34-9817
商品番号 34-9817
通販レコード→仏ラージ・ドッグ・セミサークル黒文字盤
リストの再来といわれた技巧の持ち主、シフラの独壇場。英雄的迫力から夢見る抒情まで幅広い表現力を駆使しているリストのピアノ作品の最高峰。シフラの楽曲にも負けない演奏には圧倒的な存在力がある。 ― リストを生んだハンガリーに生まれ、後半生をフランスで送った名ピアニスト、ジョルジュ・シフラがフランツ・リスト譲りのテクニック披露している。シフラは20世紀のリストの再来と云われんばかりの技巧を持ち、聴衆を唖然とさせることの出来る数少ないピアニストの一人でした。時には低く評価されることが多いようですが、その理由の一つに、名人芸的要素を持つ演奏を良しとしない意見も多いことも事実ですが、その即興演奏の凄まじさには圧倒される。ただ凄まじいだけでなく、時には溌剌として、時には軽快な指捌き、時には高速連打など驚くべき演奏を聴かせる。故郷の大先輩リストを髣髴させる。しかし、シフラは超絶技巧も彼の魅力の一つであるが、本質的な部分はその音楽性にあると思います。人気のある「ハンガリー狂詩曲 第2番」のリズムに乗って、気持ちの赴くままに豪胆にピアノを鳴らしているだけに思える演奏には、ステージですまし顔で弾いていたピアニストは物陰に隠れたくなるだろう。それは、曲芸的にテクニックを見せびらかしたピアノ演奏などではない。そして、おそらくリスト本人の演奏も、このように荒々しさも備えている ― SPレコードでパハマンを聞くにつけ ― ステージ・スタイルだったのではと思えてくる。シフラの演奏は誰にも真似できない歌心に満ちた演奏でもあるのです。名人たちが技を競った19世紀のピアニストの中でも最高の巨匠といわれたリスト。彼の曲は絢爛たる技巧とロマンティックな情感が見事に融合しています。本盤は〝ハンガリー狂詩曲〟から、第2番、第6番、第12番、第15番「ラーコーツィ行進曲」。『第2番』以外あまり聴く機会のないリストの「ハンガリー狂詩曲」(全19曲)ですが、いずれも超絶的な技巧を要するのみならず ― ラッサンとフリスカにより構成されるというハンガリーの民族音楽の形式を見事に踏襲しているなど ― 独特の民族色や即興性を生かした魅力に富んだ名作揃いです。派手なパフォーマンスのピアニズムに、さすがヴィルトゥオーゾの作曲家リストと目を見晴らせる曲が多いのが特徴ですが、晩年の宗教世界に通じる内面を語る様な不思議な曲の萌芽もあって、リストの多様な魅力を改めて思わされます。技巧的で指が回ればいいのかもしれないが、たしかにそれだけで当時のサロンが湧いただろうか。見場だけで忘れられていったピアニストは数知れずいただろう。リストのハンガリー狂詩曲については、リストやその弟子であるドップラーとともに、19曲から6曲を選んで編曲した管弦楽編曲版が有名であるが、シフラによる豪演を聴いていると、これら有名な管弦楽編曲版にも勝るとも劣らぬような圧倒的な迫力を兼ね備えている。シフラの演奏はまさしく完全無比。叩きつけるような力強い打鍵や、夢見るような美しい抒情、堂々たる楽曲の進行など、幅広い表現力を駆使して、リストのピアノ曲の魅力が盛り込まれた難曲であるハンガリー狂詩曲の各曲を完璧に表現し尽くしている。各楽曲毎の描き分けも見事であり、シフラは圧倒的な技量だけでなく、表現力の幅の広さ、スケールの大きさにおいても圧倒的な存在であった。
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ポピュラー音楽ともジャズとも違う、クラシック音楽の精神ながら独創的で、隅から隅までシフラ節を聴かせる。時代考証だの演奏法だのを言っても始まりません。頭の中を空っぽにしてシフラの世界を聴いて下さい。かしこまった孤高の演奏も良いですが音楽とは楽しむ為にもありますよね、ただ彼をまだ聴いた事の無い方はまず彼がナチス・ドイツの将校たちを前にして最初に弾いて見せたという「剣の舞」をネットで見つけて聴いて下さい。ともかくも演奏が独特でピアノというよりも打楽器を聴いているような感じの、個性的なピアニズムである。ジョルジュ・シフラ(Georges Cziffra)は1921年11月5日、ルーマニアで生まれた。彼の人生はその華麗な演奏とは全く異なる、苦難の連続であった。まず、生後数年間は体も弱く、寝たきりのことが多かったらしい。それでも、この巨匠は父親がジプシー音楽家であったことから5歳でピアノを学び始め、もって生まれた才能から、わずか9歳でフランツ・リスト音楽院に入学し、12歳でコンサートデビューを果たした。ところが、第2次世界大戦の中で父を亡くした上に、自身も片耳を負傷し、聞こえなくなってしまう。さらに、ハンガリーは戦後、ソ連の支配下に置かれ、彼は亡命を決意した。しかしこれが当局にバレてしまい、3年間刑務所に入れられてしまった。彼がやっとハンガリーを脱出したのは、1956年、ハンガリー動乱の時であった。この脱出は徒歩で国境を越えるという、過酷なものであったという。なんとか西側に移ったシフラだったが、西側では爆発的に人気を獲得しヨーロッパ中でリサイタルや録音をすることとなった。また、1967年には芸術センター、1968年にはシフラ・ピアノコンクールを設立した。しかし、苦難は再びやってくる。1981年、家が火事になり息子がなくなるという事件が起こったのである。これまで数々の苦難を乗り越えてきたシフラも、このときばかりは意気消沈してしまったようだ。ピアノに向かう力を失ってしまう。その5年後再びピアノを取り戻そうと努力し始めたが、かつての力を取り戻すに至る前、1994年1月17日パリで肺がんにより死亡した。彼のような鬼才は2度と生まれないだろうと思わせるほどの輝くようなヴィルトゥオジティあふれる演奏。リストの「大ギャロップ」を弾く様子は、人間技ではない。
1956年8月(2、6番)、1957年8月(12番、15番)ブダペスト録音。モノラル盤のみ。
FR VSM  FALP30064 ジョルジュ・シフラ リスト・ハン…
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