FR  MUSIDISC  30RC889 ヴラド・ペルルミュテール ラヴェル・ピアノ協奏曲
通販レコード→仏プレス、ブラウン・アンド・ホワイト・ラベル黒文字盤

FR MUSIDISC 30RC889 ヴラド・ペルルミュテール ラヴェル・ピアノ協奏曲


商品番号 34-13003


ラヴェル演奏の権威 ― ペルルミュテール演奏の「ラヴェル作品全集」はラヴェル解釈の規範とされており、ラヴェルの解釈を最も的確に表現した演奏と言われています。そのラヴェルの個人レッスンは彼のピアノ作品全曲に及びました。そして演奏解釈をペルルミュテールに熱心に教えたといいます。これからもラヴェルの生き証人としてペルルミュテールの価値は永遠に語り続けられると確信する演奏です。
この録音の傍らにはラヴェルがいます。瞼を閉じて、師に向かって語りかけるように奏でている。ヴラド・ペルルミュテールは、ラヴェル演奏の権威として知られておりパリ音楽院の教授として多くの弟子を育てました。その晩年の演奏会の印象は、ピアノ音楽好き、いや、普段は管弦楽曲しか聞いていないクラシック音楽マニアも虜にしたほどだ。しかし後年のペルルミュテール自身の演奏は、本人校訂の楽譜に書かれた注釈よりもいくぶんセンチメンタルな雰囲気が強まっていた。それっくらいの崩しがあったほうが、豊富な経験と老獪な手腕が相まって憎らしいほどラヴェルの音楽の持つ性質と一致していて魅力を感じやすいだろう。1904年リトアニア生まれ、13歳でパリ音楽院に入学し、モシュコフスキーとコルトーに師事、フランス音楽とショパンを主要レパートリーとするソリストとして半世紀近くにも及ぶ世界的なキャリアを誇る一方、母校の教授を長年に渡って務め、彼に学んだ日本人演奏家も多数存在します。しかし、このピアニストを語るうえで第一に挙げるべきは、やはりラヴェルとの出会いでしょう。1925年の21歳の時には大作曲家 モーリス・ラヴェル に気に入られて2年間ラヴェルの自宅で教えを受けることが出来た幸運なピアニストです。ペルルミュテールを「小さな真珠」と呼んだ、そのラヴェルの個人レッスンはラヴェルのピアノ作品全曲に及びました。そして演奏解釈をペルルミュテールに熱心に教えたといいます。そのピアノ作品の骨法を授けられたことが、このピアニストを比類のないラヴェルのスペシャリストに育て上げたのです。ペルルミュテールの楽譜にはラヴェル師匠の厳格な指示が細かく書き込まれていると云います。この経験によってペルルミュテールはラヴェル演奏の第一人者となりました。しかし、そこで立ち止まらずに、ペルルミュテールはラヴェルの意図を尊重しながら自身でラヴェル作品を組み立てなおした演奏になっています。そのことがあってペルルミュテール演奏の「ラヴェル作品全集」はラヴェル解釈の規範とされており、ラヴェルの解釈を最も的確に表現した演奏と言われています。ラヴェルのスペシャリストということで、聴いて落胆したという声をよく聞きますが、もう聞くラヴェルはないよ、とラヴェルの音楽が充満したら聞きましょう。これからもラヴェルの生き証人としてペルルミュテールの価値は永遠に語り続けられると確信する演奏です。

関連記事とスポンサーリンク
巨大なスケールと濃厚な情感表現で知られるホーレンシュタイン(1898-1973)は、マーラーやブルックナーに早くから取り組み、その普及に尽力した功績でも有名。現在でも重要なロシア生まれの指揮者たち ― エウゲニー・ムラヴィンスキー、キリル・コンドラシン、イーゴリ・マルケヴィッチ、ヤッシャ・ホーレンスタインら ― は尊敬されてはいるけれども、国際的な影響をまずほとんど及ぼしていない。ムラヴィンスキー、コンドラシン、マルケヴィッチのチャイコフスキー、ショスタコーヴィッチ、ベルリオーズなどでは今も決定的名盤が記憶を呼び覚ましてくれるが、ホーレンシュタインにはマーラーぐらいが機会となる程度。ヤッシャ・ホーレンシュタインは現ウクライナのキエフ生まれ。ステレオ録音が隆盛を迎える直前の1973年にアメリカで没した。6歳の時一家でロシアを離れ、ケーニヒスブルクとウィーンで音楽を学んだ。カール・ブッシュ、ヨーゼフ・マルクス、フランツ・シュレーカーなどの教えを受けた後ベルリンでヴィルヘルム・フルトヴェングラーの助手となって経験を積む。1925年にマーラーの交響曲第2番を指揮してウィーンにデビュー。1928年にデュッセルドルフ市立劇場の首席指揮者となる一方ヨーロッパ各国に客演。1933年にナチスに追われてドイツを離れ、1937年よりモンテ・カルロのロシア・バレエ団指揮者。翌年パレスチナを経てアメリカに渡る。戦後は主にウィーンで活躍。晩年はロンドンで活躍した。スケールの大きな正攻法の重厚な芸風を聞かせたが、指揮者としては不遇で録音にも恵まれなかった。しかし晩年の録音がまとまっており、中でもロンドン交響楽団とのマーラー交響曲第1番、第3番は代表作と言える。他にブラームス交響曲第2番、ニールセン交響曲第5番などのライヴがあった。スペシャリストとして知られたマーラーでは他にロンドン交響楽団とのマーラー第4番、ブラームス第1番などがあった。彼の音楽は一言でいって、オットー・クレンペラーの構成感と、ブルーノ・ワルターの豊かな歌をあわせ持った演奏。VOXの看板指揮者だった彼を、名プロデューサーのウォルター・レッグは度々イギリスEMIに引き抜こうとしている。それがかなわず、クレンペラーがカラヤンの後釜になったことは有名な巨匠伝説。髪を振り乱しての精力的な指揮ぶりで聴かせる全奏部での爆発的なエネルギーの発散と緊張感の持続で聴かせる弱音部での陶酔的な響き。表情はたっぷりついているのに客観的な見通しの良さがホーレンシュタインの不思議なところで、レッグがヘルベルト・フォン・カラヤンと目指したことを継承するのに相応しいと感じていたのだろう。ひたひたと音楽が伝えたい事を語りかけてくる。透明で明晰なブルックナーは、今でも存在意義を主張できるほどだ。本盤でもそれがわかる、彼のマーラーやブルックナー同様に、近未来的な響きを追究した音楽を大局的な視点での構成の確かさとを感じることが出来ます。
1956年録音。

販売レコードの写真

  1. FR  MUSIDISC  30RC889 ヴラド・ペルルミュテール…
  2. FR  MUSIDISC  30RC889 ヴラド・ペルルミュテール…

商品名FR MUSIDISC 30RC889 ヴラド・ペルルミュテール ラヴェル・ピアノ協奏曲