ニーベルングの指環からの抜粋。ジークフリートの葬送行進曲は別に成っていることから、4楽章の交響曲のようだ。 ― 本盤は、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団によるワーグナーの管弦楽曲集第3集。寸分の揺るぎもない重厚な演奏で、そのずっしりとした重みのある歩みはクレンペラーらしくまさに巨人、巨匠の趣き。〝これが本当のワーグナー〟と声を大にして叫びたい衝動にもかられる、晩年のクレンペラーによる貴重な記録。クレンペラーが広い視野で作品をとらえ、オーケストラをとことんまで鳴らし切った、巨匠ならではのスケール感が堪能できる。全ての音に漲るエネルギーが尋常ではない。迫力満点で極限的なスケールが終始維持されている上に、透明で深い静謐感を持った弱音も意味深く、ここで繰り広げられている音楽世界に陶然とすることしかできない。聴き終えた時には放心状態。四部作《ニーベルングの指環から》の4曲、楽劇「ラインの黄金」より「神々のワルハラへの入城」、楽劇「ワルキューレ」より「ワルキューレの騎行」、楽劇「ジークフリート」より「森のささやき」、楽劇「神々の黄昏」より「ジークフリートのラインへの旅」の配置された〈Side A〉は、序奏、スケルツォ、アダージョ、フィナーレに置き換えて収まりそうな交響楽章の趣きのある、凡そ30分のまとまりの良い手頃なプログラムだ。盤を裏返して〈Side B〉には、歌劇「タンホイザー」より第3幕への前奏曲と舞台神聖祝典劇「パルジファル」より第1幕への前奏曲を並べることで、ワーグナーの中期と晩年を聴き比べると共に、中世ドイツの神聖な雰囲気を押し出すことが出来る。クレンペラーはオペラ劇場の指揮者であったから、こうしたアイデアは手練れていただろう。ワーグナーの序曲、前奏曲集の極めて素晴らしいレコードだ。各面の取り合わせはEMIのレコードセールス面での要望もあっただろうが、第1集から第3集まで、曲の並びにまでクレンペラーの意思が貫かれている。CDでは、LP3枚分を2枚に、曲順を変えている。他の盤で発表された、《ジークフリート牧歌》と《ジークフリートの葬送行進曲》を、この4曲の流れに挟んでいるのは勢いを削いでしまって残念だ。この時代はモノラルテイクとステレオテイクでの録音が同時進行していました。モノラルはダグラス・ラター、ステレオはクリストファー・パーカーと違うプロデューサーが其々担当していました。
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英EMIの偉大なレコード・プロデューサー ウォルター・レッグの信条は、アーティストを評価するときに基準となるようなレコードを作ること、彼の時代の最上の演奏=録音を数多く後世に残すことであったという。1954年に目をかけていたヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリンに去ると、すぐさま当時実力に見合ったポストに恵まれなかったオットー・クレンペラーに白羽の矢を立て、この巨匠による最良の演奏記録を残すことを開始した。レッグがEMIを去る1963年まで夥しい数の正に基準となるようなレコードがレッグ&クレンペラー・フィルハーモニアによって生み出された。本盤も基準盤の一枚で、レッグの意図する処がハッキリ聴き取れる快演。クレンペラーの解釈は揺るぎのないゆっくりしたテンポでスケールが大きい。ゆったりとしたテンポをとったのは、透徹した目でスコアを読み、一点一画を疎かにしないようにとも思いたくなる。この気迫の籠った快演は聴き手に感動を与えずにはおきません。一音一音が耳に突き刺さってきました。また何度聴いても飽きません。フィルハーモニア管は、まさにクレンペラーの為にレッグが作り出した楽器だと言う事、染み染みと感じました。オーケストラの配置が第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが指揮者の左右に配置される古いスタイルで、包み込まれるような感覚はステレオ録音で聴く場合には、やはり和音の動き等この配置の方が好ましい。何ものにも揺るがない安定感と、確かに古いスタイルながら純粋にスコアを再現した音が一杯詰まっている。フィルハーモニア管弦楽団=PHILHARMONIA ORCHESTRA LONDONは、英ロンドンを拠点とするオーケストラ。愛称は〝ザ・フィル〟。ドイツ・グラモフォンのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団や、DECCAのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団同様に、フィルハーモニア管といえばEMIのレーベルが同時に思い浮かぶほどに、この楽団の演奏は随分レコードあるいはCDで聴いてきた。1945年にEMI=当時の英コロンビアのプロデューサーだった、レッグが私財を投じて楽団員を組織して創設した。レッグの主目的はやはりEMIのレコード録音のためのオーケストラを作ることにあった。設立当初から主にドイツ、イタリアから指揮者、独奏者を招いて盛んに活動した。優秀な演奏家の積極的な採用が効を奏し、例えば名ホルン奏者デニス・ブレインも創立当初から首席奏者を務めた。その後、リヒャルト・シュトラウス、カラヤン、アルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーなどの巨匠を指揮者に迎え、一躍ヨーロッパ楽壇で注目される。多くの録音を残したカラヤンと欧米各地に演奏旅行するほか、クレンペラー、リッカルド・ムーティ、ジュゼッペ・シノーポリが首席指揮者に就任。1997年にクリストフ・フォン・ドホナーニ、2008年にエサ=ペッカ・サロネンが首席指揮者に着き、創設以来の〝録音の多いオーケストラ〟の伝統を堅守。1996年以降、ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールを本拠地として活躍している。
戦後、活動の場に窮したヘルベルト・フォン・カラヤンを英国に呼び、レコード録音で音楽活動が出来る場を用意したことで知られる。ウィーン国立歌劇場の指揮者だったカラヤンは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるムジークフェラインザールで英EMIのために、モーツァルトを録音していた。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの急逝でカラヤンは、ウィーン・フィルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を手に入れるが、ウィーン・フィルが英DECCAと専属契約を結んでいたので、英EMIを去り、英DECCAの指揮者になる。カラヤンのレコーディング・オーケストラとしての印象は強いが、カラヤン中心になる前には英国のサー・トーマス・ビーチャムに始まり、ドイツのオットー・クレンペラー、フルトヴェングラー、カラヤンを、さらにイタリアからはアルトゥーロ・トスカニーニ、カルロ・マリア・ジュリーニ、そして夭折したグィド・カンテッリなどが指揮台に立った。カラヤンがベルリン・フィルに行き、カンテッリが急死したこともあって、オットー・クレンペラーが浮上する。彼との関係は、1959年の常任指揮者就任から始まり、亡くなる1973年まで14年間続くことになる。〝録音の多いオーケストラ〟の伝統は今も続いており、多い時は年間にセッション数250回にも及ぶこともある。これは色んな音楽、様々な指揮者の下で一定水準以上の演奏が可能になる実力を有することによってはじめて実現するものであって、ただ即応性があるだけでなくその裏には〝高い演奏技術〟と〝柔軟性〟が存する現れであるともいえる。オーケストラの呼称は2度にわたり変更される。1964年に資金不足によりウォルター・レッグが手放して英EMIの専属が切れると、イギリスの自主運営となりニュー・フィルハーモニア管弦楽団に変更、その間例の幻の来日に終わったジョン・バルビローリとの万博公演時も〝ニュー〟の呼称であった。のち、1972年からリッカルド・ムーティが常任につき、5年後にもとの〝フィルハーモニア管弦楽団〟に戻している。そのため、アナログレコードとCDでの、オーケストラ名の表記は混乱を感じる。英COLUMBIAでレコード発売していた頃は、「フィルハーモニア・オーケストラ、ロンドン」を名乗っていたことで、トーマス・ビーチャムが創設した「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」と間違われているケースがある。〝フィルハーモニア管弦楽団〟に戻ったムーティの後は、ジュゼッペ・シノーポリが首席指揮者となり、1990年はシノーポリ、2007年はエリアフ・インバル指揮により、「マーラー・チクルス」東京公演を行う。1997年クリストフ・フォン・ドホナーニが首席指揮者に就任。2008年からはエサ=ペッカ・サロネンが首席指揮者およびアーティスティック・アドヴァイザー。サロネンはヘルシンキ生まれの指揮者、作曲家。絶え間ない革新によって、クラシック音楽界において最も重要な芸術家の一人とみなされている。iPadのアプリを開発、Apple社のCMに楽曲が使用されるなど先進的な試みも注目される。デジタル技術を使った教育や聴衆の開拓などにも先鞭をつける。現在はサロネンの他に、終身名誉指揮者にドホナーニ、桂冠指揮者にウラディミール・アシュケナージという陣容となっている。
【収録曲】「神々のワルハラへの入城」~楽劇「ラインの黄金」より、「ワルキューレの騎行」~楽劇「ワルキューレ」より、「森のささやき」~楽劇「ジークフリート」第2幕より、「ジークフリートのラインへの旅」~楽劇「神々のたそがれ」より、「タンホイザー」序曲、「パルジファル」序曲
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