34-20411
商品番号 34-20411

通販レコード→英ロイヤル・ブルー金文字盤
初期のステレオ録音より歌手の声がハッキリ聞こえる、より生々しい歌声に感じる。 ― 英EMIの偉大なレコード・プロデューサー ウォルター・レッグが目指したのは、未来の演奏会やアーティストを評価するときに基準となるようなレコードを作ること、彼の時代の最上の演奏を数多く後世に残すことであったという。レッグは戦後ナチ党員であったとして演奏を禁じられていたカラヤンの為にレッグ自ら1945年に創立したフィルハーモニア管弦楽団を提供し、レコード録音で大きな成功を収めたが、これに先立つこと1947年1月ウィーンでレッグとカラヤンが偶然出会い意気投合したことで、早速9月よりウィーン・フィルとレコーディングを開始する。こうしてレコード録音で評価を広めるレッグ&カラヤン連合軍の快進撃の第一幕が開いた。英米の本当の連合軍もレッグのロビー活動により、カラヤンに公的な指揮活動が許されたのと前後している。この快進撃の第一幕が、「フィガロの結婚」でした。このウィーン・フィルとのレコーディングは、1946年から1949年まで集中的に行われている。しかし、この時期のカラヤンとウィーン・フィルの演奏が評価の高いシロモノであったことが、その後カラヤンにとっての天敵フルトヴェングラーが亡くなった後にベルリン・フィルとウィーン・フィルがカラヤンを迎え、帝王として君臨することになる礎となったことは事実である。まさに、カラヤン芸術の原点として評価すべき時代の録音と云えるだろう。この録音の後、結婚するレッグ夫妻&カラヤン連合が其の時に創作した本盤「フィガロの結婚」は最高のフィガロであることには、誰も異論はないと思います。天敵フルトヴェングラーによりウィーン・フィルを締め出されたカラヤンは、ウィーン交響楽団に活動の場を移し、またレコーディングはフィルハーモニア管弦楽団と行うようになる。そのフィラデルフィア管弦楽団でも合奏の完璧な正確さを要求し音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルで第二幕を告げるのが、この後に続く「コシ・ファン・トゥッティ」「薔薇騎士」や「ファルスタッフ」。シュヴァルツコップを伯爵夫人に据え、選りすぐりの名歌手らが繰り広げる個性豊かな歌唱とカラヤンの精緻で揺ぎない指揮が絶妙の均整を保った奇跡的な録音を成果としたことは言うまでもないと思います。初期のステレオ録音より歌手の声がハッキリ聞こえる、より生々しい歌声に感じる円熟のモノラル録音と若きカラヤンの熱気と勢いありあまる演奏は文句なく素晴らしい。目出度いことが相揃って聴かせる「フィガロの結婚」を堪能あれ。
関連記事とスポンサーリンク
21世紀に入り惜しまれつつ亡くなったシュヴァルツコップは、様々な役柄において持ち前の名唱を余すことなく披露した。その絶頂期に残した素晴らしい完成度を誇るモーツァルト。最も得意としていたのは、その声質からしてもモーツァルトの楽曲であったと言えるのではないだろうか。オペラの録音というのは完璧なものなんて滅多にないもので、どこかに穴があるものだが、1962年に録音された歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」は指揮のカール・ベームをはじめてとして全てにわたって完璧である。フィオルディリージを歌うシュヴァルツコップの美しさ。こんな女性が相手なら、私は喜んで欺されてあげたくなる。本盤、1950年に録音されたカラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団での歌劇「フィガロの結婚」などにおいても素晴らしい歌唱を披露しており、シュヴァルツコップとモーツァルトの楽曲の抜群の相性の良さを感じることが可能だ。決して綺麗な声で歌われているとは言えないのだが、どの曲もその濃厚な表情が美しい。愛らしくもあり格調高さを保つことを忘れない、この大歌手ならではの自在なものです。シュヴァルツコップは戦中にカール・ベームに認められてウィーン歌劇場でデビューを飾っているが、彼女の本格的な活動は戦後、大物プロデューサーのウォルター・レッグに見いだされ、その重要なパートナーとして数多くの録音に参加したことによる。そのレパートリーの多くはレッグが決定していたそうで、そのようなことを彼女自身が語ってもいる。シュヴァルツコップは大プロデューサーであったレッグの音楽的理想を体現した歌手の一人であったと思う。
エリーザベト・シュヴァルツコップ(Olga Maria Elisabeth Frederike Schwarzkopf)は1915年12月9日、ドイツ人の両親のもとプロイセン(現ポーランド)のヤロチン(Jarotschin, 現Jarocin)に生まれたドイツのソプラノ歌手。ベルリン音楽大学で学び始めた当初はコントラルトでしたが、のちに名教師として知られたマリア・イヴォーギュンに師事、ソプラノに転向します。1938年、ベルリンでワーグナーの舞台神聖祝典劇『パルジファル』で魔法城の花園の乙女のひとりを歌ってデビュー。1943年にウィーン国立歌劇場と契約し、コロラトゥーラ・ソプラノとして活動を始めます。第2次大戦後、のちに夫となる英コロムビア・レコードのプロデューサー、ウォルター・レッグと出会います。レッグは『セビリャの理髪師』のロジーナ役を歌うシュヴァルツコップを聴いて即座にレコーディング契約を申し出ますが、シュヴァルツコップはきちんとしたオーディションを求めたといいます。この要求に、レッグはヴォルフの歌曲『誰がお前を呼んだのか』(Wer rief dich denn)を様々な表情で繰り返し歌わせるというオーディションを一時間以上にもわたって行います。居合わせたカラヤンが「あなたは余りにもサディスティックだ」とレッグに意見するほどでしたが、シュヴァルツコップは見事に応え、EMIとの専属録音契約を交わしました。以来、レッグはシュヴァルツコップのマネージャーと音楽上のパートナーとなり、1953年に二人は結婚します。カール・ベームに認められ、『後宮からの誘拐』のブロントヒェンや『ナクソス島のアリアドネ』のツェルビネッタなどハイ・ソプラノの役を中心に活躍していましたが、レッグの勧めもあって次第にリリックなレパートリー、『フィガロの結婚』伯爵夫人などに移行。バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭にも出演し、カラヤンやフルトヴェングラーともしばしば共演します。1947年にはイギリスのコヴェントガーデン王立歌劇場に、1948年にはミラノ・スカラ座に、1964年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビュー。1952年には、『ばらの騎士』の元帥夫人をカラヤン指揮のスカラ座で歌い大成功を収めます。以来、この元帥夫人役はシュヴァルツコップの代表的なレパートリーとなります。オペラ歌手としてもリート歌手としても、その完璧なテクニックと、並外れて知性的な分析力を駆使した優れた歌唱を行い20世紀最高のソプラノと称賛されました。ドイツ・リートの新しい時代を招来したとまで讃えられシューマンやリヒャルト・シュトラウス、マーラーの歌曲を得意とし、中でもとりわけヴォルフの作品を得意とし、1970年代に引退するまで男声のディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウと並んで最高のヴォルフ歌いと高く評価されています。1976年にオペラの舞台から、1979年には歌曲リサイタルからも引退し、後進の指導にあたっていました。2006年8月3日、オーストリア西部のフォアアルルベルク州シュルンスの自宅で死去。享年90歳。
1950年6月17〜21日、10月23〜27、31日ウィーン、ムジークフェラインザールでのウォルター・レッグのプロデュース、ロバート・ベケットによるモノラル・セッション録音。フィガロ:エーリヒ・クンツ、スザンナ:イルムガルト・ゼーフリート、アルマヴィーヴァ伯爵:ジョージ・ロンドン、アルマヴィーヴァ伯爵夫人:エリーザベト・シュヴァルツコップ、ケルビーノ:セーナ・ユリナッチ、バルトロ:マリアン・ルス、マルチェリーナ:エリーザベト・ヘンゲン、ドン・バジリオ/ドン・クルツィオ:エーリヒ・マイクート、バルバリーナ:ローズル・シュヴァイガー、アントニオ:ヴィルヘルム・フェルデン、二人の少女:アニー・フェルバーマイヤー、ヒルデ・チェスカ。ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団。
GB COL CX1007-9 カラヤン モーツァルト・フィガロの結…
GB COL CX1007-9 カラヤン モーツァルト・フィガロの結…
GB COL CX1007-9 カラヤン モーツァルト・フィガロの結…
GB COL CX1007-9 カラヤン モーツァルト・フィガロの結…
GB COL CX1007-9 カラヤン モーツァルト・フィガロの結…
GB COL CX1007-9 カラヤン モーツァルト・フィガロの結…