現代の演奏家の〝古典化した現代物〟の演奏とは一線を画す ― 若き日のピエール・ブーレーズが自ら結成したアンサンブル「ドメーヌ・ミュジカル」と行った録音は、当時のブーレーズの先鋭的な芸風を伝えるものが揃っています。1956年から1967年と言う、ブレーズ自身が言動的にも攻撃的で、作る音楽も非常に尖って時期の録音です。指揮を見よう見まねで始めた時期なので、バトン・テクニックは後の録音のほうが技術面では高いのですが、ここにはこの当時の彼の意気込みが感じられます。ブーレーズだけでなく、アンサンブルのソリストも含めて同時代に生きているという共感・使命感と言った雰囲気が強く感じられる。ブーレーズ(Pierre Boulez)は1925年3月26日、フランスのモンブリゾンに誕生。リオンで数学などを学んだ後、パリ音楽院に進んでオネゲル夫人に対位法をオリヴィエ・メシアンに和声を師事し、その後ルネ・レイボヴィッツに12音技法を学びます。1945年ブーレーズは『ノタシオン」を作曲、翌1946年には『ピアノ・ソナタ第1番』、『ソナチネ』、『婚礼の顔』も書き上げています。この年ブーレーズは、プロとしての最初の本格的な仕事となるジャン=ルイ・バロー&マドレーヌ・ルノー劇団の音楽監督に就任します。仕事の内容は舞台演劇に音楽をつけるというものでブーレーズ自身、オンド・マルトノ演奏を行ったりギリシャ悲劇『オレスティア』のための音楽を作曲・演奏するなどして、1956年までの10年間に渡って活躍します。その間、『ピアノ・ソナタ第2番』、『水の太陽』、『弦楽四重奏のための書』などの他、代表作となる『ル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)」を作曲。この頃のブーレーズは過激な言動でも知られていた時期で、「オペラ座を爆破せよ」、「シェーンベルクは死んだ」、「ジョリヴェは蕪」、「ベリオはチェルニー」といった数々の暴言が現在のブーレーズからは信じられない刺激的なイメージを伝えてくれます。そして1954年10月、過激な時期のブーレーズによって創設されたのが室内アンサンブル「マリニー小劇場音楽会」で、この団体は翌年には「ドメーヌ・ミュージカル(le Domaine Musical)」と名前を変え、以後大活躍をすることとなります。
イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ)、ストラスブール・パーカッション・グループ、ドメーヌ・ミュジカル、ピエール・ブーレーズ(指揮)、録音:1966年(ステレオ)
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20世紀フランスの作曲家、オリヴィエ・メシアン(Olivier-Eugène-Prosper-Charles Messiaen, 1908年12月10日〜1992年4月27日)は、豊かな色彩を持つオーケストラ作品によってよく知られています。1940年代から1950年代の初頭にかけて、メシアンは前衛的な作品を探求するが、途中から探求の方向を不毛であるとみなし、その方向を変更するために鳥の歌を中心とした作品を手懸けることになる。1952年に作曲されたフルートとピアノのための『クロツグミ(黒鶫)』を始めとして、ピアノと管弦楽のための『鳥たちの目覚め』(1953年)と、『異国の鳥たち』(1956年)、そして長大なピアノ独奏曲『鳥のカタログ』などで、ひとつの新しい時代に突入したといえる。鳥類学者として世界中の鳥の声を採譜して作品に取り込んだ、この『鳥のカタログ』はフランスの特定の地方の代表的な鳥の名を標題にした作品で全7巻13曲から構成され、総演奏時間は約3時間30分と大規模かつ長大である。1956年の9月から10月にかけて作曲され、完成したのは1958年になってからだった。初演は翌年の1959年の4月15日にパリのサル・ガヴォで、ピエール・ブーレーズ率いるドメーヌ・ミュジカルの演奏会の一環として行われた。ピアノ演奏はメシアンの2度目の妻で、彼の作品の良き理解者であったピアニストのイヴォンヌ・ロリオが担当した。作品はモデルとなった鳥たちと妻イヴォンヌ・ロリオに献呈された。一方でメシアンは神学者ならではのカトリシズムを感じさせる作品を数多く書いたことでも有名で、60年以上も教会オルガニストとして活躍、高度な即興演奏と宗教音楽の作曲もおこなっていました。また、「リズムの創作家」と自ら称しインドやギリシャなどのさまざまなリズムを研究、作品にも反映させてユニークな世界を構築しています。1956年に録音されたメシアン自身の一連のオルガン演奏、秘曲として知られる6台のオンド・マルトノのための『美しき水の祭典』、小澤征爾指揮トロント交響楽団やアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団はTAS ― すなわち米オーディオ誌〝アブソリュート サウンド(The Absolute Sound)〟の録音優秀で人気がある「トゥランガリーラ交響曲」などは、メシアンを理解するためには一度は聴いておきたい録音がメジャーレーベルの人気演奏家によって勢揃いする。
「われ死者の復活を待ち望む(Et exspecto resurrectionem mortuorum)」は1964年にメシアンが56歳になる年に作曲され、翌年パリの教会堂サント・シャペルでセルジュ・ボドの指揮、ストラスブール打楽器アンサンブルらによって初演されました。作曲のきっかけは1964年に当時の文化相アンドレ・マルローから第二次世界大戦の犠牲者を追悼する作品を委嘱されたことで作曲された器楽曲で、5つの楽章には聖書の復活に関わる言葉がテーマとして添えられています。第1曲「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、私の声を聞き取ってください。(Des profondeurs de l'abime, je crie vers toi, Seigneur: Seigneur, ecoute ma voix!)」、第2曲「死者の中から復活させられたキリストは、もはや死ぬことはありません。死はもはやキリストを支配しません。(Le Christ, ressuscite des morts, ne meurt plus; la mort n'a plus sur lui d'empire)」、第3曲「死んだ者が神の子の声を聞く時が来る(L'heure vient ou les morts entendront la voix du Fils de Dieu … )」、第4曲「死者たちは、夜明けの星の喜びの歌と神の子らの歓声の中で、新しい名を持って、輝かしいものに復活するであろう。(Ils ressusciteront, glorieux, avec un nom nouveau, dans le concert joyeux des etoiles et les acclamations des fils du Ciel)」、第5曲「私はまた、大群集の声のようなもの……を聞いた。(Et j'entendis la voix d'une foule immense … )」。なかでも第4曲の開始部分が象徴的で、まるで封印を破るように沈黙の中から静かに打楽器鳴らされて鳥の声を模したフレーズが現れます。終始聴こえる鐘の力強い音が ― グレゴリオ聖歌のアレルヤ唱等、復活祭の聖歌の旋律が象徴する不可逆な勝利を印象付けています。テキストを伴っていないことで自由なイメージが出来、古今に復活にまつわる作品は数多ある中、格別この曲は厳粛さを実感させられる。
「ドメーヌ・ミュージカル」は当時のブーレーズが音楽監督を務めていた劇団の舞台でもあるパリのマリニー劇場を本拠地とし、件のジャン=ルイ・バローと、その夫人のマドレーヌ・ルノーがパトロンになって発足したもので創立者にはブーレーズと、この両名が名を連ねています。彼らは最初から現代音楽に特化したアンサンブルだったわけではなく、1954年のシーズンにはマショーやデュファイ、バッハといった古楽プログラム、ドビュッシー、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルン、ストラヴィンスキー、バルトーク、ヴァレーズといった近代プログラム、シュトックハウゼン、ノーノ、マデルナなどの現代プログラムが3つの柱として存在しており、年を経るに従って現代プログラムの占有率が高くなっていきました。さらに、この団体の活動は演奏会の開催だけにとどまらず機関紙や研究書の発行にまで至り、ヨーロッパのみならず世界の現代音楽シーンに多大な影響を与えることとなります。作曲も順調で、『プリ・スロン・プリ』、『ストローフ』、『ピアノ・ソナタ第3番』、『エクラ』、『ストリクチュールⅡ』なども手がけています。その間、注目されることになったブーレーズは1960年から1963年にかけてバーゼル音楽アカデミーの教授を務めたりしましたが1967年には、フランス政府の音楽政策に抗議してフランス国内での演奏活動の中止を宣言、「ドメーヌ・ミュージカル」をジルベール・アミに託し(1973年に解散)、自らは指揮者としての活動に本腰を入れBBC交響楽団やニューヨーク・フィル、クリーヴランド管弦楽団を指揮して国際的に活動するようになります。ちなみに「ドメーヌ・ミュージカル」。ブーレーズ時代13年間の公演数は約80、登場する作曲家は約50名、作品数は約150曲といいますから、当時からブーレーズのレパートリーの広さにはかなりのものがあったことが窺われます。1967年以降のブーレーズは英米の他、バイロイトにも登場して指揮者としての名声を高めていますが、その間にも作曲は行っており、『ドメーヌ』や『即興曲 ― カルマス博士のための』、『カミングス、詩人』、『典礼 ― ブルーノ・マデルナの追憶』といった作品が書かれています。そうした声望を受け1976年にはフランスに設立されたIRCAMの所長に就任、同時に創設された現代音楽専門のアンサンブル「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」の音楽監督も兼任し、1990年代まで現代音楽に集中的に取り組むようになり、『レポン』、『デリーヴ』、『ノタシオン管弦楽版』、『固定/爆発』といった自身の作品の発表を行います。1990年代初頭、国際的な指揮の舞台に復帰したブーレーズは1995年からはシカゴ交響楽団の首席客演指揮者となり、以後、欧米各国のオーケストラを指揮して数々のコンサートやレコーディングも実施。そのため作曲の方は少なくなりましたが、それでも『アンシーズ』、『シュル・アンシーズ』、『アンテーム1』、『アンテーム2』の他、80歳となった2005年には『天体暦の1ページ」を書くなど、継続的に作品発表を行っているのは流石です。
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