全盛期オイストラフの奇跡の共演 ― 何十年もクラシック音楽を聴いてこられたオールドファンにとって〝オイストラフ〟はやはり ― ソ連の至宝のスケール大きく雄弁な名演奏で ― 特別な思い入れがあるヴァイオリニスト。導入から、オーケストラの重量感が凄い。フランスのオーケストラにイメージしていること次第だが、これがフランスのオーケストラかと思わされるだろう。とはいえ、後にも先にもこんなに重厚な音をだしたフランスのオーケストラは聴いたことがない。まるでドイツのオーケストラを聴いているような響きに驚かされる。このオットー・クレンペラーの巨大なスケールにも一歩も退かず、ダヴィッド・オイストラフの太く暖かく柔らかなヴァイオリンが即興を交えて、きらきら輝いて堂々と受けて立つ様は、正に千両役者。20世紀を代表する巨匠ヴァイオリニスト、オイストラフ。音だけで誰だか分かるヴァイオリニストの最右翼です。こんなに堂々たる風格があって、気品も漂う滴るような美音のヴァイオリンはオイストラフ以外には聴いたことがありません。誰もが一度は〝オイストラフ〟の演奏に魅了される。緩急強弱の表現すべてが万全で、安定感があり、艶やかで美しい音色でも、鬼気迫る切れ味鋭い音色でも、翳りのあるメランコリーな音色でも、人をひきつける。どんなに一流と呼ばれる人でも、作品やその中にあるフレーズとの相性の良し悪しが出ることがしばしばあるが、オイストラフにかかると、そういうことはほとんど起こらない。ヴァイオリニストの王と讃える人が多いのも当然である。オイストラフは録音を多く遺しているが戦争や冷戦があったために、凄まじい技術を誇っていた若い頃、思うように活動できなかったことが惜しまれる。1908年ウクライナ、オデッサに生まれオイストラフはソ連を代表するヴァイオリニストとして君臨しました。やがて第2次大戦終了後西側世界での活動が本格的に始まると20世紀を代表する巨匠としての評価を確立しました。息子イーゴリ・オイストラフとはドイツ・グラモフォンにバロック音楽を主にしたデュエット、英EMIにはメジャー・レーベルとして最も多くの有名独奏ヴァイオリン協奏曲の録音を残し、ベートーヴェンやブラームスといった得意のレパートリーは、いずれも名演の誉れ高い演奏です。パリ、サル・ワグラムで録音されたアンドレ・クリュイタンス&フランス国立放送管弦楽団とのベートーヴェンやクレンペラー&フランス国立放送管とのブラームスなど、ヴァイオリニストのオイストラフと指揮者クレンペラーによる歴史的名盤。持ち前の美音を駆使して大家の芸を繰り広げるオイストラフを、クレンペラーは雄大なスケールで支え、風格ある中にも美しい限りのブラームスが展開される。この協奏曲を聴くならまずは本盤です。
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ダヴィッド・オイストラフはブラームスの協奏曲をジョージ・セルとも録音しており、そちらも名演として知られています。2種の録音は確かにスケールが大きく、知と情のバランスがとれており、技術面でも不足がない。そして、この演奏が絶賛されたことにより、情熱を迸らせながらも基本的には穏健というオイストラフのイメージが確立されたようにみえる。が、これはオイストラフの力量のみならず指揮者の統率力の賜物でもあることを忘れてはならない。しかし、クリーヴランド管弦楽団を共演とした1969年の方は、さらに円熟味を増しながら瑞々しい情感にも不足なく、真正面からこの名作に向き合った、さらに精度の高いものです。この協奏曲の理想的な名演と言って過言ではないでしょう。オイストラフとセルの晩年のこの演奏には伸びやかで豊かな響きが胸をうつ。二人とも余裕たっぷりで、伸び伸びと演奏し、セルに鍛えられたクリーブランド管はその指揮に見事に応える。美しく、豊かなブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴きたいと思う人にはお勧めの決定盤であろう。スケール感に優れ堂々とした立派な演奏。指揮者もオーケストラも上出来でブラームスの悲哀を大きく包み込む豊かな包容力が印象的だが、もっと厳しさのようなものが欲しい。先日もSNSで、「ブラームスはお好き」と呼びかられた投稿を見た。クラシック音楽鑑賞のバイブルともいうべき「西方の音~天の声~」(五味康祐氏著)に評言されているが、ブラームスは極めて内省的かつ誠実な人物で、ベートーヴェンを超え得ない己が才能をよく自覚しており、生涯にわたって結婚もせず、人のために尽くした無類のお人好しだったという。この協奏曲は演奏者にとって技巧的に至難とも難渋ともいえる曲で、凡百のソリストでは退屈な曲に堕してしまう。指の大きな者でないと弾きにくいことが指摘され、ジャック・ティボー、フリッツ・クライスラー、ウジェーヌ=オーギュスト・イザイなど古来名ヴァイオリニストたちが好んで挑戦しクライスラーの場合などは代表的な名演となっている。ブラームスは人によってかなり好き嫌いがあるようで、フランスの女流作家フランソワーズ・サガンの小説に「ブラームスはお好き」という題名があるが、わざわざ改めて問わねばならないところにクラシック音楽の中に占めるブラームスの微妙な位置づけが象徴されているように思う。
ブラームスは生い立ちからいっても、ハンガリー舞曲を作曲したことからもジプシー音楽に親炙していたことは確かで本曲にも影響はあるでしょう。しかし、それが諸に前面に出てきてしまうような演奏になってはアウトです。かといってユーディ・メニューインのような知的アプローチでは、本曲のブスブス内燃する情熱には届きません。第1楽章で朗々とヴァイオリンを響かせ、第2楽章でどこまでも続くかのようなカンティレーナをたっぷり聴かせ、第3楽章で豪壮で男性的な舞踏を行うことができるのは、このダヴィッド・オイストラフをもって第1人者とするのです。完全無欠と思える名ヴァイオリニストでも、さすがに得手、不得手があってバッハなどはどうも苦手の様子。一方、円満、誠実な人柄がピッタリ合致して最高のレパートリーになっているのがこのブラームスのヴァイオリン協奏曲。「21世紀の名曲・名盤」(2002年、音楽の友社刊)によると、音楽評論家の投票による選出でオイストラフ演奏の盤が最高とされており、それもジョージ・セル指揮の盤とオットー・クレンペラー指揮の盤が節目ごとに交互に1位に選出されている。いわばこのブラームスのヴァイオリン協奏曲に関する限り〝オイストラフの演奏がベスト〟という専門家のお墨付きを得ているところが決して個人的な贔屓目ではない客観的な事実。オイストラフの資質はブラームスによって最大限に開花されている。この曲の録音は、オイストラフのソロで何通りあるのでしょう。CDで発売されたライヴ録音を引き合いに出すと、1955年のフランツ・コンヴィチュニー指揮シュターツカペレ・ベルリン演奏が、本盤よりさらに活きがよくオーケストラが無理しなくても自然にブラームスの響きを出しているのが素晴らしい。この伝でいくと1951年のキリル・コンドラシン指揮モスクワ放送交響楽団とのライヴがもっと溌剌としていることになるが、反復して聴かれることを前置いたヴィンテージ盤で比べたい。この協奏曲はヨーゼフ・ヨアヒムのソロを対象に作曲された難曲ですから、貫禄がありすぎる演奏で終始してては物足りない。このオイストラフがあまりにも楽らくと、伸びやかに弾くのを聴くとなんという技量の違いであろうと思ってしまう。名人ほど難しいことを簡単そうにやってみせるというのが如実にわかる。そこで本盤だが、この演奏時オイストラフ52歳、クレンペラー75歳とどちらかと言えば今の感覚では高齢者に属する顔合わせなので溌剌感はありませんがそれに代わるものが聴き取れます。「勿体ぶり屋」の異名をとる指揮者クレンペラーのゆったりとしたペースとオイストラフの演奏との相性と振幅がぴったり。オーケストラとの一体感も感じられる。クレンペラーが上手く要所においてフランス国立放送管弦楽団からドイツ風の重厚な音色を引き出している。気力、技巧、情緒性のバランスがよく、第2楽章の抒情性は深い味わいがある。クライマックスでのヴァイオリンの艶やかさとバックの幾分渋めの浮沈具合が上手くブレンドされます。最終楽章は単調にならない様にややつっかけながら展開するのは流石この両者ならではの演奏です。この二人の前ではどんな演奏も小さく感じてしまいます。
戦後は西側でも活動できるようになり、各国で大成功を収め、その演奏のみならず人柄も愛されたという。かつてはフリッツ・クライスラーも、「オイストラフはすべてのヴァイオリニストの中で、最も大切なものを持っている。彼が緩やかに演奏することだ」と評価していた。1950年代に録音されたチャイコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲の演奏は作品の核へ向かう切り込み方も、のびやかな美音の歌わせ方も自然かつ適切なフレージングも理想的だ。この1950年代の録音は、それまでのヴァイオリンの響きに豊潤さ、深淵さが加わり演奏家としての絶頂期を記録したものと言えるだろう。ソ連ないし東側の音楽家と組むときは、たいてい遠慮なく自分の音を出している。ニコライ・マルコの指揮で1955年にロンドンで録音したタネーエフの「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏的組曲」は、最高に美しく、素晴らしい。この曲は近寄りがたい程の美しさに、繊細でありながらも巨大な建築物のような音楽。この曲はダヴィッド・オイストラフが好んで演奏したことでも知られていますが、初めて聴いた瞬間から心奪われてしまう。一方、西側で行われた録音は豊麗な音色や安定感のあるフレージングが際立っているものが少なくない。そんな美しい調和の成功例が、オットー・クレンペラーやジョージ・セルの指揮でソリストを務めたブラームスの録音だ。スケールが大きく、知と情のバランスがとれており技術面でも不足がない。そして、この演奏が絶賛されたことにより情熱を迸らせながらも基本的には穏健というオイストラフのイメージが確立された。
ソ連の誇るヴァイオリニストであり世界のヴァイオリン界の巨星でもあったダヴィド・オイストラフ(David Oistrakh)は1974年10月24日にアムステルダムへの演奏旅行の折に、かねてからの持病の心臓病で死去した。66歳だった。このオイストラフは来日公演を通じて日本に大きな影響を与えたし、また音楽愛好家を大いに喜ばせもし日本にとっても親しい存在だったのである。オイストラフはナタン・ミルシテインの先生でもあった、オデッサの名教師ピョートル・ストリアルスキーに師事し、音楽学校ではヴィオラとヴァイオリンの両方を学んだ。1924年に最初のリサイタルを開催。1926年に同地の音楽院を卒業した。1935年に出場したヴィエニャフスキ・コンクールでは2位 ― この時の1位は、中尾さんのリクエストに応えて2017年7月の鑑賞会で聴いていただいた、ジネット・ヌヴー ― に終わったが、その名を全ヨーロッパに知られるようになったのは、1937年にブリュッセルのイザイ国際コンクールでリカルド・オドノポソフと優勝を争い、一位を獲得してからだった。このオイストラフがはじめて日本を訪れたのは、1955年秋である。この当時は戦後10年を経過したわけではあったが、日本はまだソ連の楽壇の事情がよくつかめていないためにオイストラフの名は一部の愛好者だけに、よく知られているといった程度だった。その時オイストラフは47歳、器楽の演奏家として、まさに油ののっていた時期だった。その演奏を聴いて音色や技巧に難点がなく、音楽に新鮮な美感が漂っていたことに驚かされたのだった。オイストラフは、それから何回か来日した。そして、その都度、感銘の深い演奏を聴かせてくれた。このオイストラフのヴァイオリン演奏の大きな特色は、渋み溢れているということである。そこに盛られた温かいロマン性は、やはりオイストラフが年来持ち続けているものである。そしてオイストラフの演奏には、作品そのものが持つ様式からの離脱がない。そして、オイストラフの人間の誠実さと人情味が演奏という面に反映している。勿論、技巧だけにとらわれている演奏ではない。ありふれた言葉でいえば、深い精神内容がそこにある。そしてデリケートではあるが、線の細さを感じさせない。オイストラフは聴く人に音楽で訴えるわけだが、いわゆる後期ロマン派的な主情主義を尊重しているわけではない。ソ連では主情を表面に押し出した演奏様式が、かなり長い間に渡って幅を利かせてた。それをヴァイオリンの方面でいち早く打破したのはオイストラフだった。こうしたわけでオイストラフの演奏には、訴える力は強くあっても不自然さはない。それを、楽譜の読みが深い演奏と言ってもいいだろう。しかも、年齢とともに深味を増してきている。ここにオイストラフのヴァイオリン演奏家としての偉大さがある。確かに〝オイストラフ〟が出現しなかったなら、ソ連のヴァイオリン音楽は現在あるものとは違っていただろう、オイストラフはソ連の新しいヴァイオリンの演奏様式を確立したばかりではなくて、1943年以来モスクワ音楽院の教授となり数多くの門下生にそれを伝えたのでもあった。それに加えて、その人柄と優れた演奏のゆえにソ連の数多くの作曲家から新作の献呈も受けもした。プロコフィエフ、ミヤスコフスキー、カバレフスキー、ラーコフ、ハチャトゥリアン、ショスタコーヴィチなどのヴァイオリン・ソナタや協奏曲には、オイストラフがいなければ生まれなかったものがある。
1960年11月パリ、サル・ワグラム録音。
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