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明るい響きの独奏二人で、スターンの独奏が聞き物。 ― 名ヴァイオリニスト、アイザック・スターンは、バッハから20世紀作品に至る幅広いレパートリー持ち主で、アルバン・ ベルクやバルトーク、イーゴリ・ストラヴィンスキー、サミュエル・バーバー、レナード・ バーンスタイン、アンリ・デュティユーなどの20世紀の協奏曲も演奏・録音した。室内楽でも、ユージン・イストミン、レナード・ローズと組んでピアノ・トリオの演奏や録音を行った。ブラームスも得意としており、さまざまな録音を遺しました。若くロマンティックなピアノ協奏曲第1番、オーケストラとピアノが対等で交響曲的なピアノ協奏曲第2番、同じくオーケストラが精密なヴァイオリン協奏曲、そして晩年の渋いドッペル(ヴァイオリンとチェロのための)協奏曲、これら4曲のブラームスの協奏曲はどれも魅力的で、それらのレコードを並べてブラームスらしさだけでなくソリストの聴き比べが面白い。巨匠と言われる演奏家のほとんどが顔を出しているので名匠の個性を知るうえで格好の曲になっている。ブラームスの二重協奏曲は晩年の作品で、最後の管弦楽作品です。1年前に完成した交響曲第4番では古い様式であるパッサカリアを取り入れたブラームス、この作品ではバロック音楽時代の合奏協奏曲から着想を得て、回帰ではない独自の音楽を作り上げています。ヨアヒムとの仲直りを目的とした作曲動機だけにソリストには高度な重音奏法が求められ、切望する燃えるようなフィナーレが圧巻です。〝フィラデルフィア・サウンド〟を印象づけた響きの美しいホールでの録音なので、スターンのヴァイオリン、ローズのチェロともに艶やかで美しく、ユージン・オーマンディ指揮によるフィラデルフィア管弦楽団の華麗な響きと共に、少々無骨なイメージのあるこの作品を魅力的に聴かせています。オーマンディのベートーヴェンも聴いていただきたいが、リスナーを無条件に魅了する「明るき音響美」よりも、少し型にはまった形式美を追求しているようにも感じる。オーマンディは、ソロパートでもトゥッティでも自在にスクランブルして見事な音楽を奏する。オーマンディは、しかし、そのレヴェルにとどまらず、さらにより高き目標にオーケストラを引っ張っていこうという意欲があったのかも知れない。その試みはオーケストラに一層の緊張感をあたえ、慎重な運行はより各パートの至芸を際立たせている。
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アイザック・スターンの名を見つけると、私は必ず映画「ミュージック・オブ・ハート」を思い出す。メリル・ストリープ演じる女性の音楽教師が、スラム街の学校に通う子供達に悪戦苦闘しながらヴァイオリンを教え込み、最後には地域の支持を獲得することに成功、お別れの発表会をカーネギー・ホールで行うという実話に基づいたストーリーです。このカーネギー・ホールのシーンでスターン自身が登場し、子供達と一緒に演奏をする展開には暖かい人柄が滲み出て、何回見ても飽きない。ユダヤ系のヴァイオリニスト、スターン(Isaac Stern)は、アメリカで活躍したヴァイオリニスト。1920年7月21日、当時ロシアだったウクライナのクレメネツに生まれ、1歳2ヶ月の時、家族に連れられサンフランシスコに移住する。母親から音楽の早期教育を受け、1928年サンフランシスコ音楽院に入学、ヴァイオリンをナフム・ブリンダーに学んだ。1936年2月18日にサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番を、モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団と共演してデビューを果たした。初演後、初演者と作曲者の恋愛関係から演奏される事のなかったバルトークのヴァイオリン協奏曲第1番を初演者の依頼によって再演奏し、世界に知らせた。新進演奏家の擁護者でもあり、なかでもイツァーク・パールマン、ピンカス・ズーカーマン、シュロモ・ミンツ、ヨーヨー・マ、ジャン・ワンはスターンの秘蔵っ子たちで、しばしば共演を重ねてきた。1960年には、カーネギー・ホールが解体の危機に見舞われた際、救済活動に立ち上がった。そのため現在、カーネギー・ホールのメイン・オーディトリアムはスターンの名がつけられている。またユダヤ人としてイスラエルに強い共感を示し、ユダヤ人を題材にしたミュージカル映画『屋根の上のバイオリン弾き』では劇伴のヴァイオリンソロを担当している。一方で、中東和平を推進したイスラエルのバラク政権を支持した事や、ドイツ人との和解に努めた事も注目される。2001年9月22日、その11日前に発生したアメリカ同時多発テロ事件で全米が騒然とする中、その渦中にあったニューヨークで心不全の為、亡くなった。
ユージン・オーマンディ(Eugene Ormandy)は、1899年ハンガリーのブダペスト生まれ。1985年没。フーバイに師事してヴァイオリンを学び、17歳でブダペスト王立音楽院の教授を務める腕前だった。1920年に米国に渡り指揮活動を始める。1931年ミネアポリス交響楽団の常任指揮者を経て、1936年からストコフスキーに招かれフィラデルフィア管弦楽団を振り始め、1938年常任指揮者に就任。1980年に引退するまでの44年間務めた。〝フィラデルフィア・サウンド〟といわれる豊麗な音色を作り上げた。 オーマンディの指揮は妙な小細工を排したオーソドックスそのものだが、歌うべきところはオーケストラを十二分に歌わせ、その妙音の鳴り具合を指揮者と楽員全員で聴き惚れているようなゆとりすら感じさせるのが凡百のオーケストラやコンダクターとの違い。フィラデルフィア管弦楽団は、ボストン交響楽団、シカゴ交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団というオーケストラとアメリカ5大オーケストラといわれ世界でも屈指のオーケストラ。その弦楽器と管楽器の音色は独特で、華麗なるフィラデルフィア・サウンドと言われる。ドイツなどヨーロッパのオーケストラが彼らが本拠とするホールに合った重厚な音を特色としているのに比べ、華やかでふくよかな音色を放つ。創立当初からの本拠地だったアカデミー・オブ・ミュージックが古いオペラハウスであり、その音響が不良であった。「イタリアのオペラハウスみたいにドライな音だ」(フリッツ・ライナー)、「音がすぐ消えてしまう。もっと気持ちよく伸びないと」(ピエール・モントゥー)、「音が小さいからクライマックスでパワーが得られない」(ヘルベルト・フォン・カラヤン)という具合だ。このホールはアメリカの威信にかけて1857年に建設された、アメリカ最古のオペラハウスである。チャイコフスキー、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーなどがここで演奏したという歴史的建造物だ。まだロッシーニは生きていたし、プッチーニが生まれる前の年だ。「ドヴォルザークの新世界」や「ガーシュインのパリのアメリカ人」が初演されたニューヨークのカーネギー・ホールが1891年建造だから、その古さがわかる。スカラ座を手本としたにもかかわらず、おそろしく残響がない。そこで本楽団の奏者はアンサンブルで音に独特な広がりを持たせるよう工夫をし、それが分厚く柔らかくて優しくて弾ける、華麗なる〝フィラデルフィア ・サウンド〟の響きを発達させた。1912年に音楽監督となったレオポルド・ストコフスキー、1938年に音楽監督を引き継いだオーマンディが連綿と作ってきた華麗なオーケストラの響きは、このホールが本拠地だったことと妥協しながら作られたと言われている。オーマンディも「ここで録音はしたくない」と、1960年代には幾つものホールで録音した素材をレコード会社のスタジオで再構成することで艶やかなサウンドを手に入れた。
ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはハスキルやグリュミオー、カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家がひしめき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から60年にかけてのレコードには、本盤も含め米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。
1964年録音。
GB CBS SBRG72295 アイザック・スターン&レナ…
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