34-20451
商品番号 34-20451

通販レコード→英ターコイズ黒文字盤
良い歌や演奏とは聴く側に巧いと感じさせるかではなく、いかに聴く側を曲の持つ世界に引き込むかだ。 ― こぼれ落ちる美から極上の喜悦と評されるゼルキンのモーツァルト。コンチェルトは1980年代のアバドとの再録も世評が高いなか、やはりファンの間で『ゼルキンのモーツァルト』との呼び声を決定づけたのは1951年から1962年にかけて、米COLUMBIAに行なった一連の録音でしょう。ルドルフ・ゼルキン(1903〜1991)は、協奏曲・ソロ・室内楽を包含する幅広いレパートリーを持つ卓越したピアニストとしてだけでなく、カーティス音楽院やマールボロ音楽祭での教育者として数多くのピアニストを育てた活動など、20世紀アメリカの音楽史に彼の名を刻んだ巨匠。モーツァルトのピアノ協奏曲はゼルキンにとってそのレパートリーの要の一つであり、SPレコード時代のブッシュ室内管弦楽団との共演になる第14番に始まり、デジタル時代のアバド指揮ロンドン交響楽団の録音に至るまで、生涯にわたってその録音に情熱的に取り組みました。米COLUMBIAには、モノラル~ステレオ期を通じて15曲 ― そのうち4曲は2度の録音を残しており、その中から1960年代にステレオ収録された2曲は、盟友アレクサンダー・シュナイダーのバックアップも自ら提唱、芸術監督を務めたマールボロ音楽祭つながりのオーケストラの演奏も見事で、それを1960年代の〝コロンビア360サウンド〟でゼルキンの厚みのあるピアニズムを明晰に捉えています。このうえなくチャーミングなゼルキンのモーツァルトだ。まさにアメリカ的な雰囲気にあふれたアルバム。説得力に満ちているピアノ協奏曲第11番と12番。元気のいいオーケストラの狭間から、一筋の光のように虹彩を放っているのがゼルキンのピアノだ。マールボロ音楽祭はゼルキンやアドルフ・ブッシュ、マルセル・モイーズらによって若手の演奏家を教育する目的のために、1951年から始められた音楽祭です。著名な演奏家が中心となり、そこにオーディションで集められた若手の演奏家が集められて音楽を「する」のが目的です。このマールボロ音楽祭は「若手の演奏家の教育」を目的とする嚆矢となった現代の音楽祭で定着した通常の演奏会とは違って、ここでは数十回に上るリハーサルがたっぷりと時間をとって行なわれ、その成果を夜の演奏会でお客さんを入れて披露するというスタイルで運用され、米COLUMBIAが録音で協力。そして、レコードとしてリリースされたこの音楽祭が今も多くのクラシック音楽ファンの記憶の中に刻み込まれているのです。ヨーロッパの音楽祭の実体はプロ・オーケストラからの腕利き連中の集まり、と言った祝祭オーケストラのコンサート会場にお客さんを集めて「聴かせる」事を目的とした音楽とは、本質的な部分で異なり、ゼルキンやシュナイダーが伝えようとするモーツァルトの姿を必死でくみ取り、それをしっかりとした形あるものにしようと「音楽ができる」「喜び」を持って献身している雰囲気が伝わってきます。
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ルドルフ・ゼルキンのディスコグラフィの特徴は、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスを要にした独襖レパートリーがメインであることですが、生前本人が「演奏は2度と同じものはありません。だから一人のアーティストによる同じ曲の録音でも、複数のレコードが発売されていていいと思います」と語っている通り、同一曲の再録音が多いことがあげられるでしょう。まさにカラヤンのように、録音技術の進化に伴って同じレパートリーを繰り返し録音し直しており、たとえばブラームスのピアノ協奏曲第1番が ― 1946年のフリッツ・ライナー、1952年のセル、1961年のユージン・オーマンディ、1968年の再びセルとの4種類、ベートーヴェンの『皇帝』は ― 1941年のブルーノ・ワルター、1950年のオーマンディ、1962年のレナード・バーンスタインと3種類の録音があり、本盤のモーツァルトのピアノ協奏曲第11番ヘ長調 K.413が1957年8月28日、第12番イ長調 K.414が1956年8月30日に同じくシュナイダー指揮マールボロ音楽祭管弦楽団でモノラル録音がある。ゼルキンに師事したピアニスト、クレイグ・シェパードがゼルキンのジョージ・セル指揮クリーヴランド・オーケストラと共演したブラームス・ピアノ協奏曲第2番のレコードを前に語っている。『私はそのレコーディングが大好きです。しかし、全般的にゼルキン氏の録音はあまり良くないと思うのです。マールボロで交わした彼との会話から判断すると、彼でさえこのことに同意すると思います。コンサートで、彼は演奏にむらがあることは皆の知るところでした。しかし、演奏がうまくいったとき、百発百中したときの演奏は、本当に忘れがたく、尊大で、信じられないほど活気の漲ったものでした。彼から教わった一番大切なことは、いかなるときも楽譜に忠実であること、並外れた彼の人格をその演奏にくみ込むという、音楽に対する弛まぬ姿勢でした。この奮闘を目の当たりにすることは、本当に有り難い経験でした。』と。グレン・グールド、ウラディミール・ホロヴィッツ、アルトゥール・ルービンシュタイン、スヴャトスラフ・リヒテル、エミール・ギレリス … LPレコード時代の羨望の名ピアニストたち。ゼルキンもSPレコードの時代から親しまれてきた名ピアニストだ。それこそ何でも来いのスーパースタータイプのルービンシュタインに対して、ゼルキンはレパートリーの狭い演奏家だった。それはレコードとして残すことを求められたものが限られてしまったということだけだろう。若い頃は冒険的な演奏もしただろうし、彼のディスコグラフィーを見れば感じられる。
ドイツ音楽を得意としたルドルフ・ゼルキン(Rudolf Serkin, 1903年3月28日〜1991年5月8日)は、特にベートーヴェン演奏の評価が高かったが録音には慎重でコロムビア・レコードからの希望にもかかわらず結局ピアノ・ソナタ全曲の録音を完成しなかった。ドイツ音楽の正当な後継者と目され、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどの解釈で知られていた。だからといって演奏家としての評価とレコードとしての仕上がりは等しいかは違ってくる。SPレコード時代のアドルフ・ブッシュとの共演盤でも感じることですが、晩年にはテラークで小澤征爾とのベートーヴェンのピアノ協奏曲や、ドイツ・グラモフォンでクラウディオ・アバドとのモーツァルトのピアノ協奏曲を録音。そのまとまった録音を聴けば分かりやすい。さてゼルキンのような演奏家タイプをどこから聴くべきか。小澤征爾指揮の《皇帝》協奏曲は素敵な演奏でしたが、他の4曲は平凡だった。そこはオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が勝るだろう。中でもこのゼルキンの演奏は、トップと言って良いくらいの感動的な演奏だ。テクニックは完璧でそのタッチは強靭。「ベートーベンのコンチェルトとしてこれ以上何を望むか」といえるほど私にとっては理想的な演奏だ。そして音楽している楽しさがよく伝わってくるアバドとのモーツァルトが素敵だ。明晰で流麗、かつ意欲的な表現に溢れている演奏。「良い歌や演奏とは聴く側に巧いと感じさせるかではなく、いかに聴く側を曲の持つ世界に引き込むかだ」 ― 〝通〟なんてものじゃないがスター・ピアニストがモーツァルトのピアノ協奏曲を録音して、CD発売されると寄り合って聴いて感想を語り合う仲間がいる。相手の趣向を把握している同士では評判が良い。モーツァルトを弾くには、やや野暮ったいゼルキンのソロ、時に直截に過ぎる表情が顔を出してしまうアバドのタクト。ロンドン交響楽団の美しい個性にゼルキンの繊細な音色が重なる、ひとつひとつの音に深みと誠実さを妙味として覚えるには、繰り返し聴き込んでモーツァルトが構築した精神世界に接した感覚を持った経験が必要かもしれない。とは言っても「第20番」の第1楽章と第3楽章のカデンツァで、突如として「ベートーヴェン弾き」に〝変身〟してしまうゼルキンの姿や、「第12番」での表面的な華やかさに乏しく地味めな作品で落ち着いた抑制の利いた上品な語り口には「音楽している楽しさ」を感じ入ってしまう。モーツァルトの音楽は蛮人にも美しいと思わせるものだけども、聴いているうちにいつの間にか別世界に没入させるためには聴く側に合わせてやる必要がある。どこかで「楽しい」と共鳴する、そのタイミングをゼルキンは数多く用意して待ってくれているのだ。
1962年10月4日バーモント州、マールボロでの録音。
GB CBS 73084 ゼルキン&シュナイダー モーツァルト・ピア…
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