FR PATHE PL9710 ホーレンシュタイン ヤナーチェク・シンフォニエッタ
通販レコード→仏 フレッシュ・ラベル濃緑文字盤

FR PATHE PL9710 ホーレンシュタイン ヤナーチェク・シンフォニエッタ


商品番号 34-5566


ごつごつとした髪を振り乱しての精力的な指揮ぶりで聴かせる全奏部での爆発的なエネルギーの発散と緊張感の持続で聴かせる弱音部での陶酔的な響き。 ― 近未来的な響きを追究した音楽を大局的な視点での構成の確かさとを感じることが出来ます。彼の指揮者としての技量を物語るエピソードして、イギリスBBCが1958度の予算消化のため、急きょマーラーの交響曲第8番の演奏が計画された。「千人の交響曲」と称される膨大な演奏者を必要とする作品を、わずか半年の準備と総練習なし、しかもホーレンシュタイン自身初めて振るというとんでもない条件の元、1959年3月20日、それこそぶっつけ本番で成功させたというのがある。
巨大なスケールと濃厚な情感表現で知られるホーレンシュタイン(1898-1973)は、マーラーやブルックナーに早くから取り組み、その普及に尽力した功績でも有名。現在でも重要なロシア生まれの指揮者たち ― エウゲニー・ムラヴィンスキー、キリル・コンドラシン、イーゴリ・マルケヴィッチ、ヤッシャ・ホーレンスタインら ― は尊敬されてはいるけれども、国際的な影響をまずほとんど及ぼしていない。ムラヴィンスキー、コンドラシン、マルケヴィッチのチャイコフスキー、ショスタコーヴィッチ、ベルリオーズなどでは今も決定的名盤が記憶を呼び覚ましてくれるが、ホーレンシュタインにはマーラーぐらいが機会となる程度。ホーレンシュタインは現ウクライナのキエフ生まれ。ステレオ録音が隆盛を迎える直前の1973年にアメリカで没した。6歳の時一家でロシアを離れ、ケーニヒスブルクとウィーンで音楽を学んだ。カール・ブッシュ、ヨーゼフ・マルクス、フランツ・シュレーカーなどの教えを受けた後ベルリンでヴィルヘルム・フルトヴェングラーの助手となって経験を積む。1925年にマーラーの交響曲第2番を指揮してウィーンにデビュー。1928年にデュッセルドルフ市立劇場の首席指揮者となる一方ヨーロッパ各国に客演。33年にナチスに追われてドイツを離れ、1937年よりモンテ・カルロのロシア・バレエ団指揮者。翌年パレスチナを経てアメリカに渡る。戦後は主にウィーンで活躍。晩年はロンドンで活躍した。スケールの大きな正攻法の重厚な芸風を聞かせたが、指揮者としては不遇で録音にも恵まれなかった。しかし晩年の録音がまとまっており、中でもロンドン交響楽団とのマーラー交響曲第1番、第3番は代表作と言える。他にブラームス第2番、ニールセン第5番などのライヴがあった。スペシャリストとして知られたマーラーでは他にロンドン交響楽団とのマーラー第4番、ブラームス第1番などがあった。
関連記事とスポンサーリンク
当盤に表記されている、ウィーン・プロ・ムジカ管弦楽団の名義は、ここではウィーン交響楽団の変名。ヤッシャ・ホーレンシュタイン(Jascha Horenstein)はヴィルヘルム・フルトヴェングラーの助手をしていたことで、バルトーク、ヤナーチェク、ニールセンとの交友を持った。ホーレンシュタインとヴラド・ペルルミュテールのラヴェルに昨日、日本モーリス・ラヴェル友の会からツイッターにリアクションがあった。然しながら、特別ラヴェルが好きなのではないから、いいねされても困ります。しかも、ラヴェルから直に教わったとはいえ、ペルルミュテールは教わった演奏をしては居ないのだから。共感だよ。わたしだって、真剣に教えはマスターするけど、ペルルミュテールのように教え通りには実行しない。人間的好き嫌いとは別。1927年にフランクフルトで国際現代音楽協会のフェスティヴァルが行われ、このときはバルトークをソリストに迎えてフルトヴェングラー指揮で「ピアノ協奏曲第1番」の初演などが行われたのですが、ホーレンシュタインはこの時フルトヴェングラーのための下稽古を行った。オーケストラはフランクフルト歌劇場のオーケストラで、7月1日にフルトヴェングラーがバルトークとニールセンの「交響曲第5番」を振った他、ヘルマン・シェルヒェンとワルテ・ストララムが他の曲を指揮した。3日間の間にホーレンシュタインはバルトーク、ヤナーチェク、ニールセンと会った。『バルトークはヴェーベルンのハンガリー版で、非常に几帳面で、音楽的原則の人で、人間的というよりも生きた百科事典のような人だった。ニールセンは逆に人間的以外の何者でもなかった。ヤナーチェクは見た目、オーストリアかチェコの旅館か喫茶店のオーナーという感じで、ウェストコートにチェーンを付けていたりして、とてもブルジョワ、中流 ― 下の方だが ― という感じだった。 私がフルトヴェングラーのためにリハーサルをしているとき、ヤナーチェクは後ろの方に坐っていたが、私はコンサート会場の建物の支配人か誰かと思っていた。初日はオペラハウスでのクレメンス・クラウス指揮のブゾーニ『ファウスト博士』だったのだが、その後レセプションで遅くなってから紹介されて、はじめてヤナーチェクだと知った。リハーサルの時は休憩の時も話し掛けて来ず、私やニールセンを無視して坐っていたからだ。』と回想している。そして、フルトヴェングラーが到着してから行なった2回のリハーサルは、フルトヴェングラー立ち会いのもと行われた。ホーレンシュタインはフルトヴェングラーに見てほしくて、オーケストラを何度も止めて注意を出していたが、後でフルトヴェングラーに「君は一曲を通して演奏することの大切さを過小評価している」と注意された。また、1930年代にはデュッセルドルフでリヒャルト・シュトラウスと知り合い『氷のように冷たい。氷のように冷たい音楽の皇帝。』と彼に感想を持った。この時、リヒャルト・シュトラウスから受けた注意を彼が意図していたことを理解するのにホーレンシュタインは25年かかった。しかしリヒャルト・シュトラウスは本当にそうすることを言ったのではなく、指揮する際の目の重要性を強調したのだ。
LP初期からクラシック・ファンに愛好されてきたアメリカの VOX レーベルは1945年創立。オットー・クレンペラーやヤッシャ・ホーレンシュタイン、アルフレッド・ブレンデルやクレメンス・クラウス、ヴァルター・クリーンなど欧米の一流アーティストによる録音を数多く所有、いずれも香り高く音楽愛好家の渇を癒す個性的演奏揃い。英DECCAや蘭PHILIPSが ― 英EMIはまだ懐疑的だった ― ステレオ録音を本格的に行う直前で、モノラル録音であるのは致し方無い。それほど数は多くは無いもののレコーディングにも熱心に取り組み素晴らしい成果を遺したホーレンシュタイン。彼の音楽は一言でいって、クレンペラーの構成感と、ブルーノ・ワルターの豊かな歌をあわせ持った演奏。VOXの看板指揮者だった彼を、名プロデューサーは度々イギリスEMIに引き抜こうとしている。それがかなわず、クレンペラーがヘルベルト・フォン・カラヤンの後釜になったことは有名な巨匠伝説。本盤は、米VOXがウィーンに出向いてレコーディングをしていた時代のレコード。ヤナーチェクの《シンフォニエッタ》はフランス国立放送管弦楽団との1952年2月録音がある。1925年5月2日、南ボヘミアのピーセクの広場に近いソコル体育館で、ヤナーチェクは自作のヴァイオリン・ソナタ、「消えた男の日記」、「ラシュスコ舞曲」を演奏した。その際、パソフスキー(1882~1952)指揮する、第11歩兵連隊「パラツキー」軍楽隊の演奏を聴く。昔ながらの服装で、ソロの時は起立して吹く楽士たちのファンファーレに、ヤナーチェクは深い感銘を受けた。これが機会となり、翌年にソコル体育団体のフェスティバル用にファンファーレ作曲を、リドヴェー・ノヴィニ紙編集局から依頼されひと月で完成した。ヤナーチェクはこの作品が〝ソコル・シンフォニエッタ〟と呼ばれるのを嫌い、〝軍隊シンフォニエッタ〟だ、と主張していた。彼の愛国心は、『タラス・ブーリバ』など第一次世界大戦中の作品に反映されており、祖国独立後の1923年9月15日には、〝わが国軍に寄す〟という短いコラムすら書いている。曲は「イントラーダ」を冒頭に置く、アレグロ、アダージョ、スケルツォ、フィナーレという、4楽章のほぼ三部形式の「交響組曲」で、内容は『タラス・ブーリバ』の姉妹編と言える。この作品について作曲者は語っている。『・・・それから私が見たのは、奇跡的な変貌を遂げたこのブルノの町です。陰鬱な市庁舎、深みから悲鳴の聞こえてくる、かつては牢獄だったシュピルベルクの丘、通りや群衆などへの嫌悪が、私から消えたのです。奇跡のように自由が呼び出され、町の上に輝く・・それが1918年10月28日の祖国再生。私はその中に私自身の姿を見ました。私は祖国に属している。そして勝利のトランペットの咆哮。エリシカ王妃の建てた修道院の聖なる静けさ、夜の影、緑の丘の吐息、栄えゆく町ブルノの壮大さ。これらすべてが、私に〝シンフォニエッタ〟を書かせたのです」。ホーレンシュタインの演奏。両端楽章の遅さはこの曲の最長記録ではなかろうか、かなり個性的なヤナーチェク演奏だが、それでも緊張感が持続し間延びしないのはさすが。表情はたっぷりついているのに客観的な見通しの良さがホーレンシュタインの不思議なところで、ウォルター・レッグがカラヤンと目指したことを継承するのに相応しいと感じていたのだろう。ひたひたと音楽が伝えたい事を語りかけてくる。透明で明晰なブルックナーは、今でも存在意義を主張できるほどだ。本盤でもそれがわかる、彼のマーラーやブルックナー同様に、悠久の大河にも似た巨大な音楽が繰り広げられています。
1955年9月15-18日のウィーンでのセッション録音。

販売レコードの写真

  1. FR PATHE PL9710 ホーレンシュタイン ヤナーチェク・シ…
  2. FR PATHE PL9710 ホーレンシュタイン ヤナーチェク・シ…
商品名FR PATHE PL9710 ホーレンシュタイン ヤナーチェク・シンフォニエッタ