34-19919
商品番号 34-19919

通販レコード→英ブラウン黒文字盤
雪が融け、到来する春を言祝ぐような音楽。 ― 二人の巨匠が同時に颯爽と登場する瞬間はゾクッと肌の毛が逆立ってしまうほどの感動を覚えます。太くて深々としたダヴィッド・オイストラフ、輝くように躍動するアイザック・スターン。ユージン・オーマンディ(Eugene Ormandy)が率いるフィラデルフィア管弦楽団の〝フィラデルフィア・サウンド〟の美麗な弦楽アンサンブルの音。東西両巨匠のオイストラフとスターンが第1、第2ヴァイオリンを2曲ずつ分け合った、まさに夢の競演というに相応しい演奏。「2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調」(RV514)、「2つのヴァイオリンのための協奏曲ハ短調」(RV509)、「2つのヴァイオリンのための協奏曲ト短調」(RV517)、「2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ長調」(RV512)の4曲を交互にソロをとっています。最近発売されたCDとは、順番が異なり。二人の演奏スタイルの違いを聴き比べることも興味深いものですが、なによりも両巨匠の貫禄がせめぎ合い切磋琢磨し、驚くべきことに長年共演してきたかのように息の合った演奏を聴かせます。そして、協奏曲の伴奏が巧いオーマンディだけに2人のヴァイオリニストの長所を引き出す名人芸は実に素晴らしい。バロック音楽のオーセンティシティよりも、フィラデルフィア管の充実したストリング・サウンドの魅力と凄さを伝えるアルバム。バロック音楽ブームの誘い水となったと言っても過言ではない、〝LPレコード初期の名盤〟の誉れ高いアルバムです。オーマンディとフィラデルフィア管コンビの、規範的な良き演奏イ・ムジチ合奏団が一世風靡したバロック音楽を受けて立った巨匠たちの風格を聴こう。強力な〝フィラデルフィア・サウンド〟を前面に立てての華麗な演奏といったイメージも根付いているが、細密画を描くがごとく緻密で、各曲別に性格づけを考えぬいたような周到な演奏。リスナーを無条件に魅了する「明るき音響美」よりも、少し型にはまった形式美を追求しているようにも感じる。オーマンディは、ソロパートでもトゥッティでも自在にスクランブルして見事な音楽を奏する。「手兵」フィラデルフィア管にとって、親和性のある楽曲表現に大いに自信をもっていたことだろう。オーマンディは、しかし、そのレヴェルにとどまらず、さらにより高き目標にオーケストラを引っ張っていこうという意欲があったのかも知れない。その試みはオーケストラに一層の緊張感をあたえ、慎重な運行はより各パートの至芸を際立たせている。アメリカ・コロムビアレコードならではの〝360ステレオ・サウンド〟の鮮明なサウンドも聴きごたえたっぷりです。
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アイザック・スターンの名を見つけると、私は必ず映画「ミュージック・オブ・ハート」(Music of the Heart, 1999)を思い出す。メリル・ストリープ演じる女性の音楽教師が、スラム街の学校に通う子供達に悪戦苦闘しながらヴァイオリンを教え込み、最後には地域の支持を獲得することに成功、お別れの発表会をカーネギー・ホールで行うという実話に基づいたストーリーです。このカーネギー・ホールのシーンでスターン自身が登場し、子供達と一緒に演奏をする展開には暖かい人柄が滲み出て、何回見ても飽きない。ユダヤ系のヴァイオリニスト、スターン(Isaac Stern)は、アメリカで活躍したヴァイオリニスト。1920年7月21日、当時ロシアだったウクライナのクレメネツに生まれ、1歳2ヶ月の時、家族に連れられサンフランシスコに移住する。母親から音楽の早期教育を受け、1928年サンフランシスコ音楽院に入学、ヴァイオリンをナフム・ブリンダーに学んだ。1936年2月18日にサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番を、ピエール・モントゥー指揮サンフランシスコ交響楽団と共演してデビューを果たした。初演後、初演者と作曲者の恋愛関係から演奏される事のなかったバルトークのヴァイオリン協奏曲第1番を初演者の依頼によって再演奏し、世界に知らせた。新進演奏家の擁護者でもあり、なかでもイツァーク・パールマン、ピンカス・ズーカーマン、シュロモ・ミンツ、ヨーヨー・マ、ジャン・ワンはスターンの秘蔵っ子たちで、しばしば共演を重ねてきた。1960年には、カーネギー・ホールが解体の危機に見舞われた際、救済活動に立ち上がった。そのため現在、カーネギー・ホールのメイン・オーディトリアムはスターンの名がつけられている。またユダヤ人としてイスラエルに強い共感を示し、ユダヤ人を題材にしたミュージカル映画『屋根の上のバイオリン弾き』では劇伴のヴァイオリンソロを担当している。一方で、中東和平を推進したイスラエルのバラク政権を支持した事や、ドイツ人との和解に努めた事も注目される。2001年9月22日、その11日前に発生したアメリカ同時多発テロ事件で全米が騒然とする中、その渦中にあったニューヨークで心不全の為、亡くなった。
ユージン・オーマンディは、1899年ハンガリーのブダペスト生まれ。1985年没。イェネー・フーバイに師事してヴァイオリンを学び、17歳でブダペスト王立音楽院の教授を務める腕前だった。1920年に米国に渡り指揮活動を始める。1931年ミネアポリス交響楽団の常任指揮者を経て、1936年からレオポルド・ストコフスキーに招かれフィラデルフィア管を振り始め、1938年常任指揮者に就任。1980年に引退するまでの44年間務めた。フィラデルフィア・サウンドといわれる豊麗な音色を作り上げた。そしてスターンとオイストラフ。この二人の縁はなんぞやと思って調べてみました。二人共ロシア生まれのユダヤ系ですが、アイザック・スターンは1歳のときにサンフランシスコに家族が移住したのでアメリカ出身といってよい。スターンは1951年のエリザベス国際コンクールに優勝。その時の審査員のひとりがダヴィッド・オイストラフ。こうして出会ったふたりが、オイストラフのセンセーショナルな米国デビューツアーの際、セッション録音を組んだというものです。1954年スターリンの死去とともにソ連では自由化の雰囲気が顕著となります。「雪解け」という表現が日常語になるのはこの頃、これをいち早く反映した小説「雪どけ」に由来します。この時に、東西冷戦のベールに覆われていたソ連の音楽家が西側に次々と登場してきます。オイストラフはその先頭を切って1955年に米国デビューを果たします。このLPはその時分に録音されたものです。ユニークにも思える取り合わせの演奏が録音された時期で、LPレコードが面白いと思える一つです。また、ジャン=ピエール・ランパルとスターンが2台のヴァイオリンのための協奏曲をフルートとヴァイオリンで演奏したものをちょっと前に案内していますが、ランパルが一方のヴァイオリン・ソロをフルートで演奏したスターンとの2つのヴァイオリン協奏曲集は明るく優雅で輝きを放つ音色が新鮮な魅力を持つ演奏です。
Lalo, Bruch / The Philadelphia Orchestra Conducted By Eugene Ormandy, Isaac Stern ‎– Lalo: Symphonie Espagnole In D Minor, Op. 21, Bruch: Violin Concerto In G Minor, Op. 26
  • Side-A
    1. Concerto No. 1 In G Minor For Violin And Orchestra, Op. 26 I - Allegro Moderato
    2. Concerto No. 1 In G Minor For Violin And Orchestra, Op. 26 II - Adagio
    3. Concerto No. 1 In G Minor For Violin And Orchestra, Op. 26 III - Finale (Allegro Energico)
  • Side-B
    1. Symphonie Espagnole In D Minor, Op. 21 I - Allegro Non Troppo
    2. Symphonie Espagnole In D Minor, Op. 21 II - Scherzando (Allegro Molto)
    3. Symphonie Espagnole In D Minor, Op. 21 III - Intermezzo (Allegretto Non Troppo)
    4. Symphonie Espagnole In D Minor, Op. 21 IV - Andante
    5. Symphonie Espagnole In D Minor, Op. 21 V - Rondo (Allegro)
ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、オランダ・フィリップス・レーベルにはクララ・ハスキルやアルテュール・グリュミオー、パブロ・カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家がひしめき合っている。蘭フィリップス・レーベルは、英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から60年にかけてのレコードには、本盤も含め米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。
1959年12月31日、ニューヨーク、コロンビア30丁目スタジオ録音。ジョン・マックルーアがプロデュース。
GB CBS 61629 スターン&オイストラフ ヴィヴァル…
GB CBS 61629 スターン&オイストラフ ヴィヴァル…