GB DECCA ACL320 カーゾン・クナッパーツブッシュ ブラームス・ピアノ協奏曲2番
商品番号 34-28698
通販レコード→GB "Ace of Clubs" WHITE WITH BLACK LETTERING, MONO 140g盤
緊張感と厳しさに貫かれた名演 ― 情熱的なピアノが感動を呼ぶ。相性の良いクリフォード・カーゾンと、信念あるハンス・クナッパーツブッシュの指揮が呼応した、両者を代表する名盤。どちらも一歩も引かない印象が強いことと、キャラクターが異なる印象を与えるためか、ちぐはぐな演奏を想像しがちですが、実際は相性が良く、オーケストラを含めて方向性が合致した熱演を繰り広げています。クナッパーツブッシュがソロに寄り添った端正な佇まいだが、時々見せる悪魔的な深淵がいかにもクナッパーツブッシュらしい。同じブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」はイギリスDECCAで3回録音があるものの、この《第2番》のスタジオ録音は、ジョン・カルショウのプロデュース、ゴードン・パリーとジェームズ・ブラウンのコンビにより1957年10月に録音された、この1回限りでした。カーゾンとクナッパーツブッシュとのDECCA録音は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲「第4番」、「皇帝」を録音しただけでしたが、ライヴでの共演は何度かあり、ザルツブルク音楽祭で、1955年7月26日に共演していて、その日の演奏はオール・ブラームス・プログラムとして、「悲劇的序曲」、ピアノ協奏曲第2番、交響曲第3番がビルドされた。クナッパーツブッシュのコンサート記録を調べてみると、ブラームス・ピアノ協奏曲は多いとは言えないが、1950年までに第2番を振ったという記録がなく、1955年以降は第1番を振った記録がない。ブラームスのピアノ協奏曲第2番では1957年のDECCA録音の関係で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との共演が多そうに思えたが、実際にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との方が多いのも面白い。第1番の録音はまだどこからもリリースされたことがなく、残念だが聞くことはできない。さらに、第2番では1957年4月中旬にクラウディオ・アラウと3日間のコンサートを開いているのだが、本盤の録音に備えての事だったのか参考にしたかったが。この盤でもカーゾンのピアノは透明感がありながらも力強い演奏を随所に聴くことができます。カーゾンの美しく華麗な技巧の数々を、老巨匠クナッパーツブッシュがしっかりと受け止めて、白熱した演奏を展開。テンポは遅く格調高い。聴きごたえ充分のブラームスを楽しめること間違いなしです。ステレオならウィーンの管楽器の音色をより堪能できるが、モノラルの渋い音が演奏と調和し不足は感じられない。当時のDECCAの高品位な録音技術は現在でも目を見張るものがあり、モノラル録音でありながらもその鮮明さや力強さに今さらながら驚くことでしょう。数あるこの曲の録音の中でも、常に「最高峰」とされる永遠の名演が、この録音です。
- Record Karte
- 1957年10月21〜24日 ウィーン、ゾフィエンザールでのモノラル録音。ブラームスの名手カーゾンがクナッパーツブッシュ&ウィーン・フィルと共演した、ブラームス・ピアノ協奏曲第2番の名録音。LXT5434の再販盤です。
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クリフォード・カーゾン(Clifford Curzon, 1907.5.18〜1982.9.1)は録音嫌いだったとはいえ、ディスコグラフィーを眺めると随分とレコード発売している。カーゾンは弾力的なリズム感と固い構成感で全体を見失わせない実に上手い設計で聴かせてくれるピアニストです。ブラームスのエッジの効いた冒頭から終わりまで息もつけぬ緊張感を味わえます。磨きぬかれた輝かしい音色、ニュアンスに富んだ表現力、優れた音楽性、筋のよい安定したテクニックと、汎ゆる面において現代のピアニストの水準を上回る。ハンス・クナッパーツブッシュのどっしりとしたサポートの上での感興溢れるこの共演盤は、この曲のベストの演奏のひとつとして永年君臨してきました。デッカ録音の優秀さもあるのでしょうが、ピアノの響きの透明感は秀逸です。その透明感は薄氷の繊細さを透かすようなものではありません。それは、剛毅と言っていいほどに鳴らすところはかなり豪快にならしきっていても、ピアノの音は全く持って混濁せず、驚くほどの透明度を保っています。そして、そのようなピアノによって表現されるピアニシモの美しい世界です。そうした美質が最も上手く表現されているのがブラームスのピアノ協奏曲第2番でしょう。とりわけ豪快に鳴らしきる部分での美しさは出色です。また、いつもは端正で落ち着いた雰囲気を崩さないカーゾンなのですが、ここではクナッパーツブッシュの伴奏に煽り立てられたのか、結構熱さを ― そこにモノラル・ヴィンテージ盤の魅力も ― 感じる場面もあってなかなかに面白く仕上がっています。
ブラームスは常に慎重にことを進めた人物でした。自らの力量と課題を天秤に掛けながら、ステップアップしていった人でした。ブラームスは第1番の協奏曲を完成させた後に友人たちに新しい協奏曲についてのアイデアを語っています。しかし、そのアイデアは実現されることはなく、この第2番に着手されるまでに20年の時間が経過することになります。そこには、ブラームスにとってピアノ協奏曲というのは、ピアノの名人芸を披露するためのエンターテイメントに終わるのではなく、ピアノと管弦楽とが互角に渡り合うべきものだと考えていたところにあるようです。その20年の間に、2つの交響曲と1つのヴァイオリン協奏曲、そしていくつかの管弦楽曲を完成させます。そして、大迫力のコンチェルトとして知られるブラームスのピアノ協奏曲第2番ですが、まさに満を持して、1881年の夏の休暇を使って一気に書き上げました。5月の末にブレスハウムという避暑地に到着したブラームスはこの作品を一気に書き上げたようで、友人に宛てた7月7日付の手紙に「まったく可愛らしいきゃしゃなスケルツォをもった小さなピアノ協奏曲」が完成したと伝えています。決して筆のはやいタイプではないだけにこのスピードは大変なものです。まさに、気力・体力ともに充実しきった絶頂期の作品の一つだといえます。そして、小さな協奏曲どころか、その完成した協奏曲は4楽章制をとった非常に規模の大きな作品でした。また、ピアノの技巧的にも古今の数ある協奏曲の中でも最も難しいものの一つと言えます。ただし、その難しさというのが、ピアノの名人芸を披露するための難しさではなくて、交響曲かと思うほどの堂々たる管弦楽と五分に渡り合っていかなければならない点に難しさがあります。そこには名人芸的なテクニックだけではなく、何よりもパワーとスタミナを要求されます。その魅力、ブラームスの作品にはどちらかと言えば冷淡だったリストがこの作品に関してだけは、丁重に楽譜を所望したと伝えられています。長い第1楽章は豊かなスケールで山あり谷ありだが、没入して弾いているクリフォード・カーゾンの姿が想像できる。ハンス・クナッパーツブッシュが指揮する管弦楽はそのカーゾンに引きずられるのではなく、しっかりとサポートして熱を冷ましているような響きだ。両者の姿勢は、第2楽章に入っても保たれる。交響曲ならスケルツォのトリオに当たる部分でのクナッパーツブッシュの管弦楽は立派である。まるでワーグナーのように響く。その後、主従は転じて、優しい管弦楽の響きの揺りかごに寄り添う赤子のようにカーゾンのピアノがついてゆく。しみじみとした弦楽器群の響きで、ゆったりと愛情を感じる第3楽章の出だしでのチェロの響きはとろけそうだ。クナッパーツブッシュの管弦楽はいつものように弦の高域の歌い方に特徴があり、これ以上ないくらいの豊かな情感で魅力的に音楽を奏でてゆく。アタッカで始まる第4楽章は、ひじょうに明るいタッチで書かれたブラームスの童話のような世界だ。ウキウキと楽しげにカーゾンのピアノが踊る。この最終楽章はジプシー音楽とカルメンの大きな影響があると言われています。この作品で興味深いところですが、ジプシー風の音楽が顔を覗かせ、クナッパーツブッシュは細かなフレーズを大切にして、しっかりと音楽のひとつひとつのパーツの気分を表出してゆく。若い時を思い出すのか、どうもブラームスはジプシーの音楽を好み、ビゼーのオペラ「カルメン」の楽譜も入手して研究をしていたそうです。
第2次世界大戦の潜水艦技術が録音技術に貢献して、レコード好きを増やした。繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS(Full Frequency Stereo Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLPレコード3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてffss(Full Frequency Stereophonic Sound)が使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
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