34-15064
商品番号 34-15064

通販レコード→仏ダーク・レッド"Trésors classiques"黒文字盤
耳で観る、朗読劇― ストラヴィンスキーの音楽は常に革新的であると同時に新古典主義にみられるように過去の音楽に、その本流を探り、また12音技法の導入とジャズヘの関心という新しいものの弛まぬ摂取欲、そして作品の独創的な楽器編成、響きの不調和および独特なリズムへの関心は今までの音楽の殻を破るものであった。ストラヴィンスキーの新古典主義への移行を示す重要作《兵士の物語》は「読まれ、演じられ、踊られる」と附記されています。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に作曲され、芝居と朗読で進められる劇音楽の深層は説明できませんが、NHKが人形劇にしていたほどで、その放送を見た時の印象は童心に焼き付いている音楽 ― 和声とリズムだ。朗読と演劇、バレエを総合した舞台作品ですが、ストラヴィンスキーと交友のあった20世紀の大詩人ジャン・コクトーが語り手を勤め、コクトーと交友のあったマルケヴィッチが指揮して、名手モーリス・アンドレが参加というだけで、最上の名盤と言えます。マルケヴィッチは本当に多彩で、ロシアものや自国のフランスものを得意としていた。なので、力強い激しさがあるが、その中に何か優しさを感じる繊細さも感じられる。マルケヴィチの代表的録音であり、この作品のベストと目されている演奏。晩年のコクトーの語りがまた素晴らしい。更に特徴的なのは、通常語り手が受け持つ説明の一部をそれぞれの役に割り振ったり、通常パントマイムのプリンセスにセリフを割り当てたりして等々前例がないストラヴィンスキー創作の頂点とも云えるのでは … また彼の初期の有名なバレエ音楽3部作の改訂を何度も行った理由がおもしろい。そのままではアメリカに住む彼の元に著作権料が入ってこないからであったという。そうした経済観念や世界を飛び回って情報通でもあり、音楽家離れした感覚をもっていたストラヴィンスキーは現在の商業音楽業界のプロデュース的感覚にも通じる才能をも持ち併せていたのは確かだ。それら併せて考えると、全曲版、組曲版に続いたレコード版と思われる。レコードということを考え、より具体的なイメージを喚起できるように構成されている。
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変拍子を多用し、アメリカのラグタイム/ディキシーランド・ジャズを消化した奇妙でユニークな音楽。小説家のシャルル・フェルディナン・ラミューズがロシアの民話「脱走兵と悪魔」を元にしてフランス語で台本を書き、イーゴリ・ストラヴィンスキーが7人の演奏者(ヴァイオリン、クラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーン、コントラバス、打楽器)からなる小編成のアンサンブルと語り手と俳優(悪魔、兵士、王女)のために作曲。悪魔に名優ピーター・ユスティノフ、ジャン=マリー・フェルテの兵士、アンヌ・トニエッティの王女。朗読と演劇、バレエを総合した舞台作品ですが、ストラビンスキーと交友のあった20世紀の大詩人ジャン・コクトーが語り手を勤め、コクトーと交友のあったイーゴリ・マルケヴィッチが指揮して、名手モーリス・アンドレが参加というだけで、最上の名盤と言えます。“耳で見る”朗読劇「兵士の物語」の歴史的演奏。1918年に発表された“朗読と演劇、バレエ”を総合した舞台作品で、ストラヴィンスキーの新古典主義への移行を示す重要作で、「読まれ、演じられ、踊られる」と付記されている、一種の音楽劇。更に特徴的なのは、通常語り手が受け持つ説明の一部をそれぞれの役に割り振ったり、通常パントマイムのプリンセスにセリフを割り当てたりして等々、前例がないレコードで聞く物語だけに、工夫が凝らされストラヴィンスキー創作のレコード録音としての頂点とも云えるのではないでしょうか。この録音は1962年に、スイスの第17回モントルー=ヴヴェイ国際音楽祭での公演を機に実現したもので収録に参加した豪華な面子を見れば、二度と現れることのない歴史的録音であることは一目瞭然。
ストラヴィンスキーは、ペテルブルグ近郊のオラニエンバウムで三男として生まれた。父フョードルは、ペテルブルクのマリインスキー劇場で26年も務めた有名な主役バス歌手であった。家には図書館並みの20万冊もの蔵書があった。大学でリムスキー=コルサコフの息子と知り合い、20歳の時リムスキ=コルサコフに作曲を学ぶ機縁となった。両親は息子を音楽家にするつもりはなく、このまま1905年卒業まで法律を一応学んだが1902年末に父が亡くなり、この時すでに作曲家になる決心をしていた。ストラヴィンスキーの音楽の特徴は、西欧とは異なったビザンツ系の文化形態にあったロシアの音楽に端を発すると思われる。1908年、自作曲『スケルツォ・ファンタスティック』と『花火』を初演すると、ロシア=バレエ界に君臨したディアギレフに見出されバレエ音楽『火の鳥』(1910)、『ペトルーシュカ』(1911)を次々に作曲しパリで初演し、その名を不動のものとした。その生涯は実に旅行による一生といってよくヨーロッパの多くの国に滞在し、それぞれの地で多くの作品を生んでいる。ストラヴィンスキーの旋律、和声、リズムは独特といえ、対位法を持たない彼の音楽が管弦楽法の楽器の使い方で特徴づけられていく。第一次世界大戦勃発とともにフランスに住み、初期の表現主義、原始主義的作風から新古典主義に移っていく。
ストラヴィンスキーが1918年に作曲したこの「兵士の物語」は、音楽劇として語り手と3人の役者、そして7人の器楽奏者によって演奏される作品です。語りの部分と曲を一部カットして器楽奏者だけで演奏される演奏会用「組曲」の形で演奏される場合もありますが、本来はこの盤の形態が全曲となります。この「全曲」版は作曲者の自作自演盤等複数の音源がありますが、何と言っても1962年録音のこのマルケヴィチ盤が名実共にこの曲の代表盤として君臨してきました。この録音ではかのジャン・コクトー(この録音の約1年後に逝去)自らが台本を書き直し、さらに本人が語りを担当したことで当時から話題となりました。さらに名優ピーター・ユスティノフを悪魔に据え、器楽奏者を含めて豪華な布陣は他の盤に無い魅力となっています。そして最大の魅力は、この盤はモーリス・アンドレなしには成り立たなかった、と思わせる程の圧倒的な演奏でしょう。翌年、ミュンヘン国際コンクールのトランペット部門で史上初めて第1位となり、その後世界的に活躍することになったアンドレ29歳の時の録音で、その後のこの曲の演奏に大きな影響を与えました。この曲に求められる響きを最大限駆使したその演奏は他の誰も真似のできない、最高の到達点に達しています。クラリネットは当時のパリ高等音楽院教授でソリストとしても活躍していたユリス・ドゥレクリューズ、バソン(ファゴットではなくバソンを使用)はスイス・ロマンド管首席バソン奏者アンリ・エレール、トロンボーンも同じくスイス・ロマンド管首席のローラン・シュノルクが吹いています。そして彼らを束ねるマルケヴィチの存在が重要です。全曲版でも指揮者を配置しないケースもありますが、マルケヴィチならではの緊迫感や語りとより連動するフレーズの描き分けなど、素晴らしい効果を上げています。この盤は「兵士の物語」の代表盤であるばかりではなく、マルケヴィチの代表盤のひとつとも言える、歴史的名盤です。
ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはハスキルやグリュミオー、カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家がひしめき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から60年にかけてのレコードには、米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。
Manoug Parikian(Vn)、Ulysee Delecluse(Cl)、Henri Helaerts(Bsn)、Maurice Andre(Tp)、Roland Schnorkh(Tb)、Joachim Gut(Cb)、Charles Peschier(Perc)。コクトーが亡くなるちょうど1年前の1962年10月4日から8日にかけてスイス、ヴヴェイ劇場で録音されました。ジャケットのイラストはジャン・コクトーがこのレコードのために描いたものです。フランス・プレス盤、ステレオ録音。
FR  PHIL  6500 321 マルケヴィッチ  ストラヴィン…
FR  PHIL  6500 321 マルケヴィッチ  ストラヴィン…