34-18508
商品番号 34-18508
通販レコード→仏ラージ・ドッグ・セミサークル銀文字盤
欧州伝統の演奏スタイルや伝統的音づくりは確かに存在した ― リストを生んだハンガリーに生まれ、後半生をフランスで送った名ピアニスト、ジョルジュ・シフラがフランツ・リスト譲りのテクニックを披露している。名人たちが技を競った19世紀のピアニストの中でも最高の巨匠といわれたリスト。彼の曲は絢爛たる技巧とロマンティックな情感が見事に融合しています。シフラは〝20世紀のリストの再来〟と云われんばかりの技巧を持ち、聴衆を唖然とさせることの出来る数少ないピアニストの一人でした。その音色は華麗で輝かしく、まばゆいばかりの光芒を絶えず発散する。シフラの楽曲にも負けない演奏には、圧倒的な存在力がある。テクニックそのものを研鑽し最高に発揮することが演奏の最終目的であるような、あまりにも技巧一辺倒であると看做されたために世紀の超絶技巧を有していながら終世賛否両論と毀誉褒貶のあった、その理由の一つに名人芸的要素を持つ演奏を良しとしない意見も多いことも事実ですが、その即興演奏の凄まじさには圧倒される。ただ凄まじいだけでなく、時には溌剌として、時には軽快な指捌き、時には高速連打など驚くべき演奏を聴かせる。故郷の大先輩リストを髣髴させる。しかし、シフラは超絶技巧も彼の魅力の一つであるが本質的な部分はその音楽性にあると思います。もし単にテクニックの追求だけが目的であるなら、他にも技術的に優れたピアニストは何人もいる。特に最近の若いピアニストにとっては完璧なテクニックを持つことは世界の檜舞台へ打って出るための必要な最低限度の条件であって、それだけではもはや逸物として通用しないようにさえなっている。そしてその完璧なテクニックを土台として、その上に夫々の個性を打ち出そうとしている訳だが、然しもその場合彼等は決してテクニック自体をこれ見よがしに表面に出すことはしない。だがシフラはまさに堂々と表面切って、それをやっている。シフラはまさに目のくらむようなテクニックによって、聞き手を眩惑してしまうのである。二枚目の役者は、どんなに歯の浮くようなセリフを言おうと決してテレてはいない、シフラはどんなに人からキザっぽく思われようと、決して自分でテレたりはしない。我々は時にそれをキザっぽいと思いつつも、瞬時にその魅力にすっかり捕らえられてしまうのである。感情をあからさまに出して歌うということは、前世紀的な名技主義の時代ならいざ知らず、現代のピアニストはやらない。歌うということは、我々が音楽の中にいつも求めている重要な要素だ。ただ現代ではそれが極めて抑制された枠の中でしか行われないということであって、我々が何時も音楽の中に歌うことを求めていることに変わりはない。だから我々は機械的なテクニックだけで歌うことを知らないピアニストに出会うと、それこそやり切れない空虚感を感じさせられるのである。だがシフラは歌うべきところは十分に歌う。ただそれがあまりにも徹底して行われるため戸惑い、シフラの演奏に時代の隔たりを感じるのかもしれない。
関連記事とスポンサーリンク
わたしが始めて聴いたときの感動が忘れられないでいるのが、フランツ・リストの『ハンガリー狂詩曲』。その演奏がシフラだったと記憶している。現代のピアニストたちから聴けないものを聴いてしまい、それ故に、〝リストの再来〟といわれた技巧の持ち主が、そのリストの作品を唖然とするような技巧で弾ききり、魅力を存分に引き出している〝シフラ独壇場〟の演奏と称される。モノラル時代にはバルトークの協奏曲も録音しているが、演奏家としての気質や特徴から、ジョルジュ・シフラは19世紀ロマン派音楽ときわめて相性のよいピアニストだった。とりわけリストの技巧的な作品の絢爛豪華な演奏・録音で名高い。彼が2度にわたって録音を行った『ハンガリー狂詩曲』は名盤として知られ、個性派の解釈でありながらもっとも親しまれている盤になっている。また、凄まじい技巧を駆使した『超絶技巧練習曲』は賛否こそ分かれるが、『ハンガリー狂詩曲』同様(あるいはそれ以上に)個性的な解釈でファンを虜にしている。彼は編曲も多々こなしており、20世紀を代表する編曲家の一人でもある。最近では楽譜も出版されており、他者による録音も行われるようになるまで広まっている。いずれの曲も素早く大きな跳躍をする曲が多く、シフラが跳躍が非常に得意だったことが伺える。
ポピュラー音楽ともジャズとも違う、クラシック音楽の精神ながら独創的で、隅から隅までシフラ節を聴かせる。時代考証だの演奏法だのを言っても始まりません。頭の中を空っぽにしてシフラの世界を聴いて下さい。かしこまった孤高の演奏も良いですが音楽とは楽しむ為にもありますよね、ただ彼をまだ聴いた事の無い方はまず彼がナチス・ドイツの将校たちを前にして最初に弾いて見せたという「剣の舞」をネットで見つけて聴いて下さい。ともかくも演奏が独特でピアノというよりも打楽器を聴いているような感じの、個性的なピアニズムである。ジョルジュ・シフラ(Georges Cziffra)は1921年11月5日、ハンガリーのブダペストで生まれた。彼の人生はその華麗な演奏とは全く異なる、苦難の連続であった。まず、生後数年間は体も弱く、寝たきりのことが多かったらしい。それでも、この巨匠は父親がジプシー音楽家であったことから5歳でピアノを学び始め、居酒屋やサーカスで民謡を主題とする即興演奏を行なって有名になる。もって生まれた才能から、わずか9歳でフランツ・リスト音楽院に入学し、12歳でコンサートデビューを果たした。ところが、第2次世界大戦の中で父を亡くした上に、自身も片耳を負傷し、聞こえなくなってしまう。さらに、ハンガリーは戦後、ソ連の支配下に置かれ、彼は亡命を決意した。しかしこれが当局にバレてしまい、3年の懲役刑に服し刑務所に入れられてしまった。彼がやっとハンガリーを脱出したのは、1956年、ハンガリー動乱の時であった。この脱出は徒歩で国境を越えるという、過酷なものであったという。なんとか西側に移ったシフラだったが、西側では爆発的に人気を獲得しヨーロッパ中でリサイタルや録音をすることとなった。また、1967年には芸術センター、1968年にはシフラ・ピアノコンクールを設立した。しかし、苦難は再びやってくる。1981年、家が火事になり指揮者として共演してきた息子ジェルジ・シフラ・ジュニアがなくなるという事件が起こったのである。これまで数々の苦難を乗り越えてきたシフラも、このときばかりは意気消沈してしまったようだ。ピアノに向かう力を失ってしまう。その5年後再びピアノを取り戻そうと努力し始めたが、かつての力を取り戻すに至る前、1994年1月17日パリで肺がんにより死亡した。有望視された将来を実現することができなかった息子の死後、オーケストラとの共演による演奏や録音を二度と行わなかった。彼のような鬼才は2度と生まれないだろうと思わせるほどの輝くようなヴィルトゥオジティあふれる演奏。技巧的な曲に関しては「受け狙いで実質に乏しく、音楽的とはいえない」と論じる向きもあるが、抒情性に富み味わい深い演奏も多数残されている。ショパンの作品も数多く録音しただけでなく、実演奏においては、リスト作品での豪放華麗な演奏とは対照的に、内面的で繊細なところをうかがわせた。実際のところ、生演奏ではシフラの豪快な演奏に酔いしれた聴衆が、演奏の途中でやんやの大喝采を送ることも稀ではなかった。いずれにせよ、シフラが不世出のヴィルトゥオーソであり、即興演奏の達人であった事実はほとんど疑いようがない。独自のアレンジも加えられているリストの「大ギャロップ」を弾く様子は、人間技ではない。息子と共演したリストの協奏曲は、定番のチョイスとして知られている。
アンドレ・ヴァンデルノート(André Vandernoot)1927年6月2日生まれ、ベルギー・ブリュッセル出身の指揮者。ブリュッセル王立音楽院へ進み、1952年からウィーン音楽院で学ぶ。1954年よりベルギー国立管弦楽団の指揮者を務め、アントウェルペンの歌劇場でコレペティトール(練習指揮者)を経て、1960年にモネ劇場の音楽監督に就任。1974年からベルギー国立管弦楽団、1978年からブラバント管弦楽団の音楽監督を務め、1976~82年はベルギーのデ・フィルハーモニー(Vzw De Philharmonie, その後、1985年にフランダース王立フィルハーモニー管弦楽団に改名、2017年から現在はアントワープ交響楽団)の首席客演指揮者、1987~91年はRTBF交響楽団(ベルギー・フランス語放送交響楽団)の首席指揮者を歴任。ユーゴスラビア出身のバレリーナ、デュースカ・シフニオスは妻。女優のアレクサンドラ・バンデルノートは娘。1991年11月6日にブリュッセルで死去。64歳没。
1961年1月(1番)、1958年7月(2番)ロンドン、キングズウェイホールでの録音。優秀録音、名盤、仏製棒付きジャケット。
FR VSM ASDF243 ジョルジュ・シフラ リスト・ピアノ協奏…
FR VSM ASDF243 ジョルジュ・シフラ リスト・ピアノ協奏…