34-6662
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FR VSM C069-10239 トルトゥリエ ハイドン・チェロ協奏曲

商品番号 34-6662

《自らの道を迷わず歩む求道者のような暖かく愉悦感にあふれた演奏には御大の人柄がにじみ出ている ― フランスのチェリストとしては珍しく、堅固な造形性を示した豪気なハイドンだ。》近頃ハイドンのチェロ協奏曲の新録に巡り会えないでいますが、「理屈は語れないけどハイドンって面白いね」って体験をしたのは本盤だったと思う。鳴きの美しさで聴かせる演奏は多いんですが、トルトゥリエのチェロはカッチリとリズムに乗りながらもそこここに味わい深い表現があり、しかも全体の音楽の構成が実に深く、個性的な演奏。チェロと言う楽器の奥行きの深さを垣間みた感じです。伴奏のフェルバー指揮ヴュルテンベルク管弦楽団も万全。完璧なサポートでトルトゥリエを引き立てます。1929年、シュツットガルト生まれの指揮者。シュツットガルトで作曲と指揮を学び、ハイルブロン歌劇場、シュツットガルト・オペレッタ音楽祭の音楽監督などを歴任し、1960年、このアルバムのオケであるヴュルテンベルク室内管弦楽団を創設、音楽監督として活躍しています。この作曲家としての視点とオペラ劇場での経験の賜物でしょう。ハイドンのチェロ協奏曲第1番ハ長調は、永らく紛失したとされていましたが、1960年ごろに再発見されました。あっという間にチェロ協奏曲の重要レパートリーとなったのはやはり傑作ゆえ。元気溌剌な明るい曲であり、やわらかくのどかな雰囲気の第2番とは好対照。比較的初期の作品といわれ、バロックぽい雰囲気も感じられます。『音楽を弾く』ことは、録音から半世紀経った聴き手にも演奏会に立ち会っている錯覚に誘うのだろうか。円熟の巨匠の手になる、落ち着いたテンポによる、端正かつ的確な解釈の気品と余裕に満ちた演奏です。良い意味でリラックス、楽しんで弾いている空気感が録音から伝わってきます。それだけでなく、彼の音楽に対する姿勢は、一音一音の、音の長さ、強弱、運指、弓の動き、それらを微細に探求されていながら、そして最終的に大きな目で見てみると驚く程全てが美しく構成されているということがよく分かります。芯の太い音色で、それに伴う音色、表現の微妙な変化、自然とトルトゥリエの世界に誘われます。彼はあのジャクリーヌ・デュ=プレの師としても知られている。両者を結びつけるところも感じられ高名な弟子のデュ=プレ盤と比較試聴するのも一興かと思います。収録は1981年7月6日から8日にかけて、ドイツのシュツットガルトの北の街、ハイルブロン(Heilbron)の聖十字架教会でのセッション録音。トルトゥリエは、1914年3月21日にパリに誕生。6歳でチェロを習いはじめ、10歳のときにパリ音楽院に入学、16歳でチェロ科を一等賞で卒業し、パリでデビュー・リサイタルを開くほどの早熟の天才でしたが、トルトゥリエは再びパリ音楽院に通い、今度は対位法と作曲を学び、ハーモニーの部門で一等賞を得ます。パリ音楽院をあとにしたトルトゥリエは、まずモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団の首席奏者に迎えられ、2年後にはボストン交響楽団の首席に転進、第二次世界大戦中はパリ・フィルハーモニー協会管弦楽団の首席をつとめ、終戦後2年間はパリ音楽院管弦楽団の首席奏者として活躍、1947年からはソリストとして演奏活動をおこなうこととなります。以後、40年以上に渡って世界的な名声を博したトルトゥリエは、演奏理論書のほか、独特の形状のエンドピンまで考案する多才な人でもありました。トルトゥリエ67歳の時の録音。“矍鑠(かくしゃく)”という形容がピタリとはまるような堂々たるハイドンで、暖かく愉悦感にあふれた演奏には御大の人柄がにじみ出ている。自作のカデンツァ以外にも随所に手を加えていて「おやっ?!」と思うこともしばしば。1990年12月18日、トルトゥリエはパリ郊外の音楽学校でチェロを教えていましたが、その際、自室に楽器を取りに行ったときに心臓発作に襲われ、チェロにもたれかかったまま亡くなっているのが発見されたということです。いつもパワフルで気さくだったトルトゥリエを象徴するかのような最期でした。録音もややオンマイクながらチェロの音をリアルにとらえていて、少し大きめの音量で聴くとあたかも目前にトルトゥリエがいるかのように聴こえる。フランスのチェリストとしては珍しく、堅固な造形性を示したトルトゥリエ。豪気なハイドンだ。
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