴任した ― クリーヴランド音楽院長、サンフランシスコ音楽院長、晩年はオレゴン州の海岸で悠々自適、作曲三昧の生活を送った。
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1979年に、イギリスの実業家ブライアン・カズンズによって設立された、クラシック音楽を専門とするイギリスのインディペンデント・レコードレーベルとしてスタートしたシャンドス・レコードが初めて制作した録音が、ブロッホの『神聖祭儀』(アヴォダート・ハコデシ)であった。指揮をしたジェフリー・サイモンは、カズンズについて、大変優れた耳を持っており、常人には聴こえない音を聴くことができるエンジニアだったと語っている。1983年以降、CDの一般への普及とともに、シャンドスはその業績を急激に伸ばしていった。2005年にはクラシックレーベルとして初めて、MP3形式でのダウンロード販売を開始した。シャンドスのダウンロードサイト「The Classical Shop」では現在Naxos、LSO Live、Coro、Avie、Onyxなど、2015年時点で270を超えるレーベルの音源をダウンロード販売している。CDマーケットの変化と落ち込みにより、社屋の移転やスタッフ削減を余儀なくされていたシャンドスであったが、このダウンロード販売によって「救われた」とカズンズは述べている。民族の血を共有するからか、サイモンは真摯で熱のこもった演奏を聴かせる。ブロッホの代表作と呼べそうな作品なのに、現役盤は他にはほとんど見受けられない。ブロッホによる、ユダヤ教会堂の典礼音楽。深い祈りの気分とオリエンタルな雰囲気、充実した管弦楽の響きの融合が魅力の作品です。管弦楽は3管もしくは4管、ハープ、チェレスタを含む大きな編成です。ユダヤ風の旋律はあまりなく、エキゾチックでもないですが、典礼らしい荘厳さに加え、多彩なリズムと音色で迫力ある高揚を見せています。調性はミクソリディア旋法(ソラシドレミファ)を用いており、明るく喜ばしい雰囲気に満たされ、明快で開放的。ヘブル語で歌われるテキストは「詩編」「申命記」「出エジプト記」「イザヤ書」「箴言」などから採られている。スティーヴン・スピルバーグ監督のインディ・ジョーンズ・シリーズの第1作、「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」で描かれる「契約の箱(アーク)」について歌われている部分もある。本盤では、デイヴィッド・スティーヴンス作詞の英語歌唱で録音されている。作曲者自身による指揮、マルコ・ロートミュラー(1908〜1993)のバス・バリトンは荘厳で力強く響き、高音部は華やかで、感動を誘います。ロートミュラーは、クロアチア出身のバリトン。1932年にハンブルクでデビュー。1935から1947年にチューリヒ歌劇場に所属。ニューヨーク・シティ・オペラやメトロポリタン歌劇場でも活躍し、その後アメリカに移住しまた。モーツァルト・オペラのバリトン役や、シューベルトのリートを得意とする一方、当時の現代音楽も得意とした知性派バリトンです。クレメンス・クラウスの指揮で、リヒャルト・シュトラウスの楽劇《サロメ》でヨハナーンを歌ったデッカ録音や、20世紀を代表する大音楽家の1人であるバルトークのカンタータ・プロファーナ「魔法にかけられた鹿」を息子のピーター・バルトークによる名録音をリリースしていたバルトーク・レコードに録音してもいます。
ステレオ録音黎明期の1958年から英国デッカレーベルは、〝Full Frequency Stereophonic Sound(FFSS)〟と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた。レコードのステレオ録音は、英国デッカが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英デッカは、1941年頃に開発した高音質録音〝ffr〟の技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英デッカはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLP3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとして〝FFSS〟が使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。クラシックの録音エンジニアの中で、ケネス・ウィルキンソンは一部のファンから神のように崇められている。サー・ゲオルグ・ショルティはデッカレーベルで、ゴードン・パリー、ケネス・ウィルキンソン、ジェームズ・ロックの3人に限って録音をしているほどだ。録音の成功はプロデューサーにかかっている。また内田光子が「真に偉大なプロデューサー」と語ったエリック・スミス(1931〜2004)は、デッカとフィリップスで35年間にわたって活躍し、数々の名盤を世に送り出しました。名指揮者ハンス・シュミット=イッセルシュテットを父に持つ彼は、その父親と組んでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団初のステレオ録音全集を完成させる。当時ウィーン・フィルのシェフであり、録音の偉業を望んでいたヘルベルト・フォン・カラヤンではなかった理由はそこにありそうだ。指揮者よりも、エンジニアが主導権を持っているようだったとセッションの目撃証言がある。またズービン・メータの「展覧会の絵」の第1回の録音セッションに居合わせたレコード雑誌の編集長は、デッカのチームはホールの選択を誤った、と感じていた。指揮者のメータはそれまでの分を全部録り直すようだろうと予見していたが、プレイバックを聴いたら、その場で聞く音とは比較にならない〝素晴らしい〟出来に化けていたという。もちろんそれが商品として世に出ることになる。マイク・セッティングのマジック、デッカツリーの威力を示すエピソードですが、デッカでは録音セッションの段取りから、原盤のカッティングまでの一連作業を同一エンジニアに課していた。指揮者や楽団員たちは実際にその空間に響いている音を基準に音楽を作っていくのだが、最終的にレコードを買う愛好家が耳にする音に至って、プロデューサーの意図するサウンドになるというわけだ。斯くの如く、演奏家よりレコードを作る匠たちが工夫を極めていた時代だった。
- Record Karte
- アヴォダート・ハコデシ(神聖祭儀)(英語歌唱)、作詞 : デイヴィッド・スティーヴンス - David Stevens、マルコ・ロートミュラー - Marko Rothmuller(バリトン)、ドロシー・ボンド - Dorothy Bond(ソプラノ)、Doris Cowan(コントラルト)、ロンドン・フィルハーモニー合唱団 - The London Philharmonic Choir、Chorus Master – Frederick Jackson、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 - London Philharmonic Orchestra、エルネスト・ブロッホ - Ernest Bloch(指揮)。録音:14-19 October 1949, Kingsway Hall, London. 1950年6月リリース。
Naxos Classical Archives
2000-01-01
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