リハーサルは厳格を極めたと伝えられていますが、本番では「音楽は自由であるべきだ」との信念から、ずっと手綱を緩めて素晴らしい名演を聴かせることで知られていました。 ― 指揮者の中の指揮者と称賛され、作曲家の弁護人とまで言われた大指揮者ラインスドルフ。日本での評価はさほど高いとは言えないことが惜しい限りです。けれんみの無い音楽作り、またオーケストラビルダーとしても知られたエーリヒ・ラインスドルフは独墺系中心に幅広いレパートリーを誇りますが、1957年にメトロポリタン歌劇場に復帰したラインスドルフは、ディミトリ・ミトロプーロスと2人体制で上演を盛り上げます。この時期のラインスドルフはEMI系のレーベルにステレオでセッション録音を行っており、米キャピトルに、ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団とドヴォルザークの『新世界より』、チャイコフスキーの『悲愴』交響曲、ドビュッシーの『海』、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』第2組曲、リヒャルト・シュトラウスの『死と変容』、ワーグナーのオペラ『タンホイザー』の「ヴェヌスベルクの音楽」、そして臨時編成、もしくは覆面オーケストラの「コンサート・アーツ交響楽団」とワーグナー管弦楽曲集、リムスキー=コルサコフの『シェエラザード』など有名管弦楽曲を録音、英COLUMBIAには、フィルハーモニア管弦楽団を指揮してリヒャルト・シュトラウスの管弦楽作品集、ブラームスの交響曲第3番、序曲集(本盤)を、独ELECTROLAにはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とシューベルトのミサ曲第6番を録音しています。ステレオ初期のサウンドで、当時のラインスドルフの活気のある芸風を楽しめる快演揃いですが、シューベルトのミサ曲では一転、しっとりとした美しさを追求した演奏を聴かせており、若きフリッツ・ヴンダーリヒの美声も含めて非常に注目度の高い仕上がりとなっています。ラインスドルフといえば知的で整理された中にも、時としてピリッとしたスパイスを効かせた玄人好みの音楽造りをする人です。同時期のオペラのセッション録音にはプッチーニの『トゥーランドット』、『トスカ』、『ラ・ボエーム』、『蝶々夫人』、モーツァルトの『コジ・ファン・トゥッテ』、ロッシーニの『セヴィーリャの理髪師』、ヴェルディの『マクベス』をRCAに、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』、『フィガロの結婚』、リヒャルト・シュトラウスの『ナクソス島のアリアドネ』、ワーグナーの『ワルキューレ』をDECCAへと有名な録音が多く、オペラで実績豊富なラインスドルフへの信頼が厚いものだったことが窺えます。ヴェルディは、同時代の作曲家にあまり関心を示さないタイプであったと言われている。そんなヴェルディがワーグナーを知るようになったのは、ワーグナーに熱狂したイタリアの作曲家たちを通じてであった。両者は同年=1813年に生まれ、オペラ作曲家として新境地を拓いて後世に名を残した大音楽家ですが、ヴェルディが初めて聴いたワーグナーの音楽は1865年の「タンホイザー」序曲であった。また、イタリアで初演されたワーグナーの「ローエングリン」上演を見たヴェルディは、
全体の印象は中ぐらいというところ。音楽は明晰で表情たっぷりなところは美しい。物語はゆっくりと展開する。したがって退屈である。オーケストラの効果は素晴らしい。持続音が多く、これが重い感じを与えている。とヴォーカル・スコアの余白に書き記している。ワーグナーが早くから番号付きオペラを捨て、短いモチーフを使って音楽を構築してドラマとの融合をめざした〝ライト・モチーフ〟を横目で見つつ、ヴェルディはあくまでまとまったメロディーを大切にしてイタリア・オペラの世界を守り続けた。それでも、1883年にワーグナーが没すると、グランド・オペラを指向していたヴェルディのオペラ作りの ― 固執を示していたほどの技法を捨てました。オペラとしての前作「アイーダ」からは、13年も経っていましたし、その間に書いた大きな作品は1974年に初演されたレクイエムのみでした。そのレクイエムからも9年も経っているのです。一般には、その1884年初演の「ドン・カルロ」あたりからワーグナーの影響というのが言われていて、「オテロ」では、なおいっそうそれが進んだと言われていますが、ヴェルディがそうした〝ライト・モチーフ〟を「運命の力」で一番使っています。パリ・オペラ座委嘱の次作『ドン・カルロ』に忙殺されていた、1869年にスカラ座で行われた改訂版には、クライマックスを「平安に神の御許に赴くレオノーラ、酷い運命を嘆きつつも彼女の魂の平安を祈るアルヴァーロ、その両者を見守る慈しみ深い修道院長」の美しい3重唱によってピアニッシモで終わるように書き改め、短い前奏曲で開始される形であった『運命の力』に、新たに全ドラマを音楽的に俯瞰する有名な序曲を作曲している。短いモチーフを縦横に使って音楽を形作っていく手法はドイツ音楽でさかんに使われ、最も有名なところでは、ベートーヴェンの音楽です。本盤はワーグナーとヴェルディを両端にして、ヴェルディと親交があったロッシーニはオペラで人生の成功を掴んだ先輩作曲家。モーツァルトとウェーバーは従兄弟で、モーツァルトを尊敬していたベートーヴェンの名作序曲集。レコードの収録時間の制約はあっただろうが、計算づくの選曲だったのか。心憎いプログラム。本盤のオペラもいずれも全曲を聴かせて欲しかったが、ラインスドルフがもともとは声楽を扱う指揮者であったことをまざまざと実感させる演奏です。多くのレパートリーがRCAに録音されましたが、コンサート、オペラで八面六臂の活躍をした巨匠のライヴ録音があまり出ていないことも再評価が遅れる所以でしょう。本盤が多少でも、その乾きを癒せれば幸いです。
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エーリヒ・ラインスドルフ(Erich Leinsdorf, 1912~1993)はウィーンのユダヤ人家庭に生まれ、アントン・ウェーベルン率いる労働者合唱団の練習ピアニストからキャリアを始め、22歳の若さでザルツブルク音楽祭に招かれ、1934年からブルーノ・ワルター、アルトゥーロ・トスカニーニの下で練習ピアニストとして修行を積んだ後に、ヒトラー率いるナチス・ドイツ政権によるホロコーストから逃れて、1937年の渡米後も、まずメトロポリタン歌劇場でのキルステン・フラグスタートやラウリッツ・メルヒオールといった大歌手たちと共演したワーグナー指揮でその名声を轟かせました。1942年に米国籍を取得。その後クリーヴランド管弦楽団、ロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団、ニューヨークのシティ・オペラの音楽監督やメトロポリタン歌劇場の音楽顧問も歴任し、1962年からシャルル・ミュンシュの後任としてボストン交響楽団の音楽監督に就任。この時期にドイツ音楽のスペシャリストとして評価を固め、膨大な数の録音を残しています。1969年にボストン響から離れた後はウィーン交響楽団、ベルリン放送交響楽団の音楽監督となるなど、主にヨーロッパを中心として活躍しました。最晩年は古巣のドイツ語圏でもマエストロと尊敬され、リヒャルト・シュトラウスやストラヴィンスキーら直接薫陶を受けた作曲家の解釈では傑出した存在となった。ラインスドルフは耳の良さに定評があり、あまりにも厳格な要求は楽員たちから煙たがられた。演奏に3時間を費やすヨハン・ゼバスチャン・バッハの「マタイ受難曲」のような大曲でも隅から隅まで暗譜、リハーサルにも楽譜なしで臨みながら楽団員に対し、「そこのオーボエの君、最後4分の1音だけずれていたよ」と詳細に指摘。すわ、パート譜を確認すると、マエストロの指摘通りといった具合で、逃げ場がない。リハーサルは、みっちり油をしぼられる。厳格を極めたと伝えられていますが、でも本番は楽員たちの自由に弾かせていた。『音楽は自由であるべきだ』との信条に従い、ぐっと手綱を緩めるから奇跡の名演になる。1962~1969年にボストン響の音楽監督を務めた間ももめ続けたが、残された録音の質は極めて高い。またオペラからコンサートレパートリーまで、何でも振れる職人気質が災いして、実力のわりには日本での評価は低かった。若い頃の演奏は整ってはいるものの幾分冷めた部分があって、その点が人気のなかった原因とも思えますが、来日は1978年にニューヨーク・フィルハーモニックと、レナード・バーンスタインの代役としてでしたが、べートーヴェンの交響曲第3番「英雄」は〝驚くべき巨匠の音楽〟と、玄人筋から絶賛された。1980年代以降の晩年の演奏は、知的でよく整ったバランス感覚の優れた音楽造りに格調の高さとヒューマンな暖かさが備わったのを感じさせます。
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- 【収録曲】ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第1幕への前奏曲、ロッシーニ:歌劇「アルジェのイタリア女」序曲、ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲J. 306、モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲 KV 492、ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番, Op. 72b、ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲、1959年ステレオ録音。
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