34-19215
商品番号 34-19215

通販レコード→英ダーク・ブルー金文字盤
ソプラノとして最高の時期にいた唯一無二のディーヴァによる名唱。 ― 波瀾万丈な歴史的歌姫マリア・カラス。肥満児だった少女時代、母親に励まされ、ラジオのアマチュア・コンテストで幾つも賞を取り、音楽界での栄光を夢みながら、その賞金をオペラの台本や歌のレッスンにまわしていた。カラスの生涯は、みにくいあひるの子が白鳥となり、歌に生き愛に生きたと言えるのではないでしょうか。オードリー・ヘプバーンのようなポートレイトで、スタイルの良い美貌のディーヴァとしてカラスを記憶している方には驚きでしょう。彼女の母親は自分に達成できなかったことを娘に託し、美声は脂肪をつけないと育たないという俗説に従い、娘の声に栄養を与えるためにケーキや砂糖菓子など甘いものをなんでも与えた。デビュー当時は、一般的なオペラ歌手のイメージと同じく巨体のまま卓越したテクニックを生かし華々しく活躍したカラスでしたが、ヴィスコンティの助言を受けて猛烈なダイエットを開始。1953年から54年にかけて体重を30㎏も減らしスリムなスタイルを手に入れたが、それと引き換えにしたものは大きい。過度なダイエットや数々のスキャンダルにより疲労困憊、歌手活動のほうに支障がでてしまい、華々しいキャリアはわずか10年足らずで終わってしまった。艶のある美声を失った彼女は、激情的な歌唱に転進。カラスを聴く時は、そのどちらもの時代を楽しめるのですが短いキャリアは音質的に恵まれず、鮮烈的な歌唱はモノラル録音で聴くしか無い。オペラのためには全てを犠牲にしたカラスは性格の強さもあって絶えず人間関係でトラブルが多く、生前のカラスはオペラ界での輝かしい経歴と裏腹にキャンセル魔、傲慢、スキャンダルの女王、とマスコミをはじめ音楽評論家、心ないファンから批判され続けました。しかし、カラスほど真摯に音楽=オペラと向き合って生きた歌手は他に知らない。メトロポリタン歌劇場の辣腕支配人は舞台で歌わない時のカラスの凄さを賞賛しています。事前の周到な準備と舞台への集中度は余人の追従を許さないものがありました。カラスにとっては舞台が全てでした。優れた才能の存在があっても、現代は雑念が周りに多すぎるためとも言い得る。彼女はクラシックの世界に生きた人だが、その記憶のされかたはポップ・スターに近いところがある。クラシック通以外にも名前を知られ広く聴かれた点では、ポピュラーな歌手だったのだ。自身の才能を誇り、正直に演じるということに徹底した。そうした彼女の生身の人間ドラマとして聴く者の心に迫る表現力は、レコードを通してカラス没後も多くの人に伝わり新たなファンを獲得している理由なのではないか。カラスは豊かな美声に恵まれた幸せな歌手と言うよりも、まず演じることの天才であったらしい。カラスによって演じられるヒロインは、現実の生きる人間として存在する。名匠セラフィンの指揮の下、本盤など正に、カラスの変幻自在な表現は他の追随を許さないと思えるほどだ。コロラトゥーラ向きではないカラスの声だが、圧倒的な表現力とテクニックでこなしていくカラス絶頂期の録音。
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マリア・カラス(Maria Callas)は1923年12月2日、ニューヨーク生まれのソプラノ歌手。1977年9月16日、パリにて没。13歳で故国ギリシャに帰りアテネ音楽院で名歌手、エルビラ・デ・ヒダルゴに師事。1938年にオペラ・デビューし、1947年、ヴェローナ音楽祭でのジョコンダ役で一躍注目を浴びる。1950年のスカラ座デビューから約10年間が全盛時代。ワーグナーのドラマティックな役と、ベル・カント・オペラの両方の分野で成功を収め、不世出のソプラノ歌手として名を残した。42歳だった1965年にオペラの舞台から退いたが、1969年に映画『王女メディア』に主演したほか、舞台演出、音楽院の講師を務め、1973~74年に世界各地でフェアウェル・コンサート・ツアーを行った。オペラ歌手としての充実した活動期間は短く、1951年からの7年間が全盛期、歌声に波があった1960年代まで含めても10数年にすぎなかった。早すぎる衰えは若い頃に難曲で喉を酷使したため、あるいはダイエットのせいとも不摂生のせいともいわれる。全盛期のモノラル録音と比べスタジオでセッションされたステレオ録音の歌唱には年齢的に最盛期とは、もはや言えないし声の変化はいかんともしがたいものがありますが、それを超越した表情づけのこまやかさ、心理描写の絶妙さは、精妙な構成力が際立った歌唱になっていきます。ドラマに対する類まれな冴えた感覚と、それに完璧に連動する歌唱力を持ち合わせていた稀代の名歌手マリア・カラスは、1953年の『ドン・ジョヴァンニ』からのマイク・テストから、レッシーニョとの1960年台の録音まで、キャリアのほとんどの期間でEMI専属の歌手としてジョルジュ・プレートル、トゥリオ・セラフィン、ガブリエーレ・サンティーニ、ヴィクトール・デ・サーバタ、ヘルベルト・フォン・カラヤン、アントニーノ・ヴォットー、ニコラ・レッシーニョ、アルチェオ・ガリエラらとレコーディングを行っていました。カラスの歌手生活に大きな影響を与えるセラフィンは、聴き応えあるレコードを残す上にも非常に重要な人物になりました。ロッシーニやドニゼッティが人気作曲家だった時代、以前に上演したオペラの旋律は再利用したり、別の作曲家に追加曲を作ってもらうってことも恥ずべきことではなく、最近まで日常的だった。レコードコレクターが資料的価値を訴えるようになって、忘れられていこうとしているチレア、ジョルダーノ、ボーイト、カタラーニ、マイアベーア、ドリーブらの素敵な歌たちを聴ける名演奏盤。
「リリック&コロラトゥーラ・アリア集」
Maria Meneghini Callas Sings Operatic Arias ‎– Cilea, Giordano, Catalani, Boito, Rossini, Meyerbeer, Delibes, Verdi
  • Side-A
    1. 歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール(Adriana Lecouvreur)」第1幕より ― 私はいやしい召使いです Ecco: Respiro Appena (Io Son L'umile Ancella), Act 1
    2. 歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール(Adriana Lecouvreur)」第4幕より ― あわれな花よ Poveri Fiori, Act 4
    3. 歌劇「アンドレア・シェニエ(Andrea Chenier)」第3幕より ― なくなった母を La Mamma Morta, Act 3
    4. 歌劇「ワリー(La Wally)」第1幕より ― さようなら、ふるさとのいえよ Ebben? Ne Andró Lontana, Act 1
    5. 歌劇「メフィストーフェレ(Mefistofele)」第3幕より ― いつかの夜、暗い海の底に L'Altra Notte In Fondo Al Mare, Act 3
  • Side-B
    1. 歌劇「セビリャの理髪師(Il Barbiere Di Siviglia)」第1幕より ― 今の歌声は Cavatina: Una Voce Poco Fá, Act 1
    2. 歌劇「ディノーラ(Dinorah)」第2幕より ― 影の歌 Ombra Leggiera (Shadow Song), Act 2
    3. 歌劇「ラクメ(Lakme)」第2幕より ― 若いインド娘はどこへ(鐘の歌) Dov' È L'Indiana Bruna? (Bell Song), Act 2
    4. 歌劇「シチリア島の夕べの祈り(I Vespri Siciliani)」第5幕より ― ありがとう、愛する友よ(ボレロ) Bolero: Mercè, Dilette Amiche, Act 5
舞台ではいつも新しいものを求めなくてはなりません。その方がよりリアルです。私はいつも同じようには動かないので、二つと同じ舞台はありません。署名と同じで、二つと同じものはないのですが、それはいつも「マリア・カラス」なのです。
餅は餅屋で … というわけで、イタリアには「イタリア・オペラしか指揮しない指揮者」が大勢存在する。イタリア・オペラの泣かせるメロディをイタリア人指揮者が流麗華麗に歌わせる。その歴代最高の指揮者がトゥリオ・セラフィン(Tullio Serafin)である。1878年9月1日、ヴェネツィア近郊のロッタノーヴァ生まれの指揮者。1968年2月2日、ローマで没。ミラノ音楽院を卒業後、スカラ座のヴィオラ奏者を務める。1898年、フェラーラのテアトロ・コムナーレで指揮者としてデビュー、1909年にはミラノ・スカラ座の首席指揮者、音楽監督に就任する。1924年からメトロポリタン歌劇場で10年間は活躍したが、1934年からは再びイタリアに戻ってローマ歌劇場の音楽監督を務める。20世紀最高のイタリア・オペラ指揮者として広く認められており、多くの名歌手を育てることにも優れた手腕を発揮した。セラフィンの棒による演奏はイタリアの風土、イタリア人の体臭が匂い立つ。「ヴァイオリンがすすり泣く」とは、このことかと誰もが、そのドラマ性あふれる演奏に驚嘆し、一瞬の「間」に息を呑む。そして「ただの美しさ」とは異なる、身もだえするような美しさの虜になるに違いない。一度ヴェルディのオペラ『椿姫』の前奏曲(第1幕・第3幕)を指揮した彼の録音を聴いてほしい。一瞬たりとも音楽が弛緩することなく、歌手たちの歌も丁寧に引き立てていきます。イタリアにおいて初めてマリア・カラスの才能を認めた人物でした。こんにちの指揮者には、ほとんど見ることの出来ない態度ですがセラフィンは、指揮台の上の大スターではありませんでしたがオペラの各役柄の演奏についてじっくり熟考し、時間をかけてそれを円熟させていくことが出来たひとりでした。声の何たるかを知り、声がどう使われるべきかを知り演奏に関するさまざまなアイデアをもち、歌手が彼のもとへ楽譜をもっていくと、より豊かになって帰ってこられるような指揮者であり、カラスにとって芸術上の師であった。セラフィンは指揮者となる前、スカラ座管弦楽団のヴァイオリン奏者だった。声楽家ではない。にもかかわらず、人間の声というものを熟知し、1人1人の歌手について、どのようにトレーニングし、どのような曲をレパートリーにし、どのように歌うのがいいかということを見極めることが出来た。30歳前後でオペラ指揮者アントニオ・ヴォットーからトレーニングを受け、「椿姫」を録音したレナータ・スコットが「1950年代と60年代には、ヴォットーのほかにも、セラフィンを筆頭にグイ、ガヴァゼーニなどの偉大なオペラ指揮者がいて、その誰もがまるで〈父のよう〉に歌手を愛し、歌手が傷つかないように護ってくれました。彼らは歌手に間違った役柄を押し付けるどころか、けっして歌わせず、適正な役柄さえ、あまり早いうちには歌わせなかったものです。そして私たちに指導してくれる時にはテンポだの、『私についてくるように』ではなく、表現や言葉の意味について教えてくれたものです。」と回想している。
録音は1954年9月17〜18,20〜21日ロンドン、ワトフォード・タウン・ホールでの、ウォルター・レッグのプロデュース、エンジニアはロバート・ベケットによるセッション。
GB COL CX1231 マリア・カラス オペラ・アリア集
GB COL CX1231 マリア・カラス オペラ・アリア集

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