二度と味わえない希少なものであろう。 ― テレサ・ベルガンサとルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニという、最高級のロッシーニ歌手がふたり。登場個所が少なめでもったいないくらい。その透明感あふれる歌声と、確かな技巧と、合唱団の生み出す透明で混じりけのない響き、完璧なハーモニーと美しいディクションは、当盤随一の聴きどころといえるでしょう。毎年1月1日に行なわれるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサート。クラシック音楽の中でも最も有名で、ウィーンの誇る黄金のムジークフェラインザールからTVとラジオを通じて世界90カ国以上に放送され、4億人が視聴するというビッグ・イベント。2018年も1月1日にNHKにて生中継されたウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートでは、巨匠リッカルド・ムーティが、彼の若いころからの持ち味である颯爽たる進行を見せる曲 ― 《ボッカチオ》序曲や《雷鳴と電光》 ― あり、入念かつ繊細な表情を見せる曲 ― 《南国のばら》や《美しく青きドナウ》 ― ありと、楽しくも、実に味わい深いコンサートとなりました。ムーティは専制君主的なマッチョのイメージがあるが、たとえばゲオルク・ショルティのようにウィーン・フィルの魅力を圧殺せず、楽団の美点を十分に発揮させているのが好ましい。もちろん、ムーティらしいイタリアっぽい面も強いが、その一方で、ウィーンのやわらかさや陰影や陶酔的な歌もたっぷり含まれているのである。ウィーン・フィルならではの美しさを堪能させてくれるのはあまりないことだ。ムーティについて、ウィーン・フィル前楽団長アンドレアス・グロスバウアーは、「マエストロ・ムーティの指揮する演奏の極めて高い水準は、ウィーン・フィルの演奏史の中でも特別なものです。マエストロの演奏解釈は楽譜を綿密に研究することで生み出されていますし、われわれウィーン・フィルの特別なサウンドを愛して下さっているのです」と称賛しています。そして、2016年の来日演奏会で熱狂を巻き起こした、ムーティ指揮シカゴ交響楽団が、強力なプログラムを携えて2019年1月~2月、再び日本に上陸します。2010年から音楽監督に就任したときは、楽団のメンバーから多くの手紙や署名が届けられ、決心に至った間柄で強い絆を築いている。この熱烈な関係には、断絶をほのめかされるほどの嫉妬をかった。というのも、ニューヨーク・フィルハーモニックはロリン・マゼールを音楽監督に迎えてから、首席客演待遇で定期的に客演する関係を積み重ねていた最中の、シカゴ響の音楽監督への就任を表明にはニューヨーク・フィルのライバルであるシカゴ響でもあったことによりフィルハーモニックのザリン・メータ総裁は失望の意を示すほど。実はムーティは、空虚な指揮者が多い現代にあっては、玄人筋の評価がなかなか高い音楽家なのである。録音にも積極的に取り組み、1970年代にニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮してイギリスEMIに録音を開始して以来、さまざまなレーベルに数多くの名盤を残しています。今日では帝王とも呼ばれるムーティが本盤を録音したのは、まだ30歳代の半ばですが当時の手兵だったフィルハーモニア管弦楽団は低迷期だったと言われる。録音当時はニュー・フィルハーモニア管弦楽団と名乗っていた名門も、ここでは優れたパフォーマンスを示している。時として情緒豊かにメロディを鳴らし、時として熱くオーケストラを語らせるイタリア人ムーティの自在な、しかし落ち着いたタクトがこの曲想に良くあっている。ロシア指揮者以外で、これほど終始緊張を持続させてドラマチックに描ききった指揮者がいるでしょうか。ムーティは今でもそうなのかどうか、かつては女性のアイドルだった。日本にもファンクラブがあったはずだ。颯爽とした指揮ぶりだし、音楽もメリハリが強く、フレーズの終わりも威勢よく切ったりしてきっぱり感が強いところが、女性受けしたのかもしれない。けれど、決してそれだけではない指揮者である。
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このオーケストラの持つ弦の柔らかさと緻密なアンサンブル、マイルドな金管といった個性はヘルベルト・フォン・カラヤン以来の特徴でしたが、リッカルド・ムーティ(Riccardo Muti)は在任期間、それらに磨きをかけ、さらに敏感なまでのリズム感と強靭なカンタービレを持ち込んで素晴らしい成果を残した。それはオットー・クレンペラー亡き後にムーティを後任として選出した、当時のニューが付いていた頃のフィルハーモニア管弦楽団が、歌心あふれる演奏を取り戻す、思えば極めて大胆な決断を行ったものです。1941年、ナポリ生まれのイタリアの名匠ムーティ。そのエネルギッシュな指揮ぶりと躍動感のある演奏で知られる名指揮者です。1967年、グイド・カンテルリ指揮者コンクールに優勝して注目され、フィレンツェ五月祭歌劇場、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ミラノ・スカラ座の首席指揮者・音楽監督を歴任、2010年からはシカゴ交響楽団音楽監督を務めるかたわら、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やザルツブルク音楽祭などに客演しています。ヴェルディのオペラの名演を繰り広げるあのムーティがここには存在し、ムーティの音楽とは、ヴェルディの語法から発想されたものだと思われ。その是非はともかくとして、ムーティがそうした自分の音楽をウィーン・フィルに徹底して演奏させていることは認めねばならない。ところが、面白いことにウィーン・フィルはけっこう喜んでイタリア風の演奏をやっているようなのだ。シューベルトの「ロザムンデ」序曲。冒頭の暗い和音はまるでヴェルディの序曲みたいだ。次に出てくる木管楽器の旋律は女性主人公のアリア。ヴァイオリンの歌いまわしはますます完璧にオペラの世界。もしこの曲を知らなかったら、絶対にヴェルディの中期作品だと思うだろう。よく知られているように、モーツァルトの時代もベートーヴェンの時代も、ウィーンで一番人気があったのはイタリア音楽だった。だとしたら、ウィーンの作曲家にイタリア音楽の強い影響があるのも不思議ではない。シューベルトの初期の交響曲にはモーツァルト風でもあるが、イタリアらしさの表出した明朗な開放感であるし、ロッシーニ的な表情がけっこう出ている。このウィーン風味とイタリア風味が混じり合ったシューベルトが心地よいのは、そうしたことも関係するだろう。のちのフィラデルフィア管弦楽団との演奏の数々も、オーケストラの優秀さと、音そのもののエネルギー感において、素晴らしいものもありますが、ウィーン・フィルとの機敏かつエネルギッシュな音楽を、フィルハーモニア時代のムーティの大胆さと、歌心あふれる演奏に、それを重ねあわせて聴くことも可能。録音時35歳のムーティの熱血かつ、情熱と表現意欲に富んだオーケストラが見事。イギリスのオーケストラとは思えない、強靭なカンタービレと歌をニューが付いていたころのフィルハーモニア管から引き出してます。
当時、リッカルド・ムーティを擁していたEMIは、お互いにライヴァル心むき出しだったクラウディオ・アバドのいたドイツ・グラモフォンと、これまた何かにつけはり合うことが多かった。そのためムーティはモーツァルト、ベートーヴェンはいざ知らず、けっこうマイナーなロシア音楽だの、ありとあらゆる曲を録音している。そのためニュー・フィルハーモニア管弦楽団や、フィラデルフィア管弦楽団とのクァドラフォニック盤やデジタル録音盤でのEMIらしからぬ芯のある録音もよいです。そして、当時のイタリア・オペラ界の名歌手の黄金期でもあったため、ヴェルディの歌劇「アイーダ」、「仮面舞踏会」、「マクベス」の競いあうような争奪戦。皮肉なことに、両盤のキャストを混ぜ合わせると、史上最高のキャストが出来上がります。もしムーティが得意の曲だけやっていれば、「なかなかいい指揮者じゃないか」となるだろう。だが、現代においてはそれでは許されない。レパートリーもキャリアも、何でも拡大路線でなくては生きていけない。ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意への試み」作品8から《四季》ばかりのヴィヴァルディですが、最近は50あまりあるオペラにも脚光が浴びている。映画『シャイン』で有名になったモテット《地上に真の平安はなく(Nulla in Mundo Pax Sincera, RV630)》をはじめ、宗教曲も多くて、その代表格が本盤の《マニフィカト ト短調(Magnificat, RV610)》と《グロリア ニ長調(Gloria, RV589)》。メゾ・ソプラノとコントラルトの二人の女声ソロと合唱、弦楽合奏と通奏低音のための《マニフィカト》は受胎告知を受けたマリアが、神を賛美して歌う讃歌。受胎の喜びと、賤しい我が身の僕が永遠の王(イエス)を産むという、大いに謙った立ち位置で祈る神至上の讃美歌。新約聖書のルカによる福音書第1章47〜55節「マリアの賛歌」に基きます。「マニフィカト」の名作といえば、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのそれが、輝かしい喜びに溢れているのに比べヴィヴァルディの《マニフィカト》はシリアス。冒頭の合唱はまるでバッハの《ロ短調ミサ》のキリエのような峻厳さを伴った響きです。曲は、11の部分から構成され、以後曲調は変化していき〝四季〟の音楽に歌が付いたような部分もありますが、歌詞の内容はなかなか厳しく、〝心の思いの高ぶった人を追い散らし、権力ある者をその座から引きおろし、卑しい者を引き上げ … 〟といった一種の厳しさも根底には流れています。いつも明るく伸びやかなヴィヴァルディの顔に加えて、ちょっと落ち着いた雰囲気も横溢した、圧倒的な合唱の透明度。それがマリアの自らを戒めて祈り歌う謙虚な姿をとてもよく映し出している。それと通奏低音のチェンバロがすごく心地よく、喜ばしく快活な雰囲気を醸しています。バッハの受難曲の通奏低音でチェンバロが目立つと逆に騒々しく、不似合いとさえ感じられるのと対照的です。そのせいか、ナポリ生まれの熱血漢というイメージをまったく感じさせない、流麗で滑らかな演奏となっている。
テレサ・ベルガンサ(Teresa Berganza Vargas)は、スペインの著名なメゾ・ソプラノ歌手。ロッシーニ、モーツァルト、ビゼーのオペラの役柄がよく知られる。〝Teresa Berganza Sings Mozart〟はベルガンサの最盛期のころの録音で、美しい声と容姿、声は輝きを放つようなコロラトゥーラではないけれど、女性的で温かく、安定しています。
終生手ばなせない〝モーツァルトのレコード〟である。と吉田秀和著「モーツァルトのレコード」で激賞されたテレサ・ベルガンサ最高の名盤。モーツァルトの演奏会用アリアを含めて、オペラのアリアを歌ったLP、すなわち《モーツァルト・アリア集》は数多いが、メゾ・ソプラノによってうたわれたモーツァルトのアリア集は、おそらく、このベルガンサによるレコーディングをもって嚆矢とするだろう。理由は2つ。まず、第1にモーツァルトのアリアで、はっきりとメゾ・ソプラノもしくはアルト歌手のために書かれたものが少ないこと。ふつうメゾ・ソプラノがうたうケルビーノ、そしてドラベルラにしても、モーツァルトはソプラノとだけ指定している。それらがメゾソプラノでうたわれるのは、ヒロインのソプラノとのアンサンブルその他における音色的な対比を考えてのことなのだ。したがって、メゾ・ソプラノ歌手がモーツァルトのアリア集をつくろうとした場合、どうしても、音域的に無理な曲があったりするのだし、いかにメゾ・ソプラノの役とはいえ、《フィガロの結婚》のマルチェリーナのアリアを歌ったところで、誰が喜ぶだろうか。そこで、当然ソプラノのための曲を歌うことに為らざるを得ぬが、これは、並大抵の歌手では手に負えまい。それが第2の理由だ。ベルガンサの非凡さは、これだけでも明らかなのだが、例えばベルガンサは、ここで《コジ・ファン・トゥッテ》のフィオルディリージのアリアを、しかも2曲歌っている。大変な冒険のようにそれは見られるだろう。なぜなら、そのアリアはリリコ・スピント級の声のソプラノのための役だから。デッカのディレクター、クリストファー・レイバーンの熱心なすすめによって実現した、それはアリア集のレコーディングという特殊な場においてのみ可能だったチャレンジといって良い。だが、フィオルディリージのアリアには、ソプラノにとって苦手の低い変ロやイの音がたくさん用いられている。もしメゾ・ソプラノには難題である高い変ロからハの音がじゅうぶんな余裕をもって美しく張りのある声で歌えるなら、低い音域をメゾ・ソプラノ特有の深いニュアンスで表現できるベルガンサのフィオルディリージはファンならば誰だって聴きたいだろう。結果は、やはりベルガンサの真価はドラベルラにおけるしなやかな官能性の表現にふさわしく、フィオルディリージでは、やや緊張の気配が濃い。然し、《アルジェのイタリア女》や《シンデレラ》《セヴィリャの理髪師》などロッシーニ作品のヒロインを歌って軽妙なフィオリトゥーラ唱法で定評あるベルガンサである。力強い高音域も出るし、ここでもその声と芸術の魅力は抜群といえる。全曲盤のある《皇帝ティートの慈悲》のセストのアリアは素晴らしいし、ケルビーノのアリア2曲は、おそらくベルガンサが最高だろう。
彼女は、その高度な歌唱技術と知性に富んだ音楽性、そして魅力的な舞台姿で賞賛されている。1935年3月16日スペインのマドリッド生まれ、同地のマドリード音楽院でピアノと声楽を学び、1954年に歌唱で1等賞を得ている。1955年にマドリードで初めての演奏会を開いた。1957年にエクス・アン・プロヴァンス音楽祭の《コジ・ファン・トゥッテ》でドラベルラを歌ってデビューした。同年にミラノ・スカラ座にデビューし、翌年グラインドボーン音楽祭にケルビーノでデビュー、絶賛を博し、翌年チェレネントラのタイトル・ロールの大成功により一躍スターダムに上った。1959年にはロイヤル・オペラ・ハウスで『セビリアの理髪師』のロジーナ役を歌い、以後これは彼女の代表的な持ち役となった。1967年にはメトロポリタン歌劇場に出演して『フィガロの結婚』のケルビーノ役を歌ったベルガンサは、モーツァルト、ロッシーニを歌って最高のプリマ・ドンナであった。ヒロインとズボン役を演じ、英デッカの録音にペルゴレージとヘンデルのアリアも歌っています。マリア・カラスの一回り歳下の世代ですが、イタリアオペラの黄金期に活躍した代表的な歌手のひとりです。東日本大震災以来、今でも来日を見合わせる外国人歌手が多い中、公開レッスンで日本の若い歌手を指導した。曰く、歌手は天から授かった声に感謝すべきだが、声は芸術に奉仕する道具である、そのために必要なのは一にも二にも勉強。それは一生続く。若い歌手が肝に銘じねばならないことは、成功を急がないこと、レパートリーを間違えないこと。自分で考えなければ、まわりにおだてられてレパートリーを間違えて声を駄目にしても、誰も責任を取ってくれないのだから。
1976年10月、11月、1977年6月ロンドン、キングズウェイ・ホール&アビー・ロード第1スタジオでの SQ STEREO 録音。Mezzo-soprano Vocals – Teresa Berganza, Contralto Vocals – Lucia Valentini Terrani, Cello – Norman Jones, Harpsichord, Organ – Leslie Pearson, Chorus – New Philharmonia Chorus, Chorus Master – Norbert Balatsch, Orchestra – New Philharmonia Orchestra, Conductor – Riccardo Muti. Engineer – Neville Boyling, Producer – John Mordler
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