34-17328

商品番号 34-17328

通販レコード→仏レッド白文字盤 GRAVURE UNIVERSELLE

深い傾倒がもたらす、デイヴィスの意気と力。 ―  百年記念づくしだった昨年、生誕100年だったレナード・バーンスタインの同曲盤での覇気は他を尻込みさせるが、本盤は、それとは違う面をもって魅了する、シャルル・ミュンシュに代表される、1950~60年代の「狂熱のベルリオーズ」の時代の空気を、今に伝える傑作録音。一つの作品を残すだけで、私の全作品が破棄させられるとするならば、私は《死者のためのミサ曲》を残してもらうように慈悲を請うだろうベルリオーズ。この想像力そのもののような音楽は、わたしに精神の自由を与えてくれた。この作品は、元来は1837年7月25日のモルティエ元帥の追悼式のために、ベルリオーズの支持者である内務大臣アドリアン・ド・ガスパラン伯の依頼を受けて着手されたは、3月末の事だった。当時まだ若手(33歳)の作曲家であったベルリオーズにこのようなフランス政府からの公式行事のための楽曲が依頼されたのは異例なことになるのであるが、追悼式まで、4ヶ月しかない。もう無茶苦茶な突貫工事であるが、それでもベルリオーズは、6月29日には全曲を完成させた。そこには破棄した旧作の「荘厳ミサ曲」からの引用も多くみられるとはいえ、信じがたい程の完成度である。最中のベルリオーズは後から後から溢れ出てくる楽想を書き留める暇がなく、即席の速記法を考案したほどだという。しかもこの間、生活基盤であった批評の仕事も続けていたのであるから、上昇気流にのっている時の勢いたるや、神がかりであると言うしか無い。ところが、この初演は内務省からキャンセルされた。勧進元のド・ガスパラン伯が退陣したことも有り、政治的な陰謀があったとベルリオーズは記しているが、要するに間に合いそうもなかったのが、懸念されたからだろう。しかし、既に数回に渡って行っていた合唱練習などのため、数千フランの借金を作ってしまっていた。ベルリオーズは、これは政府が支払うべきものであるとして精力的に戦った。結局アレクサンドル・デュマに働きかけ、アルジェリアでの戦争で同年10月に戦死したフランスの将軍シャルル=マリー・ドニ・ド・ダムレモンを初めとする将兵の追悼式典が行われるであろうことに目をつけた、デュマが秘書をしていたオルレアン公から、陸軍大臣ベルナールの支持を得ることに成功し、パリの廃兵院で挙行された追悼式で初演された。1837年12月5日の初演の前日の総練習には、パリ中の芸術家が、そして当日には、王族、貴賓、政府関係者、各国の大使と記者が列席した。圧倒的な大成功であった。これまでも「幻想交響曲」や「イタリアのハロルド」などで、若い世代を中心に広範な支持を集めていた、34歳の〝風雲児〟ベルリオーズは、これにより、全欧州にその名を轟かせたと言ってよい。
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この年の革命記念式典は規模が縮小され、いったんは中止されたが陸軍主催で行われたアンヴァリッド(廃兵院)の礼拝堂での追悼式において、初演されている。ベルリオーズの音楽は、形式を踏まえた音楽とは対極の、情熱と抒情性の音楽だ。ただし、横溢するロマンは、ロマン主義とはならず、古典的とさえ言える論理を持つ。わたしは、長いこと、ベルリオーズが、自身の最高傑作を「レクイエム」だと述べたことが腑に落ちなかった。そんな中、昨年末のNHK交響楽団の「第九演奏会」でのことだ。指揮はマレク・ヤノフスキだった。ケルン音楽大学で指揮を師事したのは、長くNHK交響楽団名誉指揮者を務め、日本の音楽ファンに愛されたウォルフガング・サヴァリッシュ。プロのキャリアのスタートはヘルベルト・フォン・カラヤンと同じくアーヘン歌劇場。ヤノフスキは往年のドイツで指揮者を育てる王道とされたオペラのカペルマイスター(楽長)の道を着実に歩み、マエストロ(巨匠)まで上り詰めた最後の世代に属する。ヤノフスキは劇場のオーケストラやコンサート・オーケストラで、「第九」を最も演奏している指揮者だ。この日の演奏は、演奏時間65分の最速となった。NHK響は「第九」を、欧米の指揮者とも数多く演奏しているので、演奏技術や全体の響き、楽曲への理解に心配なく、期待を持って任せたとヤノフスキはインタビューで答えていた。リハーサルで、「うるさい、うるさい」を連呼するヤノフスキに楽団員は戸惑った。そして、気がついたことが、「第九」を演奏するときにこれまで行ってきたことが、大きな音を出すことだった。すべての楽器が同様のフォルテを奏するのでなく、フォルテの違いをヤノフスキは教えてくれたのだ。その結果、オーケストラの響きを立体的に組み立ててみせた。昨年、演奏活動を引退すると発表した、マリア・ジョアン・ピレシュが現代のピアノはとても大きな音が出る、と言っていたことにも、ベルリオーズの作品が巨大な管弦楽編成によることにも、通じることだろう。
曲はアンヴァリッド礼拝堂の空間を意識して、合唱や主となるオーケストラとは別に、金管楽器のバンダを四方に配している。ステージ上のオーケストラは管楽器、打楽器奏者総数、58人に弦楽器五部の108人。金管楽器のバンダが38人。曲の大半はソプラノ・テノール・バスの混声6部合唱とオーケストラ伴奏で演奏されるが、「サンクトゥス(聖なるかな)」の「ホザンナ」以外の部分にのみアルト合唱と独唱テノールが入る。また、バンダは「怒りの日」に続く「妙なるラッパ」(Tuba mirum)の部分と「涙の日」で使用される。それに対して「われを探し求め」は無伴奏であり、「賛美の生贄」においては弱音で奏されるバンダのトロンボーンと、フルートが伴奏を担う。このように、決して大管弦楽だけではなく各曲の編成の規模は多様で、しかもダイナミックレンジが広いのが特徴である。人数は相対的に記されており、場所が許せば合唱は2~3倍増、それに伴ってオーケストラも比例的に増やしたほうがよいが、合唱が700人、800人を超えるような時は、全員で歌うのは「怒りの日」、「妙なるラッパ」および「涙の日」だけとし、残りの楽章は400人程度で歌うことが提案されている。ベルリオーズの「レクイエム」が巨大な編成を必要とするは、大音響による効果のためではなく、消え入るような弱音の美と深い叙情性を生み出すためである。第2曲では、なによりも巨大な音響を欲し、この後に続く楽章群の流れのダイナミズムを生み、かつ、全10曲のダイナミックレンジの上限を規定する。これがあってこそ、低音弦楽器とバスーン、コーラングレだけの第3曲や、管弦楽が完全に沈黙する第5曲の無伴奏合唱による、静謐な楽章が生きるのである。この「死者のための大ミサ曲(レクイエム)」は、敬謙な信仰心を持たない、劇音楽作曲家による作品であり、レクイエム固有文は自由に換骨奪胎され、「最後の審判」を中心とする「ドラマ」として再構成されている。実際にストーリーを持つ訳ではないが、劇音楽作曲家ならではの感覚が、この作品の構成から見て取れる。同じ性格の楽章が続く例は全く無いし、そもそも似たような性格の楽章がひとつとして存在しないのである。テノール独唱が登場するのは第9曲だけであるし、第8曲では不思議な楽器法が聞かれる。第7曲では雄弁なオーケストラと、動きを見せない合唱が対比される。その編成の本質を生かして、その本質のみから、これほどまでに高密度な音楽をも作り得るのだ、というベルリオーズの矜持を、ここに私は聴く。
サー・コリン・デイヴィスは、1927年イギリスのウェイブリッジ生まれ。1957年から本格的指揮者となりロンドン交響楽団、ロイヤル・オペラ・ハウス、BBC交響楽団、イギリス室内管弦楽団といった有数のオーケストラを指揮し特にモーツァルトやシベリウス、ベルリオーズといった作曲家の作品を得意とし数多くの名盤を残しました。1967年BBC交響楽団の首席指揮者、1971年ロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督、そして1982~1992年バイエルン放送交響楽団の首席指揮者、1995~2006年ロンドン交響楽団の首席指揮者を務めてきました。また1977年にはイギリス人として初めてバイロイト音楽祭で指揮しています。またボストン交響楽団の首席客演指揮者やシュターツカペレ・ドレスデンの名誉指揮者でもありました。デイヴィス自身「モーツァルトは人生そのもの」という言葉の通り、デイヴィスは、モーツァルト作品に内包するドラマやパトスを表出することのできる数少ない音楽家でもありました。この時期にフィリップスに録音した類まれなモーツァルティアンの名演奏は、そのほとんどが綿密に制作されたセッション録音である点も大きな特徴です。ロンドン交響楽団はワトフォード・タウン・ホールなど、ヨーロッパでも最も音響効果のよいホールで収録されており、そのバランスの取れたヨーロピアンな完熟のサウンドは、この時期のデイヴィスの音づくりを忠実に反映したものと言えるでしょう。そうしたデイヴィスの万全なサポートを得て、ベルギーの名ヴァイオリン奏者グリュミオーが甘美で艶やかな音色によって格調の高い演奏を聴かせている一連のフィリップスの録音は、20世紀モーツァルト演奏の金字塔と言えるでしょう。
ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはクララ・ハスキルやアルテュール・グリュミオー、パブロ・カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家が犇めき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から1960年にかけてのレコードには、米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。
ロナウド・ダウド(テノール)、コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団、ロンドン交響楽団合唱団(合唱指揮:アーサー・オールダム)、ウォンズワース・スクール少年合唱団(合唱指揮:ラッセル・バージェス)。1969年1月5、6日ロンドン、ワトフォード・タウン・ホールでのステレオ録音。2枚組。
FR PHIL 6700 019 コリン・デイヴィス ベルリオーズ・…
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ベルリオーズ:レクイエム、テ・デウム
マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
1994-03-05