モーツァルトは神の手を離れる領域に音楽性が進み始めたから、神の身元に戻された。最晩年の作品は相反するモーツァルトが存在している。 ― 現代においては古楽器による軽妙・洒脱な演奏は透明感のある仕上がりになっているモーツァルトが多く、それはそれで素晴らしいのだが、オットー・クレンペラーの演奏はそうしたスタイルとは全く逆行している。次元が違っていると言ってもよいかもしれない。クレンペラーの演奏は重厚、壮大、荘厳、崇高など、およそ現代の流行から外れた形容詞が相応しい。演奏は大変峻厳な序曲で始まる。それはまるでベートーヴェンやワーグナーの序曲を聴いているような壮大な乗りである。続くどの曲も崇高な緊張感が漲っているし、クレンペラーの強固な意志の力を感じさせる。私はこの頃これほど壮大なモーツァルトを耳にしたことがない。この大地に根をおろしたとも揶揄したくなる遅めのテンポは、クレンペラーだけに許される特権みたいなもので、むしろ早めのテンポに聴こえてくるから不思議です。合唱指揮者ウィルヘレム・ピッツの上手さも本盤の価値を高めていると思います。
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- オットー・クレンペラー指揮、ニュー・フィルハーモニー管弦楽団、ニコライ・ギャウロフ、クリスタ・ルートヴィヒ、クレア・ワトソン、ミレッラ・フレーニ、ニコライ・ゲッダ、ヴァルター・ベリー、パオロ・モンタルソロ、フランツ・クラス、1966年6~7月ロンドン、アビーロード第1スタジオ録音。
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