34-10476
商品番号 34-10476

通販レコード→仏ダーク・ブルー黒文字盤
ピアノの好きなファンにとっては、この上ない秘められた喜びの一つ。― パウル・バドゥラ=スコダ、イェルク・デムス。〝ウィーンの三羽烏〟としてフリードリッヒ・グルダと並び称された若者時代からの友情を、21世紀になお深めてきた巨匠2人ならではの境地で綴られる至高の美をお楽しみいただけます。本盤は、モーツァルトの4手(連弾)のためのピアノ・ソナタを4枚のレコードに収録した「モーツァルトの4手のためのピアノ作品選集」で、全収録曲は末尾に列記。〝4手のための〟とあると連弾(1台のピアノを2人で演奏する)のほかに2台のピアノを2人で演奏する曲も含まれるが、ここでは、グルダを含めて当時の日本で〝ウィーンの三羽烏〟と呼ばれていたデムスとバドゥラ=スコダの2人の名手が連弾の演奏をしている。連弾曲には、親しい2人が弾いて楽しむ趣が強いところであるが、ここでは、それに留まらず十分楽しめるとなっているのは当然である。
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戦後、音楽の都ウィーンで3人の若く優秀なピアニストが揃って巣立った。それがフリードリッヒ・グルダ、イエルク・デムス、そしてパウル・バドゥラ=スコダで、以後誰がつけたか「ウィーン三羽烏」と称するようになった。パウル・バドゥラ=スコダは1949年にヴィルヘルム・フルトヴェングラーやヘルベルト・フォン・カラヤンらといった著名な指揮者と共演する。〝生きたヒストリカル〟。録音数は膨大で、200点以上に達するが、ウィーン古典派、とりわけモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの専門家である。なかでは一番精力的で今だ現役、モーツァルトの校訂など学術的な活動もこなすスコダ。1927年にウィーンで生まれ。ウィーン音楽学校に入学した2年後、オーストリア音楽コンクールで優勝し、エドウィン・フィッシャーに師事。フィッシャーの死後、ウィーンやザルツブルク、エディンバラ、シエナでマスタークラスの伝統を続けていった。今日でも彼は、自分の貴重な時間と情熱を若い音楽家の育成に捧げ、熱心にアドヴァイスをしている。1949年、ウィルヘルム・フルトヴェングラーとカラヤンが、バドゥラ=スコダの並外れた才能に注目し、ザルツブルク・フェスティバルで衝撃的なデビューを果たす。続いてニューヨーク、東京のリサイタルでもセンセーションを起こした。1927年10月6日生まれのパドゥラ=スコダのレパートリーは大変広いが、中で最も素晴しいのはやはりモーツァルト、シューベルト、ベートーヴェンなどウィーン古典派音楽、及びシューマン、ショパン、ドビュッシーなどロマン派音楽である。グルダとデームスと彼を「ウィーン三羽烏」と称する。中でも最も多く日本で演奏会を持ったのはバドゥラ=スコダで、リサイタルも津々浦々まで出向き、NHK交響楽団や東京都交響楽団とも何度も共演してファンを喜ばせている。彼のLPレコードは何年もの間、ピアニストとして発売枚数第1位を保持した。また、演奏活動に加えて、指揮、作曲、執筆活動にも携わるほか、膨大な量の自筆譜や初版のマイクロフィルム、歴史的な様々な鍵盤楽器のコレクションも行う。現在もレコーディングを続け、最近では、アストレー・レーベルからドビュッシーとブラームスをレリースし、三度目のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲も録音している。また、モーツァルトの協奏曲の全曲録音も進行中 ― であった。2019年4月16日の盟友デムス亡き後、ますます演奏活動に情熱を燃やしていたと伝えられ、10月22日(東京)、25日(高崎)、28日(広島)には日本公演も予定されていたが、92歳の誕生日を11日後に控えた2019年9月25日(水)午後6時、自宅にて、痛みを伴わず、安らかに亡くなりました。 ― そんな彼の録音全体を追うとレコード媒体の歴史を語ることもできそうに思える。彼はピアニストとしてのみならず室内楽奏者、指揮者としても活躍し、音楽学者として自筆譜や古楽器など膨大な資料収集を行い、数多くの重要な著書を発表しました。とくに「モーツァルト 演奏法と解釈」はモーツァルトを演奏する上で必読の書と言われています。モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトにおけるバドゥラ=スコダの演奏解釈は、それぞれの作品の内容や様式を正しく伝える規範となるものでした。そして教育者としても長年にわたってピアニストのみならず弦楽器奏者を含む多くの演奏家を育成。その門下からはアンヌ・ケフェレック、イモージェン・クーパー、ジャン=マルク・ルイサダを輩出し、日本人の弟子も多く、ヴェテランのフジコ・ヘミング、今井顕(ウィーン音楽大学名誉教授)から新進奏者の髙木竜馬、阪田知樹まで多彩な顔ぶれが育ってゆきました。
第2ピアノのイェルク・デムスは2011年春、東日本大震災後に多くの海外アーティストが日本でのコンサートを中止、延期する中で来日し、コンサートを行ったことでも話題になった有名なピアニストの一人であると言えよう。体全体から溢れる詩情と美しい抒情、はかり知れない熱情で、多くの聴衆に、深く新鮮な感動を刻みこんできた稀有なピアニストと思います。ニーダーオステルリッツのセント・ポルテンで1928年12月2日に生まれ、6歳の時からピアノを学ぶ。ワルター・クレッチュバウマーとエドウィン・フィッシャーにつき、一方ヨーゼフ・クリップスに指揮法を学んでいる。デームスはわずか14歳のとき既にウィーン楽友協会のコンサートでデビューし、1956年ブゾーニ国際ピアノコンクールで第1位を獲得。更に、ギーゼキング、イヴ・ナットのもとで研鑚を重ね、世界的なピアニストとしての地位と名声を不動のものとしていった。レコード録音も多数あるが、殊にドビュッシーの全曲、シューマンの全曲録音は歴史に残るもの。パウル・パドゥラ=スコダ、フリードリッヒ・グルダと共に、ウィーンの若手ピアニストの三羽烏と言われるデムスは、シューマン、ブラームス、シューベルトに抜群の演奏を聴かせ、パドゥラ=スコダとは良きライヴァルであると同時に朋友として屡々共演を行っている。ウィーンの三羽烏と言われたスコダと組んで残してくれたこの一連のモーツァルトが素晴らしいのは云うまでもありません。
モーツァルト親子を描いた1780年の肖像画は、ウォルフガングが姉のナンネルとチェンバロの鍵盤に向かって連弾をしている光景を写している。これは、モーツァルト姉弟の連弾が、各地の宮廷やサロンでもてはやされていたこと、それと同時に、当時すでに連弾という形式がかなり好まれていたことを物語る一つの証拠ともいえよう。本盤はモーツァルトが作曲した連弾曲(普通四つ手用とか、四手用といっている)の曲と、ピアノの二重奏用(これも普通は2台のピアノ用という)のソナタ。これらは同じように2人のピアニストが、別々のスコアによって合わせるという点では一応似ている。しかし、四つ手のためのピアノ曲と、2台のピアノのための曲とは本質的に別種の性格を持つ音楽なのだ。つまり、四つ手の方は、1台のピアノに向かって2人のピアニストが並んで坐り、プリモ(鍵盤に向かって右側、つまり高音部を主として受け持つ)とセカンド(鍵盤に向かって左側、低音部を大体において担当する)というふうに各自別個のパートを合奏する。いっぽう2台ピアノの曲は、そうした音域には関係なく、2人がそれぞれ別のピアノを弾きつつ合奏する。そこで2台ピアノの曲は、音量も2台だから、1台のピアノによる四つ手連弾とは比べ物にならないし、表現も一段とスケールの幅を広げる。そして、ソナタもここに聴かれる(K.448)ように、しばしばピアノ・コンチェルト的な様相を見せながら華麗なパッセージやソロとトゥッティの交代などという効果的な表現が試みられる。必然的にそこでは多くの声部を用いることが可能だから、たいそうシンフォニックな響きを出し得る。だから、ものによると、交響曲や協奏曲のスケッチか編曲のような印象を与える作品も生じてこないでもない。シューベルトの『大二重奏曲』作品120などのように、交響曲になり損なったような感じの大曲もあるし、あとにはブラームスなどは、盛んに協奏曲や交響曲をピアノ2台用の曲として考えていたものを改編して、幾つもの傑作を生み出していったものである。こんな風に、演奏会向きの効果を見せるコンチェルト・タイプの2台ピアノ用の曲と比べると、まず四つ手用の連弾曲の場合は、寧ろ、アットホームな音楽として、サロン向きの合奏そのものを楽しむといった用途に向かって発達してきた。また、時には教師と生徒の学習用の合奏としても、これほど便利な形式も他にない。こういう標本的な差は、モーツァルトの曲を集めたこのレコードでも非常にはっきりと現れてきている。同じように、どちらも、いかにもモーツァルト的な音楽であっても、そうした変化の楽しさは、また格別であり、ピアノの好きなファンにとっては、この上ない秘められた喜びの一つとも言えるのではないだろうか。
1787年5月28日の早朝にモーツァルトの父レオポルトが亡くなっているが、父の死を知らないモーツァルトはその翌日にこの曲(「ハ長調 K.521」(Sonate in C für Klavier zu vier Händen)は、モーツァルトが31歳の時にウィーンで作曲。モーツァルトの親友ゴットフリート(1767~1792)とピアノの弟子で美貌の才媛として知られたフランツィスカ(1769~1853)のジャカン兄妹に捧げられた。)を完成させたという。そのソナタほど、わずらわしさがなく、生命の喜びに満ちた作曲はモーツァルトの全作品中でも見出し得ない。父親から独立したかったモーツァルトにとって、皮肉なことにも感じられる。二台のピアノのためのニ長調のソナタ(KV448)、四手連弾のためのヘ長調とハ長調による2曲のソナタ(KV497とKV521)は、モーツァルトがピアノという楽器のために書いた最も大規模かつ内容豊かな作品となっている。18曲を数えるクラヴィーア・ソナタは、モーツァルトが作曲に際して「形式」の追求に主眼を置いたため、協奏曲における技巧的華麗さとはほど遠い、内面的な世界を現出させることとなった自己探求と言える作品群。モーツァルトの器楽作品の中で中心的な位置を占めるのは(交響曲ではなく)協奏曲であり、なかんずく、他人の作の編曲を含めると30曲を優に超えるクラヴィーア協奏曲(ザルツブルク時代の作の大半はチェンバロ協奏曲である)におけるモーツァルト自身による華麗な独奏の妙技は、当時の音楽愛好家たちの人気の的ともなった。連弾曲は、今日、考えられがちなような「ハウスムジーク」(家庭音楽)では決してない。純然たるコンサート作品である。「ヘ長調 K.497」は、モーツァルトが30歳の時にウィーンで作曲、1786年8月1日に完成した。その書法は対位法様式が、まったく有機的に、和声や朗唱の効果と合致している。これが、交響曲や協奏曲のスケッチか編曲のような印象を与える作品の典型といえる、これらを以って音楽学はまさしく、このソナタをモーツァルトの最後の3つの交響曲の傑作のための理想的な前段階として認めている。四手連弾曲というのは、ヴィーン古典派の作曲家たちにとっては欠かせぬレパートリーのジャンルであった。モーツァルトには、現存するだけで5曲のソナタと1曲の変奏曲があり、ベートーヴェンも数は少ないが機知に富んだ魅力的な作品を書いた。1781年以降、モーツァルトがヴィーンで書いたピアノ・デュオのための作品群は、その性格において独奏ソナタよりもピアノ協奏曲の世界にずっと近いもので、高度な演奏技巧を要求すると同時に演奏の歓びにあふれた音楽である。
エンジニア・Gerhard Schuller、仏 ERATO 盤、4枚組。Sonate En Re Majeur KV 448、Larghetto Et Allegro En Mi Bémol Majeur、Grave Et Presto En Si Bémol Majeur KV 375b、Adagio (Pour Cordes) KV 546 Pour Deux Claviers Et Fugue En Do Mineur KV 426、Sonate En Fa Majeur KV 497、Sonate En Ut Majeur K.521、Sonate En Si Bémol Majeur KV 358、Andante Et Variations En Sol Majeur KV 501、Fantasie Pour Orgue Mécanique En Fa Mineur KV 608、Sonate En Ut Majeur KV 19d、Sonate En Re Majeur KV 381、Fugue En Sol mineur KV 401、Sonate En Sol Majeur KV 357、Fantasie Pour Orgue Mécanique En Fa Mineur KV 594。
FR  ERATO  ERA9062-5 デムス&スコダ  モーツァ…
FR  ERATO  ERA9062-5 デムス&スコダ  モーツァ…