FR DUCRETET THOMSON LPG8319 シェルヘン ハイドン・交響曲95番/100番「軍隊」
商品番号 34-8066
通販レコード→仏ゴールド・アンド・ライト・グリーン黒文字 RARE MARMADE 初期FLAT盤
ヘルマン・シェルヘン、ハイドンを振る。オーソドックスな中、ウィーンの香りのする演奏。 ― 現代音楽の旗手(演奏・作曲・著述)として知られたシェルヘンですが、バッハやハイドン、ベートーヴェンといた古典作品の演奏に独自の主張を盛り込んだことでも知られており、そのキャパシティには実に広大なものがありました。なかでもハイドンは爆裂指揮者と言われたシェルヘンにとってバッハ、ベートーヴェン、マーラー、シェーンベルクと同様、非常に大事なレパートリーであるばかりでなく愛情を注いだ音楽家でした。ロンドン・セット(全12曲)は世界初の全曲録音となったものです。『天地創造』、『十字架上の七つの言葉』、チェロ協奏曲二長調…なかでも交響曲は第2回目の公式コンサート(1914年)から死の一月前(1966年5月)まで取り上げるほどのお気に入りで、特に《軍隊》は3つの録音があります。1951年から1958年の期間、ウィーン国立歌劇場管弦楽団とウィーン交響楽団で、第92番「オックスフォード」から第104番「ロンドン」までの13曲の他、愛称を持つ人気曲の殆どを録音している。「シュトゥルム・ウント・ドランク期」の録音に個性がよく現れていて、第45番『告別』終楽章最後のアダージョで、奏者が退場していくときに『さようなら(Auf Wiedersehn)』と言わせるなど、切れ味の鋭さだけに終わらない柔軟なアイデア(ユーモア?)もみせてくれているのが印象的です。シェルヘンの演奏はいずれも独特の風合いをもったものが多い。それがハイドンにおいては逆に適合している感じを受けた。確かに切れ味は鋭いし、今聴いても少しも古めかしい印象は持たない。モダン・オーケストラによる一つの極致を示したものだ。なかでも《軍隊》のあだ名が付いた第2楽章は、いかにもシェルヘン!といった強烈なもので、ビーチャムのロイヤル・フィルと録音したものは音楽的にも完璧で当時、大評判になりました。本盤は、米ウェストミンスター・レーベルでの発売があるが、仏DUCRETET THOMSON盤。ジャズ、クラシック音楽のレーベルで、「デュクレテ・トムソン」と日本語表記されるフランスのレーベル。「 La Voix Du Monde (The Voice of The World) 」を宣伝コピーとしていたラジオチューナー製作会社「デュクレテ」(1901年設立)が、1950年代にレーベルを設立した。中古レコード市場ではレア扱いされているために価格が高価なレコードが多い。マーメイドの白い石像が印象的で絵画的なレーベルは初版のデザイン。
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シェルヘンは、スイスの指揮者だが、シュトックハウゼンやクセナキスらの作品を積極的に紹介し、現代音楽の受容に大きな働きをした。「奇人変人とんでも指揮者」というレッテルを貼られたシェルヘンだが、いまだこうしてカタログに生き延びているのを見るにつけ、わけも無く頼もしくなる。時はノイエザッハリッヒカイトの波が音楽の分野にも波及して、19世紀的美意識から新しい客観の表現に遷移する時代になされた一つの方向指示の現われだったのではないか。SPからLPという完成された音響媒体で広く世間に行き渡るようになった新時代である。やがてLPがステレオに移行する1950年代後半から、シェルヘンは楽譜依存の表現様式を棄てたと思われる。このころ彼は、誰がやっても大同小異の演奏行為に決別した。音楽のフォーマルな装いを脱ぎ捨て、自身のコーディネイトでその時代に生きる装いを創り上げようとしたとしか思えない。ベートーヴェンでは、過去数百年の演奏からスコア上に堆積された、慣習を一掃しようとした。その根底にあった「間違い」と言われ続けてきたメトロノーム記号を全面的に信頼し実践したことや、場合によってはデフォルメも辞さなかった作品解釈の面白さでも知られています。これほどまでに「露わな」音楽は聴いたことがない、デモーニッシュさ、弾力性が感じられる、疾風怒濤の表現主義を極めた凄演として異彩を放っている。ヘヴィ・メタルの精神で奏でたベートーヴェンと言ったらいいだろうか。猛烈なスピードと過激なデュナーミクが持ち味のシェルヘンの魅力が満載盤。同じように感情をぶつける演奏をするトスカニーニのベートーヴェンを快演と表現すれば、シェルヘンのそれは、まさに怪演と表現すべきものである。米ウェストミンスターがどういう理由で彼に白羽の矢を射たかは知る由もないが、ただ、ウェストミンスターで用意したオーケストラの多くは、話半分にシェルヘンの演奏に付き合っていた風なものもあり、名門のウィーン国立歌劇場管弦楽団が客演と言う立場ではあったにせよ、彼を迎え入れて相当量の録音を残したと言うのも推しも押されぬ客観的事実として捉えられる。モノラル時代の好演奏として今でも評価に耐えうる立派な記録として価値をとどめているが、即物主義的な演奏様式をとった正攻法のベートーヴェンであった。表現主義の熱い洗礼を受けたドイツの指揮者、ヘルマン・シェルヘン(1891〜1966)は、20世紀音楽の旗手として演奏、作曲、著述だけでなく、音楽雑誌『メロス』の創刊、電子スタジオを設立して現代音楽の推進にも活躍していましたが、活動の主軸はバッハやハイドン、ベートーヴェンといった古典作品の演奏に独自の主張を盛り込んだことでも知られており、そのキャパシティは実に広大なものだった。〈哲学が終わる時、音楽が始まる〉とヘルマン・ヘッセはいっているが、この名句は、音楽に対する伝統的なドイツ人の態度を見事にいい現している。偉大な哲学者=音楽家の最後の巨匠であるシェルヘンは、1891年6月21日、ベルリンに生まれた。幼少の頃からヴァイオリンとヴィオラを学び、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のヴィオラ奏者として、アルトゥール・ニキシュ、カール・ムック、リヒャルト・シュトラウス等の偉大な指揮者の下で演奏した。20歳のとき指揮棒をとり、1920年ベルリンに新音楽協会を設立、現代音楽の紹介に奮闘した。1924年、ベルクのオペラ《ヴォツェック》の上演がまだ不可能であった頃、シェルヘンは初めてその組曲を演奏して、オペラ初演のきっかけを作った。一方では、シェルヘンはバッハ、ヘンデル及びベートーヴェンの権威者としての地位を固めていった。やがて、ナチスの擡頭につれ、ドイツでは1933年に現代音楽は公式に禁止され、ユダヤ人音楽家の排斥が始まった。シェルヘンは純粋なアーリア人であり、ユダヤ人排斥を利用し得る立場にあったにもかかわらず、ナチに抵抗し、リハーサルの際も、楽団員に対して、ナチの公式の挨拶だった〈ハイル・ヒトラー!〉を絶対口にしなかったという。ナチと相容れぬシェルヘンは遂にドイツを去り、スイスに居を構え、フランス、ベルギー、ハンガリーなど、芸術の自由に恵まれている諸国で活躍した。
シェルヘンの芸術は数多くのレコード録音と共に全世界に知られるようになったが、巨匠のアメリカ・デビューは、彼が73歳を迎えた1964年にようやく実現を見たのである。彼は1964年11月2日、フィラデルフィア管弦楽団の定期を振り、翌日ニューヨークでも同じ曲目を演奏した。曲目は、ハイドンの《交響曲第49番》とマーラーの巨大な《交響曲第5番》の2曲だった。続いて、シェルヘンはニューヨークのフィルハーモニック・ホールで、彼のために特別に編成されたオーケストラを指揮して、《ヘルマン・シェルヘンのポートレート》と銘打たれた7回の連続演奏会を行った。オール・バッハ・プログラムから始まった連続公演はウィーンの12音楽派で終わりを告げ、シェルヘンの偉大にしてユニークな音楽哲学はアメリカの楽界に深遠な反響を呼び覚ました。多忙な指揮活動と研究の傍ら、シェルヘンは暇を惜しんで読書と著作に勤しんでいる。名著《指揮者必携》(1929年)はすでに指揮法の古典として知られ、《音楽の本質》(1946年)は巨匠の音楽哲学の一端を示す好著である。指揮について、シェルヘンは1964年11月、ニューヨークでの談話でこう語っている。『指揮者は楽曲解釈に際して徒に個人的な感情の赴くままに指揮してはならない。指揮者は作品という音楽の建築物の中に隠されている内的な手がかりを探さなければならない。純粋に器楽的な構成と同様に一つの楽曲の全体のあり方(Gestalt)に波長を合わさなくてはならない。』シェルヘンは後年スイスのグラヴェサーノという山村に居を構えている。そこはルガーノ湖より高いアルプスの谷間にある寒村である。住居の傍らに電子音楽装置を持つラボラトリーを持ち、シェルヘンは新しい音響の可能性について研究を進めていた。1936年以来、チューリッヒ放送管弦楽団の指揮者を務めていた頃、シェルヘンはチューリッヒ工科大学で電子工学を学ぶため若い大学生と席を並べた。その時、高等数学の指導役を務めた同大学の若い卒業生がシェルヘン夫人となり、5人の子供たちと共に暮らした。1954年9月録音。まず驚くのが、腹に響く重低音。モノーラル録音の完成期を実感する。ステレオ録音へ移行する時期は画期的な録音実験が実践されていた。その録音技術のアイデアだけではなく、シェルヘンの音符を直接音にするというよりは、曲の構造を俯瞰して、各楽章を明確に描きわけ、また、曲の構造を解析して聴かせる、情緒に溺れない毅然としたフレージングが効果をあげている。シェルヘンは戦後のヨーロッパで積極的な活動を展開していたアメリカのウェストミンスター・レーベルのメイン・アーティストとして膨大なアルバムをセッション録音で制作していますが、それら個性的な演奏の数々はまさに宝の山。
- Record Karte
- 1950年録音。
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