フランス出身の往年の名プリマドンナ、クレスパンが〝カルメン〟を歌う。 ― オペラや映画や舞台演劇や舞踏の原案としてあまりにも有名な「カルメン」、物語のあらましはみんな共有できているはずですし、またビゼーのオペラの音楽においては、「第1幕への前奏曲」をはじめ、有名な主要曲「ハバネラ(恋は野の鳥)」「ジプシーの歌」「闘牛士の歌」等々、全体を通して鑑賞したことのない人にも、そのメロディの多くは広く共有されているでしょう。つまり、最も高いポピュラリティを獲得しているオペラのひとつであるわけです。名作オペラのカルメン鑑賞の入口になるのは、自由奔放であるがゆえに自己破滅的な本能の女、カルメンの物語としてでしょう。然し、ファムファタールであるところの女カルメンに憑かれた男、ホセの物語として視点を変えることが出来れば、様々な演出の上演に接していくほど、執拗なまでに堅物で陰湿な男ホセに取り付かれた女、カルメンの物語の悲劇性に気がつくでしょう。アラン・ロンバール指揮、ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団の演奏、カルメン役にフランス出身の往年の名プリマドンナ、レジーヌ・クレスパン、ジルベール・ピーのドン・ホセ他の歌唱による、ビゼー・歌劇《カルメン》は実力派ばかりの歌手で揃えられた演奏。ストラスブール歌劇場は同演目を1か月に5回~10回程まとめて公演するシステム(スタジオーネ)で、 取り組むのは月に2演目程度。そのころミュンヘンのバイエルン州立歌劇場でも「カルメン」はドイツ語で上演されていました。それを、当時の総監督のジャン=ピエール・ブロスマンと音楽監督のアラン・ロンバールの意向ですべて言語上演で行った。パリ市の音楽政策に私企業は積極的に参加しており、都市ガバナンスの創出という観点からも重要なアクターと見なされている。パリについていえば、その政治史によって示されているように、近年に至るまで国の絶対的な支配の下にあった。その上、確かに1977年まで、パリに市長は存在しなかった。また、パリ市の文化資源は文化都市パリというイメージを前面に打ち出すことに貢献し、より多くの市民にパリ市の文化を普及するという効果をもたらしているが、フランスでは何世紀も前から、クラシック音楽の領域に国が介入していた。王立音楽アカデミーの振興のため、ルイ14世がジャン=バティスト・リュリに特権を与えたのは1672年に遡る。パリ・オペラ座の今日までの存続は、音楽と政治権力との明白な結びつきを示唆する例の一つである。その上、1795年に国民公会の議決によって設立されて以来、フランス国立高等音楽院は国策と密接に結びついているといわれる。
アラン・ロンバール指揮 ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団、ライン・オペラ合唱団、サン・モーリス児童合唱団、レジーヌ・クレスパン、ヤネッテ・ピロウ、マリア・ローゼ・カルミナティ(ソプラノ)、ナディーヌ・ドゥニーズ(メゾ・ソプラノ)、ジルベール・ピー、レミー・コラザ(テノール)、ホセ・ファン・ダム、ジャック・トリゴー(バリトン)。録音は1977年12月27日〜30日、1974年9月録音、3枚組。
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1950〜60年代のパリ音楽院管弦楽団(Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire)、シャンゼリゼ劇場管弦楽団、パリ・オペラ座管弦楽団、フランス放送(ORTF=Office de Radiodiffusion Télévision Française)交響楽団、そしてラムルー管弦楽団、コンセール・コロンヌといった当時のパリで持て囃されていたオーケストラ録音を聴くと、指揮者もオーケストラも、そして録音も個性的ではっちゃけていた。ステレオ録音の初期は、こうした嫌に元気な元気な録音でいっぱいである。アンサンブルが崩れようが、どこかのパートが落ちようが、ポンコツのまま構わず楽しそうに進む。ジュネーヴのヴィクトリアホールの美しい響きとデッカ録音の妙と、数学者でもあった指揮者の分析的な解釈として、精密さを印象づけていたエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団も、独創的でありながらの精緻な音楽だった。それも、ステレオ録音のレコードで国際的に聴かれるようになっていくとともに独創的な録音も影を潜めはじめる。そうして1960年代後半、パリ音楽院管弦楽団の終焉とともに新録音は完全にストップする。1990年代に佐渡裕がラムルー管を牽引するまで、健在ぶりさえ気にしなくなっていた。その代わりに、1970年代に地方に新設されたオーケストラが一躍脚光を浴びる。1970年代のフランス音楽界は、アンドレ・マルローとマルセル・ランドフスキのかいあって、「地方の時代」といわれたが、その柱には、フランス近代以降の音楽の発展を受け継ぎながら、極端に走らず、無調音楽を展開しようとした。それは、調性的な発想から出ており、伝統的でわかりやすい表現を良しとした独自の音楽語法で、教条的なセリー技法には、つねに異を唱えていた。それ故に前衛音楽に距離をとったことや世俗的・社会的な成功から、ピエール・ブーレーズとその ― 識者も含む支持者から攻撃されており、なんだかんだで、良くも悪くも、紛れもない都の息吹があった。ジャン=クロード・カサドシュ(1927年7月17日〜1972年1月20日)率いる北のリール、ミシェル・プラッソン(1933年10月2日〜)率いる南のトゥールーズ、そしてアラン・ロンバール率いる東のストラスブール。それぞれ独自のカラーを出しながらも、何かしら猥雑なエネルギーを放出していた。そう、当の都では忘れ去られた息吹が1970年代には地方に移ったのである。オーケストラ文化が伝播したかのように、懐かしいエネルギーが地方で息づいていたのである。それも昨今ではマルク・アルブレヒト指揮のストラスブール・フィルがリヒャルト・シュトラウスやベルク、フランス近代物などをリリースした録音を聴いて、その演奏はロンバール時代の勢いはそのまま、クオリティはかなり上がっているのに残念だった。もはや、パリだの地方だのいう時代でなくなってしまったことを実感した。
アラン・ロンバール(Alain Lombard)はリヨン国立管弦楽団の指揮者として1961年にデビューした後、渡米してニューヨークでレナード・バーンスタインの助手を務めたフランスの指揮者。1940年10月4日、パリに生まれ、パリ音楽院でガストン・ブールに師事、その後、フェレンツ・フリッチャイの元で研鑚を積む。1966年、ミトロプーロス国際指揮者コンクールに優勝し、国際的な活躍を開始する。1999年以降はスイス・イタリアーナ管弦楽団の指揮者を務めている。1971年から1983年までストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。主にオペラ指揮者として名高く、EMIやエラート・レーベルに数々の録音を残している。代表的な録音は、モーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」と「魔笛」、グノーの歌劇「ファウスト」と「ロメオとジュリエット」、ドリーブの歌劇「ラクメ」、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」、ビゼーの歌劇「カルメン」に交響曲ハ長調、ベルリオーズの「幻想交響曲」のほか、シューベルトの交響曲が挙げられるが、特にストラスブール・フィルと演奏したフランスの管弦楽曲の評価が高い。アンサンブルにはラフなところがあるが、ソロもウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者の力量には及ばないが、存在感があり、一直線に豪快に鳴らしている。特に打楽器奏者が素晴らしく、打ち込みは小気味よいし、ここぞというときの迫力が凄い。演奏を聴き終えた後の爽快感は、ああ、いい音楽を聴いたという満足感は趣があり、このコンビは1970〜80年代に持て囃されていた。
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