34-14171
商品番号 34-14171

通販レコード→英ダーク・ブルー・アンド・ブラック銀文字盤[オリジナル]
巨匠セルの薫陶を受けた若きフライシャーの鮮烈なベートーヴェン― セルの最大の業績はオハイオ州の地方都市クリーヴランドのオーケストラを、大都会のニューヨーク、ボストン、シカゴ、ロサンゼルス各オーケストラに比肩する、いや場合によっては凌駕する全米屈指の名門オーケストラに育て上げたことでしょう。その演奏スタイルは独裁者と揶揄されたセルの芸風を反映して、驚くべき透明さや精緻とバランスを持って演奏することであったという。セルはまたオーケストラのある特定のセクションが目立つことを嫌い、アンサンブル全体がスムーズかつ同質に統合されることを徹底したとも云う。こうしたセルの演奏家らまず伝わってくるのは、あたりを払うような威厳であり作品の本質を奥底まで見つめようとする鋭い視線が窺える。絶頂期のクリーヴランド管弦楽団の音色の美しさも特筆すべきもので、オーケストラ全体がまるでひとつの楽器のように聴こえます。ギッシリ詰まって密度が高い証左か、とにかくセルの棒にかかると実に格調高く、またスケールの大きなものとなる。さらに旋律の歌わせ方などは、セルがハンガリー出身であることも思い出させてくれます。西側の指揮者は真似できない何かが有ります。普段の演奏とはかけ離れた厳格な演奏です。レオン・フライヒャーはジョージ・セル指揮クリーヴランド管とベートーヴェン、ブラームス、ラフマニノフのピアノ協奏曲など試金石となるレコーディングを多数行った米国のピアニストで偉大なるドイツ人ピアニスト、アルトゥール・シュナーベルの門下生として有名。生粋の米国人ですが、シュナーベルのゲルマン魂を引き継いでいるのも、この〈皇帝〉協奏曲から理解できます。
関連記事とスポンサーリンク
ベートーヴェンは5曲のコンチェルトを遺していますが、どれも異なる性格をもった魅力的な作品でありピアニストにとっても実力を試される大事な楽曲です。アナログ・ステレオ時代のベートーヴェン全集の定番。曖昧さを残さぬ緊密な演奏設計のもと筋肉質の響きと強い推進力を持ち、オーケストラの各声部が無理なく驚くほどクリアに再現されるさまは、ジョージ・セルの耳の良さとクリーヴランド管弦楽団の極めて高度な演奏能力の賜物であり、まさにヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やユージン・オーマンディが率いるフィラデルフィア管弦楽団などと並ぶ、20世紀のオーケストラ芸術の極点を示したものといえるでしょう。各所に聴かれるオーケストレーションの改訂、リピートの採用・不採用にはセルならではの慧眼が光ります。これら5曲の協奏曲は、1959年から1961年にかけて3年がかりでじっくりと録音され、エピック・レーベルから発売されました。エピック・レーベルは英EMIがエンジェル・レーベルでアメリカ市場に進出したことで、英コロンビア録音の供給が途絶えた米コロムビアが、1953年に蘭フィリップスと提携して創設されたレーベルでした。当初はフィリップス音源のアメリカにおける窓口としてアンタル・ドラティ、オイゲン・ヨッフム、パウル・ファン・ケンペン、ウィレム・ヴァン・オッテルローなどのヨーロッパ録音を発売していましたが、しばらくするとアーティスト・ロスターの強化のために、セル&クリーヴランド管やレオン・フライシャーら米コロムビアのアーティストが「移籍」し、アメリカ録音も発売されるようになりました。セルとクリーヴランド管は、いわばこの新興のエピック・レーベルの看板アーティストであったわけです。米コロムビアの子会社的存在だったため、レコーディングは米コロムビアのスタッフが手掛けており、セル&クリーヴランド管の録音も1950年代はハワード・H・スコット(グレン・グールドの最初のプロデューサーとしても知られています)が、1960年代に入るとポール・マイヤースがメインにプロデュースを担当しています。それゆえ当時の最先端の録音技術や機材が惜しげもなく投入されステレオ時代に入ると本家米コロムビアが標榜した「360 サウンド」を真似て「ステレオラマ STEREORAMA ― 「ステレオ」と「パノラマ」を掛けた造語」を旗印に、左右に広く拡がり密度濃く鮮度の高いステレオ録音を発売するようになりました。こうして同じアメリカのメジャー、RCAが推し進めた「リビング・ステレオ LIVING STEREO」と並んで当時の最高峰のステレオ録音が実現したのです。そうした初期ステレオ期を代表する名盤の一つですが巨匠セルの薫陶を受けた若きフライシャーの鮮烈なベートーヴェンのピアノ協奏曲全集のCD化は、ようやく2015年に実現しました。
アルトゥール・シュナーベルに師事したアメリカのピアニスト、レオン・フライシャー(1928〜)は颯爽とした演奏で人気を博し、ジョージ・セル(1897〜1970)のお気に入りでもありました。セルは特に厳格な音楽性で知られているとおりだが、フライシャーも非常に几帳面な音楽作りをするアーティストである。ベートーヴェンとモーツァルトでは、古典派作品にふさわしい引き締まったピアニズムで、セルと共に推進力に満ちた心地よい演奏を展開。一点一画もゆるがせにしない楷書の演奏、という点でフライシャーとセルには親和性があり快速テンポで、技術の冴えに耳がいく。ブラームスやシューマンといった、主要ピアノ協奏曲をセルとクリーヴランド管弦楽団と次々に録音していました。もちろんベートーヴェンも全曲録音しており、彼の繊細かつ緻密な解釈で豊かなベートーヴェン演奏を聴かせる名盤として知られています。彼のベートーヴェンへの優れた理解が、見事に結実しています。ところがフライシャーは1960年代に難病のため右手が使えなくなり、以後は左手のみの演奏および指揮、教育活動に専念し、その後、最新医学による治療 ― ボトックス療法が功を奏し2004年には両手での演奏ができるまでに回復、両手でピアノを弾いて演奏したアルバム「Two Hands」を40年ぶりにリリースしたことでも有名です。オットー・クレンペラーやハンス・ロスバウト、ピエール・モントゥー、ブルーノ・ワルターといった巨匠たちとの共演でも素晴らしい演奏を聴かせ、セル指揮クリーヴランド管との共演によるベートーヴェン、ブラームス、モーツァルト、グリーグ、シューマンのピアノ協奏曲、フランクの交響的変奏曲、ラフマニノフのパガニーニ狂詩曲という定評ある名演に加え、小澤征爾指揮ボストン交響楽団とのラヴェル、プロコフィエフ、ブリテンの協奏曲、シモン・ゴールドベルク指揮オランダ室内管弦楽団とのヒンデミット『4つの気質』という協奏作品のほか、ソロの録音では、モーツァルト、ブラームス、ドビュッシー、ラヴェル、コープランド、セッションズ、カーシュナー、ロレムなどさまざまな作品を収録、室内楽ではコルンゴルトとフランツ・シュミットの作品を録音。まさに絶頂期にある1965年局所性ジストニアを患って右手の2本の指が動かなくなり、ついには字を書くこともできなくなった。フライシャーは37歳という若さでピアニストとしての演奏活動を中止することを余儀なくされた。米国のピアノ界は、すでに1954年にウィリアム・カペル(31歳)を飛行機事故で失い、1969年にはジュリアス・カッチェン(42歳)を肺がんで失う。フライシャーの右手故障による事実上の引退は、それと並ぶ衝撃的な出来事であり卓抜した米国人ピアニストを相次いで3人も失うことになった。
フライシャーは、エリザベート・コンクールはショパン国際ピアノコンクール、チャイコフスキー国際コンクールとともに世界三大コンクールのひとつ。正確な名称はエリザベート王妃国際音楽コンクールピアノ部門。ベルギーの首都ブリュッセルで4年に一度開催される。本選出場者は1週間缶詰状態で修道院に隔離され、外部との情報を遮断された状態で本選での演奏を行わなければならない。最も過酷なコンクールとして知られている。また、このコンクールでは個性的な演奏よりも作曲家の意図に忠実な演奏が重視される傾向にある。その後の活躍が目覚ましい主要な優勝者を上げると、セヴェリン・フォン・エッカードシュタイン、マルクス・グロー、フランク・ブラレイ、アンドレイ・ニコルスキー、ピエール=アラン・ヴォロンダ、アブデル・ラーマン・エル=バシャ、ヴァレリー・アファナシエフ、エフゲニ・モデレフスキー、ウラディーミル・アシュケナージ、レオン・フライシャー、エミール・ギレリス。日本人のピアノ部門での優勝者はいないが、ヴァイオリンでは堀米ゆず子が優勝している。
1952年、第1回エリザベート・コンクールピアノ部門第1位。右手を故障した不運のピアニスト、大ピアニスト、シュナーベルの高弟。アメリカ、サンフランシスコ生まれ。6歳で公開演奏を行い、10歳でアルトゥール・シュナーベルの内弟子になる。15歳でピエール・モントゥー指揮のサンフランシスコ交響楽団と共演。24歳のときエリザベート王妃国際音楽コンクール第1回優勝。然し1965年に右手を故障、それ以降左手で演奏を続けたが、1990年代になって右手を回復させたものの、当時年齢は60歳を過ぎてしまっていた。手の故障を経験したピアニストは少なくない。有名なところではミシェル・ベロフ、マレイ・ペライア、マリア・ジョアン・ピリス、バイロン・ジャニスなども手の故障を経験している。多くの人は、それを克服したがフライシャーのようにピアニストとしての絶頂期にあった37歳でジストニアという難病にかかり、その後、事実上ピアニストとしての生命を絶たれた人はあまり記憶に無い。フライシャーが1952年に優勝したエリザベート・コンクールは、ピアノ部門が新設された第1回であり、第2位にはモーツァルトの演奏に優れていたスイスのカール・エンゲルが入っている。第2回はアシュケナージが優勝し、セシル・ウーセ、ラザール・ベルマンらが入賞した年だった。フライシャーは、その後、クリーヴランド管弦楽団の指揮者で完全主義者として知られたジョージ・セルに気に入られ、数々のレコーディングを残した。なかでもベートーヴェンの『ピアノ協奏曲集』は厳格な完全主義者セルを満足させる演奏であり、この両者はモーツァルトやグリーグなどの協奏曲の録音を残した。テオドル・レシェティツキー門下でベートーヴェンとチェルニー直系のピアニストであるシュナーベルの弟子にはクリフォード・カーゾンなど弱音の透明感が美しく、禁欲的で貴族的な美しさを持ったピアニストが多い。フライシャーの演奏は、それに共通するところがありベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第5番《皇帝》』やモーツァルトの『ピアノ・ソナタ第10番』、リストの『ピアノ・ソナタ ロ短調』の録音は、おそらくニューヨーク・スタインウェイを弾いていると思われるがシュナーベル譲りの気品ある透明な弱音の美しさを醸し出している。フライシャーは右手が呼称している間、左手だけで演奏して小澤征爾指揮ボストン交響楽団とラヴェルやプロコフィエフ、ブリテンの協奏曲を共演しオーケストラのような色彩を片手から生み出した。医療の進歩により1990年代になって両手による演奏を始めることが出来たが、2004年に録音された『トゥー・ハンズ(TWO HANDS)』という両手によるCDでは、1960年代のような輝きはもはや失われていた。シュナーベルから愛された才能ある弟子であっただけに、その活躍が途中で絶たれたのは実に不幸だった。
音楽CDが世の中に出たのが1982年。今から約35年前のこと。それ以降、みなさんご存知のとおり「レコードからCDへ」という流れが生まれました。ところで世界初のデジタル録音を成し遂げたのは、CD誕生の10年前となる1972年のこと。スメタナ四重奏団を招き、世界初のデジタル録音を日本で行ったモーツァルトの「弦楽四重奏曲第15番ニ短調 K.421」と「弦楽四重奏曲第17番変ロ長調 K.458《狩》」でした。このときの記念すべき演奏はレコードとして発売されましたが、CDとしての発売は十年以上待たされた。デジタル録音は一般化していきますが、1960年代後半から1970年代前半のステレオ録音最盛期のレコードが今でも評価の高い中心でしょう。トマス・エジソンが『フォノグラフ』を発明したのは1877年のこととされるが、それから百年のレコーディングを振り返ってみれば時間とともに消え去るはずの音楽が、これほどまで正確に記録されるようになったと驚かないわけにはゆかないであろう。それは演奏の方法や様式感にも計り知れない影響を及ぼしている。それ以前の名演奏家たちは伝説として語り伝えられているが、レコードの発明以来、この分野も科学の時代に入ったのである。こういう時代を考えないではジョージ・セルについて正しく語ることは出来ない。はじめはピアニストとして活躍していたがリヒャルト・シュトラウスに認められて、指揮界に進出した。1946年からクリーヴランド管弦楽団の常任指揮者になったが、それ以前にはドイツやチェコ、それにアメリカの多くの管弦楽団を指揮してもいた。セルの魅力と長所は、クリーヴランド管を指揮した時に最高度に示される。セルは完全主義者といわれるだけにオーケストラとも作品とも少しの妥協を許さず、厳しいアンサンブルの中で歪んだところのない音楽をつくりあげてゆく。クリーヴランド管の名声が世界に轟いたのも、このセルのおかげだったのである。シンフォニー・オーケストラの窮極的な機能を追求し、クリーヴランド管という完全無欠なアンサンブルを造り出したことはセルの個人的な業績であるばかりでなく、すでに確固たる歴史的な達成として認められることである。それがレコードとしてもセルの死後ますます輝かしい光を放っている。その他の誰もが達し得ない程の高い完成度を、どうして否定できようか。現代の演奏は如何に主観主義的な表現を行おうとも科学的考察の対象になるのであって、音楽もまた神話や伝説の領域に留まるものではない。セルはこういう時代に与えられた指揮者の最高の使命を担って全うしたのである。セルの極めて厳格な耳と審美感覚はオーケストラという非常に人間的な集団から不透明な人間臭を排除し、純粋な音楽を抽出した。そのため完璧なアンサンブルを掌中にしようとする鬼ともなり、冷たいとか非人間的とかいわれたが、むしろ暖かみがあるのやら人間味があるのやらと称される演奏以上に高度な音楽的表現をすることが出来た。それこそレコードに聴く、信じられないような透明無垢のハーモニー、鮮やかな色彩を見せる絶妙なバランス、表情の豊かなアゴーギグを持つ生気溌剌としたリズム、各パートが常に音楽と一体となって呼吸していて決して乱れないアンサンブル、なのである。セルの指揮するクリーヴランド管は凡そ全ての人間的な弱点や欠陥を克服して、この世に在らざるかのような彼岸の美に到達していたといって良い。
ジョージ・セルは1897年6月7日にブダペストで生まれたが3歳からヴィーンに移り住み、ヴィーンの音楽を身に受けて育った。事実、セルの様式感はヴィーンの伝統を受け継いでいる。このことはクリーヴランド管弦楽団の浮世離れした美感ゆえなかなか気づかれなかったようであるがハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの解釈にはヴィーンの流れをくむセルの揺るぎない様式感が打ち出されている。そうした古典様式の美学を踏まえて、セルはメンデルスゾーンやシューマンやブラームス、ワーグナーやブルックナーやマーラー、ドヴォルザークやチャイコフスキーなど、いわゆるロマン派の世界に乗り出していったのであり、そこにセルの神髄が見いだせる。第2次世界大戦後、アメリカでのみ可能な最高のメカニズムを実現して未曾有のザ・クリーヴランド・オーケストラが造り出されたが、それはヴィーンで培われたシンフォニズムに根差したものに他ならない。そして、クリーヴランド管とともに1970年に来日し素晴らしい演奏を聴かせてくれたが、セルは日本の演奏旅行から帰った直後の6月から心臓病で入院し、7月30日にクリーヴランドで没した。そういう演奏の透徹ぶりを目の当たりにして驚嘆した日本の聴衆にしてみれば何かが植え付けられたはずである。ヨハン・シュターミッツの指揮するマンハイム宮廷管弦楽団や、ハンス・フォン・ビューローの指揮するマイニンゲン管弦楽団は伝説の中に生きているけれども、セルとクリーヴランド管は科学的考察の下に絶対的美感を示しつつ生きながらえるであろう。レコードが、その証言となる。
レオン・フライシャーというピアニストもジョージ・セルという指揮者も、どちらも非常に几帳面な音楽作りをするアーティストである。セルは特に厳格な音楽性で知られている。エーリヒ・ラインスドルフの後を継いでクリーヴランド管弦楽団の常任に任命されると軍隊のような訓練でオーケストラを鍛え上げ、世界トップの演奏技術の高さまで引き上げたという逸話は真実である。また、セル自身が幼い頃からピアノの神童と言われ3才からウィーン音楽院で学び11才で自作曲を引っさげてデビューするくらいであり、そういう点でも共演するピアニストにはかなり厳しい目を持っていたはずである。この《皇帝》の録音はセルが66才、フライシャーが36才の頃のもの。若き才能のピアニストの心柱如何ばかりだったろう。セルも油断ならん若者を相手して、両者ともに一分の隙がない。EPICレーベルからの発売は4番、3番、5番、2番、1番の順でリリースされている。室内楽のように親密な雰囲気を醸し出す場面もあれば壮大でシンフォニックな響きを聴かせる場面も併せ持っているが、その対比がかっちりと統制されており絶妙に整えられている。固すぎる、というのはセルの音楽の特徴だが、フライシャーのピアノもまた堅実、お互いに目指す音楽の方向性が一致しているような安心して鑑賞できる。ロマン派の協奏曲では、ソリストは自分のヴィルトゥオージを発揮するのは、どこかを画策する。目にもとまらぬ超絶技巧を見せる曲、華麗なスタイルの演奏家もあれば、まるで自分が世界の中心にいるかのように恍惚とする歌を聴かせる曲、孤高の存在感をオーラとして放っている演奏家もいる。ソリストの存在感を主張する、他との差別化を図るかが重要になる。ではフライシャーのピアノはどうかと言えば、ロマンチックでうっとりするような音の揺らぎは必要に応じて瞬間的に顔を見せるが本当に少ない。作曲家が残した楽譜を基に、その意思を最大限尊重して演奏するのが音楽家の信条だろうが、聴き手も演奏される曲を聴き込んでいるほどに関心を満足させてくれるのがフィッシャーであり、セルの固い音楽だろう。ベートーヴェン直系の演奏家の系譜に名を連ね、「天才」と称されながら右手の故障により37歳で引退を余儀なくされたアメリカ出身のピアニスト、フライシャーとセルの《皇帝》を聴くと、まるで「ベートーヴェンは〝ソロと伴奏〟という協奏曲の既存の枠組みから脱出してピアノとオーケストラが合わさった有機体、形式を超えた一つの〝音楽〟を目指していたのだ!」と主張しているように聴こえる。ここにはピアノとオーケストラとの火花を散らすようなデッドヒートもなければ、そこのけそこのけと邁進するピアニストに黙々と尽くす伴奏でもない。《皇帝》の演奏はいくらでも聴き重ねてきているだろうから、フライシャーとセルの演奏は究極的にベートーヴェンの意図に忠実な演奏なのではないかと思わされる。ピアニストとして高い技術はもちろん、骨太な音楽創りが高い人気を集め特にベートーヴェン演奏で支持を得たフライシャー。1965年に神経性の疾患で右手指が不自由になって以降は、指揮の道へ。裏の裏まで踏み込むようなスコア解釈を武器に、世界中の第一線オーケストラと共演を重ねた。『最高の自由は、訓練から生まれる』とのフライシャーの言葉は苦悩の中から音楽の歓びを見出だした実感が宿っている。踵を揃えて姿勢の正しいフライシャーとセル率いるクリーヴランド管には畏敬の念を覚える。
1961年3月クリーヴランド、セヴェランス・ホールでの録音。
GB  COL  SCX3575 フライヒャー&セル  ベートーヴェ…
GB  COL  SCX3575 フライヒャー&セル  ベートーヴェ…
.