FR VSM FALP830 メニューイン モーツァルト・ヴァイオリン協奏曲
通販レコード→仏ラージ・ドッグ、セミサークル黒文字盤

FR VSM FALP830 メニューイン モーツァルト・ヴァイオリン協奏曲

対話に溢れた「平和」な音楽。 ― メニューインの演奏はどの曲も明確なアーティキュレーションで、決してヴィルトゥオーゾ的な演奏ではないが、モーツァルトらしい躍動感に満ちた演奏は誠実そのもの。特別編成のオーケストラとのバランスも良くメリハリに富んだ素晴らしい仕上がりです。現在ではモーツァルトのヴァイオリン協奏曲は14曲ある。未完成作、断片は数えない。そして、偽作の疑いのある3曲があるが、「アデライーデ」の愛称で親しまれている第7番は真偽の如何にかかわらず親しまれている。偽物ということでほぼ確定していて最近新録音の機会はめっきり減ったが、ヴィオリンのレッスンではしばしば取り上げられることも手伝って人気が高い。中でもメニューインのヴァイオリン協奏曲集は纏まっていることもあってカタログから消えるようなことがない。本盤は、ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調 K.268と2つのヴァイオリンのための協奏曲ハ長調 K.190(186E)。コレクションの記憶違いに気をつけて欲しいが、カバーとラベルでは『7番』となっているが俗にいう「アデライーデ」ではなく、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏曲でもない。2台のヴァイオリンのための相手は、アルベルト・リジー( Alberto Lysy )。ブエノスアイレス生まれで、南米の演奏家として初めてエリザベート国際コンクールで優勝した。シャーンドル・ヴェーグとのバルトーク「2つのヴァイオリンのための44のデュオ」は代表作。メニューイン・アカデミーの教授として後進を指導。2009年没。ロイヤル・フェスティバル・ホール、コンセルトヘボウ、ベルリン・フィルなど、数々の名コンサートホールで演奏を重ねてきた名チェリストで、ラロ・シフリンから曲を贈られているアントニオ・リジーは、彼の息子。
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この一連のモーツァルトの協奏曲の演奏は1960年代、彼のインド行から10年を経たころのもので、当時自らが主宰していたバース音楽祭の管弦楽団と指揮も兼ねて演奏したものだ。演奏は先にも触れたように決して技巧や美音の魅力に溢れたものではないが、メニューインはその少年時代に師のエネスコの指揮で録音しており、また1954年にはプリッチャード指揮フィルハーモニア管弦楽団と「第4、5番」を録音している。そして本盤。このバース音楽祭盤と聴き継いでいくとメニューインの音楽が次第に穏やかなものに変化していくのがよくわかる。この〈平和な〉音楽はメニューインならではのもので、弾き振り ― 弾き振りはこれがはじめてだったと思うが ― の良さが生かされた対話に溢れた演奏となっている。往年の巨匠の時代。クラシック音楽の演奏家は国策に利用され、レコード音楽は政治や社会と関わりがあった。メニューインは平和運動に極めて関心があり、実際にアメリカのユダヤ人社会を敵に回す事を承知でフルトヴェングラーを援護したり、ユダヤ人でありながらイスラエルのパレスティナ政策を批判しています。それを極めて勇気のある政治的行動だと声を上げて良いか、悪いか、肌に感じながらメニューインのレコードを聴いて応援していたことでしょう。1960年代はレコード録音史の上で最も収穫のあった時期で、世代交代や価値観の転換など新鮮で興味深い出来事が次々に起こっていた。もちろん、演奏というものは常に時代を反映して塗り代えられていくもので、それは今日でも変わらない。時代を先取りしていく才能ある演奏家はいつでもいるが、60年代は戦後の新しい世代の台頭がステレオ再生装置の普及と高度経済成長の波に乗って、正に百花繚乱の観があった。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、1970年代末にCDが登場。程なくして平成バブルを迎えると1960年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。「温故知新」を求めて「60年代」の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。
おそらく20世紀で最も名を知られたクラシック音楽家、ユーディ・メニューインは1916年4月にニューヨークで生まれました。4歳からヴァイオリンのレッスンを受け、7歳で公衆の前で演奏を披露。1925年に初リサイタル、1926年にニューヨークにデビュー、1927年にはラロのスペイン交響曲を演奏。1927年、10歳でパレー指揮のラムルー管弦楽団とのパリ公演でヨーロッパ・デビュー、28年には米ビクター社に初録音。1929年はストラディヴァリウスを贈与され、ワルター指揮のベルリン・フィルでベルリン・デビュー、アドルフ・ブッシュとのレッスンを始め、ロンドン・デビュー、そして H.M.V. への初録音と神童の名をほしいままにしました。演奏家、音楽教育家として大家をなし、さらに世界的セレブリティーとして日本でも多くのファンを持つメニューインは、戦後同世代のハイフェッツらと共にヴァイオリニストとして名声の頂点を極める。また、メニューインはヨガや菜食主義を実践し、健康管理を怠らず壮年期になるまでソリストとしての活動に取り組んだ強い精神が本盤でも随所に聴けます。その証左として膨大な音源が英 EMI に録音された。メニューインは、様々なヴィルトゥオーゾ的小品を数多く録音。そして記念碑的な協奏曲やソナタを演奏し、その記録はメニューインの技術的な輝きについて多くを伝えました。ヴィオラのための協奏曲もヴァイオリンで演奏し、バレエ音楽にまで及ぶほど多数。メニューインの初期盤は、余りにも発売枚数が多すぎて、当時の音楽ムーブメントで期待が高かったことで、レコード会社の意気込みが伝わる。それが現在の中古レコードの世界では、この優れた演奏に対して 低い評価 ― 価格が安い ― がなされているのは良質の盤に出会いやすいことでは幸いをもたらした。ゴージャスを尽くしたセッション環境での演奏は申し分なく、本盤もメニューインの松脂が飛び散っています。いずれも地味だが、なかなかの好演。やや固い締まった響きで音楽の運びはオーソドックスだが独特のバランス感覚を持ち合わせた演奏です。
曲成立の真偽は今後も引き続けられるだろうが、モーツァルト研究では後世の演奏家が編曲したとされる第6番のアイデアはモーツァルト自身のものだと想像される。それらはシェリング、メニューインのレコードは、実に細部まで美しく彫琢された、磨きぬかれた輝かしい音色、ニュアンスに富んだ表現力、優れた音楽性でモーツァルトの真作であろうがなかろうか、水準を上を行く演奏を聴かせています。メニューインは十代を頂点に技術の劣化をいわれる。幼児期の技術的基礎訓練の不足をそのままに成人してしまった、という側面がある。幼いころから神童と言われ十代で一流の評価を受けてしまった演奏家は、マイケル・レビンの例にも見られるように、ある時スランプに陥り袋小路に入り込んでしまうことが多いが、メニューインの場合、幼児期より芸術的感受性に非凡のものを持っていた彼は、他の天才型の演奏家と異なり技巧や美音よりも精神性に関心を向けることで、それを克服していった感がある。1951年にはインドに渡りヨーガの手ほどきを受けて導師イエンガーから独特の姿勢の取り方をいくつか教えられ、その結果、ヨーガ ― 無限なるものとの《結合》 ― を文字どおり体得したのである。それと同時に改めてヴァイオリン演奏の原点にまでさかのぼり、それまで本能的に身につけていた芸術性と技巧を意識的に分析し検討しはじめたのだった。そして弾き振りでモーツァルトのヴァイオリンと管弦楽曲のため音楽を一連として録音した。それらは現代のモーツァルト研究の風潮から、あまり世評が高くないが繰り返し聴き続けられるのは、指揮者を介さずに弾き振りをすることで他の指揮者の精神に融合する必要を廃して、無邪気に音楽を楽しんでいるメニューインの演奏に高い倫理性と知性を感じるのが大きな理由だろう。
1964年初発。
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