34-16768

商品番号 34-16768

通販レコード→英ダーク・ブルー金文字盤

歌の翼に ―  シュヴァルツコップ珠玉の名歌集。エリーザベト・シュワルツコップ40歳の時に夫君ウォルター・レッグのプロデュースで作ったチャーミングな1枚。歌詞への鋭い踏み込みでドイツ歌曲の現代的表現を確立した彼女だが、ここではポピュラーな名曲を麗しい歌声で瑞々しく歌い上げ、美しい旋律を心から堪能させてくれる。さまざまな機会に語られたシュヴァルツコップの言葉は、どれも彼女の芸術の核心に触れている。これほどフランクに自己の歌曲観を披瀝し、自分の歌唱を裏付けるものをさらけ出してみせた歌手というものは珍しい。その中でとりわけ心を惹かれるのは、リートをあくまでも詩と音楽との総合として捉えようとする態度である。そんな足り前のことを、なにをいまさら ― といわれそうだが、シュヴァルツコップのレコードを聴き重ねながら、この思いが厚くなる。歌曲におけるテキストを、いわば標題楽における標題及至は発想指示のように受け取り、内容の理解は大意だけで満足し、個々のことばを単に音響的な素材としてしか考えない ― そんな歌手が、大手を振ってまかり通った時代は、そんなに遠くはないのである。そして現在、多くの歌手がリートの本質を振り返り、真剣にテキストに取り組んでいるとしたら、その事自体が、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウやシュヴァルツコップのような歌手の出現がもたらした大きな革新の成果なのだ。それにしても、〝ひとつひとつのことばは、ひとりひとりの詩人、作曲家によって異なった意味を持つ。たとえば、Wald(森)ということばを採ってみても、メーリケ、アイヒェンドルフ、ゲーテの詩の中で、シューベルト、ヴォルフ、ブラームスの歌曲の中で、それぞれに違った意味を持っている〟というシュヴァルツコップの言葉を、身にしみて聞く人がどれほどいることだろう。歌手はその違いに気づくだけでなく、それを自分の歌唱に反映させなければならないのだ。従ってこんな言葉を語ることにどれほどの勇気が要り、それ故にまたその言葉はどれほどの意味を持つことだろう。たまたまこのレコードには〝歌の翼〟に触れた2曲の歌があり、ハイネにしろ、ユーゴーにしろ、その詩の中でいわれている〝歌〟はつまりは〝詩〟のことである。文学としてとどまる限り、翼を持たない詩に翼を与えて、鳴り響くものとして聴者の胸に運ぶものは、音楽にほかならない。自然発生的な歌曲における詩と音楽との関係は、まさしくそのようなものであった。詩に曲をつけることの意味は、テキストのテキストの朗唱から得られたリズムやメロディーと、それを支える和音とによって、詩句を自然な音楽的流れとして響かせ、テキストの内容の平均的な解釈に基づく詩の全体的なムードを、より快く味あわせることであった。〝詩は音楽によって完全なものになる〟というゲーテの言葉も、そうした歌の翼への希求の表明にほかならない。シューベルトの出現によって、その事情が一変した。どこから得たのか判らぬ不思議な能力によって、彼は詩のひとつひとつのことばを音楽の中に解体し、音そのものを意味を持った実体と化した。音楽はもはや単に詩の意味を運ぶ翼ではない。いわばはじめから翼あるものとして創り出された抒情の一形式 ― つまり近代的な意味でのリートが生まれたのである。それ以後のリート作曲家にとって、詩を単にムード的に把握することなどは許されない。テキストの一語一語が大きな重みを持ちはじめ、ひいては詩人の特性に対する鋭い解釈が歌曲の中に反映する。この辺の事情は、シュヴァルツコップが歌手の立場で語っていることと同じことである。シューマンにおけるハイネ歌曲とアイヒェンドルフ歌曲の肌合いの相違、ヴォルフにおける詩人別歌曲集の個別的な特性などは ― 更にはアイヒェンドルフ歌曲におけるシューマンとヴォルフの異質性も、誰の耳にも明らかであろう。このレコードは実はリートの集成ではなく、シュヴァルツコップのレコードの中でも最も幅広いレパートリーを持っていることが、問題をいささか複雑にする。外国の曲、ことに外国語の問題が絡んでくるからである。しかし、シュヴァルツコップがあえてそれを選んで歌う以上、必要があれば自国語におけると同じ問題を避けようとはしないだろう。ただ、ここに集められた歌の中には、民謡もしくは民謡調のものが多く含まれ、創作歌曲も一部を除いては、素朴に〝歌の翼〟としての音楽をまとった曲が多い。それらの曲にあっては、歌う方も聴く方も、むしろ虚心に美しいメロディーを楽しみ、快適な気分にひたるのが本筋かもしれない。日本盤は〝歌の翼に〟のタイトルがつけられていることで、以上のことを考えされた。
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本当の意味での世紀末ウィーンの情緒が匂い立ってくる ―  リリック・ソプラノの範疇に入るだろうか、優しくも羽毛のような歌声。単に耳に優しいだけではない。21世紀に入り惜しまれつつ亡くなったエリーザベト・シュヴァルツコップは、様々な役柄において持ち前の名唱を余すことなく披露した。シュヴァルツコップは戦中にカール・ベームに認められてウィーン歌劇場でデビューを飾っているが、彼女の本格的な活動は戦後、大物プロデューサーのウォルター・レッグに見いだされ、その重要なパートナーとして数多くの録音に参加したことによる。1953年に、英コロムビア・レコードのプロデューサーだったレッグはシュヴァルツコップのマネージャーと音楽上のパートナーとなり、EMIとの専属録音契約を交わした〝歌の女王シュヴァルツコップ〟を作り上げた。ワンマン・エゴタイプの厳しい人物で、そのレパートリーの多くはレッグが決定していたそうで、そのようなことを彼女自身が語ってもいる。レッグは夫ともなったが、シュヴァルツコップの歌に惚れ込みEMIに数々の録音を残したことの功績は大きい。そして、シュヴァルツコップは大プロデューサーであったレッグの音楽的理想を体現した歌手の一人であったと思う。当時は、「オペラ歌手」を自認する歌手たちは、決してオペレッタの歌を歌おうとはしませんでした。たとえ録音であったとしてもオペレッタを歌うオペラ歌手を、マリア・カラスは心底馬鹿にしていましたし、その事を隠そうともしませんでした。彼女はオペラ歌手たるもの、オペレッタの甘ったるい歌などは歌うべきではないという固い信念を持っていました。そして、その批判の矛先こそがオペレッタを歌う、このシュヴァルツコップでした。実際、シュヴァルツコップによるオペレッタの歌唱は、未だに誰も超えることのできていない一つの頂点であり続けています。その素晴らしさのよって来るべきところは、オペレッタだからと言って、一切の手抜きをしないで自分のもてる技術のすべてを注ぎ込んでいる「真面目さ」にあります。言葉の意味を一語一語慎重に吟味しつくし、歌の背後にある深い意味までを掘り下げる。その知的な歌いぶりは、作品によってはまると絶大な感動を呼び覚ます。そのような品の良さと凛とした気高さを持っているが故に、シュヴァルツコップの真摯な歌の中からこそ本当の意味での世紀末ウィーンの情緒が匂い立ってくるのです。1950年代後半はシュヴァルツコップが録音に積極的に取り組んだ時期、だがオペラでは役を限定しつつある頃で、この後はオペラを離れドイツ・リートの分野で輝く。彼女の厳かな歌によるこれらの歌は、本当に心を清くさせてくれるものでしょう。マルシャリンは新しい歌手の新しい歌によって凌がれても、これはどうも凌がれそうにない。

Elisabeth Schwarzkopf ‎– in Songs You Love 歌の翼に〜シュヴァルツコップ珠玉の名歌集

Side-A
  1. ただ私のためにのみ盃を(イギリス民謡)
  2. 愛の喜び(マルティーニ)
  3. 歌の翼に op.34-2(メンデルスゾーン)
  4. わが母の教え給いし歌 op.55-4(ドヴォルザーク)
  5. わが歌に翼ありせば(アーン)
  6. ただ憧れを知るもののみ op.6-6(チャイコフスキー)
  7. つぶやくそよ風よ op.21-4(イェンゼン)
Side-B
  1. きみを愛す op.5-3(グリーグ)
  2. 農家の庭の歌 op.61-4(グリーグ)
  3. 黒いバラ op.36-1(シベリウス)
  4. 子守歌 op.41-1(リヒャルト・シュトラウス)
  5. 私の捲髪のかげに(ヴォルフ)
  6. 妖精の歌(ヴォルフ)
  7. おお、愛らしい天使よ(スイス民謡)
  8. 二人の恋人(スイス民謡)
エリーザベト・シュヴァルツコップ(Olga Maria Elisabeth Frederike Schwarzkopf)は1915年12月9日、ドイツ人の両親のもとプロイセン(現ポーランド)のヤロチン(Jarotschin, 現Jarocin)に生まれたドイツのソプラノ歌手。ベルリン音楽大学で学び始めた当初はコントラルトでしたが、のちに名教師として知られたマリア・イヴォーギュンに師事、ソプラノに転向します。1938年、ベルリンでワーグナーの舞台神聖祝典劇『パルジファル』で魔法城の花園の乙女のひとりを歌ってデビュー。1943年にウィーン国立歌劇場と契約し、コロラトゥーラ・ソプラノとして活動を始めます。第2次世界大戦後、のちに夫となる英コロムビア・レコードのプロデューサー、ウォルター・レッグと出会います。レッグはロッシーニの歌劇『セビリャの理髪師』のロジーナ役を歌うシュヴァルツコップを聴いて即座にレコーディング契約を申し出ますが、シュヴァルツコップはきちんとしたオーディションを求めたといいます。この要求に、レッグはヴォルフの歌曲『誰がお前を呼んだのか』(Wer rief dich denn)を様々な表情で繰り返し歌わせるというオーディションを一時間以上にもわたって行います。居合わせたヘルベルト・フォン・カラヤンが「あなたは余りにもサディスティックだ」とレッグに意見するほどでしたが、シュヴァルツコップは見事に応え、英EMIとの専属録音契約を交わしました。以来、レッグはシュヴァルツコップのマネージャーと音楽上のパートナーとなり、1953年に二人は結婚します。カール・ベームに認められ、モーツァルトの歌劇『後宮からの誘拐』のブロントヒェンやリヒャルト・シュトラウスの楽劇『ナクソス島のアリアドネ』のツェルビネッタなどハイ・ソプラノの役を中心に活躍していましたが、レッグの勧めもあって次第にリリックなレパートリー、モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』伯爵夫人などに移行。バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭にも出演し、カラヤンやヴィルヘルム・フルトヴェングラーともしばしば共演します。1947年にはイギリスのコヴェントガーデン王立歌劇場に、1948年にはミラノ・スカラ座に、1964年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビュー。1952年には、リヒャルト・シュトラウスの楽劇『ばらの騎士』の元帥夫人をカラヤン指揮のミラノ・スカラ座で歌い大成功を収めます。以来、この元帥夫人役はシュヴァルツコップの代表的なレパートリーとなります。オペラ歌手としてもリート歌手としても、その完璧なテクニックと、並外れて知性的な分析力を駆使した優れた歌唱を行い20世紀最高のソプラノと称賛されました。ドイツ・リートの新しい時代を招来したとまで讃えられシューマンやリヒャルト・シュトラウス、マーラーの歌曲を得意とし、中でもとりわけヴォルフの作品を得意とし、1970年代に引退するまで男声のディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウと並んで最高のヴォルフ歌いと高く評価されています。1976年にオペラの舞台から、1979年には歌曲リサイタルからも引退し、後進の指導にあたっていました。2006年8月3日、オーストリア西部のフォアアルルベルク州シュルンスの自宅で死去。享年90歳。
  • Record Karte
  • エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、ジェラルド・ムーア(ピアノ)、1956年4月、5月録音。
GB COL CX1404 エリーザベト・シュヴァルツコップ 歌曲集
GB COL CX1404 エリーザベト・シュヴァルツコップ 歌曲集
Christmas Album
Elisabeth Schwarzkopf
EMI Classics Imports
2000-10-17

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