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ストイックでありつつもふくよかな歌い回し。

ズーカーマンとバレンボイムは、ドイツ・グラモフォンでベートーヴェンやシベリウスなど、数多くの協奏曲録音を行っている名コンビ。コロンビアではモーツァルトのヴァイオリン協奏曲を全曲録音しています。この4番と5番でもさすがに息の合った演奏を聴かせてくれます。

無類のセンスとテクニックによって名器を楽々と操るピンカス・ズッカーマンと、ダニエル・バレンボイムの音楽的構造を見事に際立たせた知的な伴奏によるモーツァルト演奏です。近年、音楽のデジタル配信サービスが一般的になる一方、アナログレコードが注目を集めています。2021年のアナログレコードの売上は30億円を超え、レコード最盛期である1999年以来22年ぶりの高水準に達しました。人気再熱を後押しするかのように、アーティストたちも続々と新譜をレコードで発表。往年の大演奏家たちの活動の把握までは難しいが、2014年から新たな「エルガー・プロジェクト」をシュターツカペレ・ベルリンとスタートしているバレンボイムは、言うまでもなく現代を代表する指揮者であり、また長らく一流のピアニストであり続けている。短期間に膨大な演奏や録音をこなすことでも知られる。市場が縮小した今日においても、定期的に新譜を出せる数少ない指揮者である。バレンボイムが録音を開始したのは1955年のこと。しかし本格的な録音プロジェクトがスタートしたのは1960年代になってからで、まずウェストミンスター・レーベルで、続いてEMIでピアニストとしての継続的な録音が開始されました。特に1965年に始まるイギリス室内管弦楽団との密接な関係はピアノ協奏曲を始めとするモーツァルト作品の網羅的な録音が行なわれましたが、バレンボイムが初めてコロンビア・レコードに録音するのはこの時期で、ズーカーマンとのモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集の指揮者として登場。イギリス室内管とはロドリーゴをジョン・ウィリアムズのギターを迎えて、大注目された録音しています。ピアニストとしての録音では、ズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックとのブラームスのピアノ協奏曲2曲、メータ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのリヒャルト・シュトラウスの協奏的作品「ブルレスケ」は、いずれもバレンボイム唯一の録音であるほか、パールマンとのブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲。同じころにピエール・ブーレーズの指揮でベルク「室内協奏曲」の録音に、ピアニストとしても参加しています。バレンボイムはピアニスト、指揮者として、これまでにほぼすべてのメジャー・レーベルから膨大な録音をリリースしてきていますが、ことソニー・クラシカル(旧コロンビア時代からCBSおよびRCA REDSEAL)への録音には他レーベルにはないいくつもの特徴があります。
  • Record Karte
    • Producer – Paul Myers, 1970(4、5番)ロンドンでの録音。

CDはアマゾンで

バイオリン協奏曲集
ズーカーマン(ピンカス)
ソニー・ミュージックレコーズ
1991-04-25


モーツァルト:協奏交響曲
パールマン(イツァーク)
ユニバーサル ミュージック クラシック
2010-10-06



モーツァルト : アイネ・クライネ・ナハトムジーク
フィラデルフィア管弦楽団
ソニー・ミュージックレコーズ
1995-10-21


Mozart: Violin Concertos nos 4, 5 / Zukerman, St Paul CO
Zukerman, Pinchas
Sony Classics
1997-05-26



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ピンカス・ズーカーマン(Pinchas Zukerman, 1948年7月16日イスラエルのテル・アヴィヴ生まれ)は、アイザック・スターンとパブロ・カザルスに見出され、スターンのすすめでアメリカに渡り、ジュリアード音楽院で名教師イヴァン・ガラミアンに師事して技術を高めます。1967年にレヴェントリット・コンクールでチョン・キョンファと第1位を分け合う。1969年には自身を見出してくれたスターンの代役としてレナード・バーンスタイン率いるニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に出演、大成功を収め一躍有名になりました。ガラミアン門下ならではの美音が魅力で、アメリカ・ヨーロッパで高い人気を得、とりわけイギリスでは大衆的な人気を得ている。彼はヴァイオリンだけでなく、しばしばヴィオラを演奏することでも知られており、彼の持ち味の朗々とした歌い回しで美しい音を響かせます。バルトークの協奏曲では1枚のCDに「ヴァイオリン協奏曲第2番」と「ヴィオラ協奏曲」の両方をカップリングしている。ヴァイオリン・ヴィオラ合わせ100点以上の録音があり、そのうち21点がグラミー賞にノミネートされ、2点が入賞した。1974年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団を振って指揮者デビューをして以来、指揮活動にも本格的に取り組んでいる。1980年から1987年までセントポール室内管弦楽団の音楽監督を務めた。また、ダラス交響楽団やイギリス室内管弦楽団にもしばしば客演をしている。現在はカナダで活躍し、1998年4月よりオタワ国立芸術センター管弦楽団の音楽監督に就任している。ダニエル・バレンボイムやイツァーク・パールマンとは個人的にも親しく、しばしば共演を重ねている。バレンボイムやジャクリーヌ・デュプレとトリオを組んだベートーヴェンのピアノトリオ全集も有名。そのイギリスEMI盤の成功を契機に華麗なテクニックを誇るだけでなく、室内楽にも精通し、ヴァイオリンをヴィオラに持ち替えて旧知のバレンボイムともDGG(ドイツ・グラモフォン)からも何枚もリリース。ビートルズ・ブームの中育った、30歳前後の同世代間が共有する音楽感が際立っています。
ダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim, 1942年11月15日ブエノスアイレス生まれ)は演奏家である前に、独自の音楽観を持った音楽家であり、楽想そのものの流れを掴むことのできる稀有な才能の持ち主であろう。テンポの揺れは殆ど無く、凪の中で静かに時間が進み、色彩が移り変わっていく。全体的には厚めの暖かみのある音色で、煌めき度は高くなく沈んだ暖色系の色がしている。ピアニストからスタートして、もともとフルトヴェングラーに私淑していたこともあり、さらにメータ、クラウディオ・アバド、ピンカス・ズッカーマンなどとともに学びあった間柄で、指揮者志向は若い時からあったバレンボイム。7歳でピアニストとしてデビューしたバレンボイムの演奏を聴いた指揮者、イーゴリ・マルケヴィッチは『ピアノの腕は素晴らしいが、弾き方は指揮者の素質を示している』と看破。1952年、一家はイスラエルへ移住するが、その途上ザルツブルクに滞在しウィルヘルム・フルトヴェングラーから紹介状〝バレンボイムの登場は事件だ〟をもらう。ダニエル少年はエドウィン・フィッシャーのモーツァルト弾き振りに感銘し、オーケストラを掌握するため指揮を学ぶようアドヴァイスされた。ピアニスティックな表現も大切なことだとは思いますが、彼の凄さはその反対にある、音楽的普遍性を表現できることにあるのではないか。バレンボイムは『近年の教育と作曲からはハーモニーの概念が欠落し、テンポについての誤解が蔓延している。スコア上のメトロノーム指示はアイディアであり演奏速度を命じるものではない。』と警鐘し、『スピノザ、アリストテレスなど、音楽以外の書物は思考を深めてくれる』と奨めている。バレンボイムの演奏の特色として顕著なのはテンポだ。アンダンテがアダージョに思えるほど引き伸ばされる。悪く言えば間延びしている。そのドイツ的重厚さが、単調で愚鈍な印象に映るのだ。その表面的でない血の気の多さ、緊迫感のようなものが伝わってくる背筋にぞっとくるような迫力があります。パリ管弦楽団音楽監督時代、ドイツ・グラモフォンに録音したラヴェルとドビュッシーは評価が高い。シュターツカペレ・ベルリンとベートーヴェンの交響曲全集を、シカゴ交響楽団とブラームスの交響曲全集を、シカゴ交響楽団及びベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とブルックナーの交響曲全集を2種、それぞれ完成させている。ピアニストとしてより指揮者として顕著さが出る、この時期のレコードで特に表出している、このロマンティックな演奏にこそバレンボイムを聴く面白さがあるのです。「トリスタンを振らせたらダニエルが一番だよ」とズービン・メータが賞賛しているが、東洋人である日本人もうねる色気を感じるはずだろう。だが、どうも日本人がクラシック音楽を聞く時にはドイツ的な演奏への純血主義的観念と偏見が邪魔をしているように思える。