34-11987
レコード→ブルーライン盤

FR DGG 2530 883 カラヤン チャイコフスキー・交響曲4番

商品番号 34-11987
戦後ナチ党員であったとして演奏を禁じられていたカラヤンの為に、1945年、レッグは自ら創立したフィルハーモニアを提供し、レコード録音で大きな成功を収めた。それから10年、ウィーンやベルリンでの演奏が出来ずにレコードだけで音楽を創りあげるだけの年月をカラヤンをおくる。ようやくウィーン国立歌劇場の責任者の席は得るが、指揮することはことごとくフルトヴェングラーの妨害にあった。1954年にドイツ音楽界に君臨していたフルトヴェングラーの急逝にともない、翌55年にカラヤンは、ついにヨーロッパ楽壇の頂点ともいえるベルリン・フィルの首席指揮者の地位に登りつめた。ここでレッグとカラヤンの関係は終止符を打つが、この約10年間に残したレッグ&カラヤン&フィルハーモニアのレコードの数々は、正に基準となるようなレコードであったと断言出来る。演奏はオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し、音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルで、完全主義者だったレッグとうまが合ったのは当然といえば当然で、出来栄えも隙が無い。決して手抜きをしないのがカラヤンの信条であったという。レッグからノウハウを吸収したと自覚があったカラヤンは、自分だけで信条を貫き始める。カラヤンの野望は、永遠にカラヤンの演奏が基準として聴かれ続けていくために全てのレパートリーをレコードにすることだった。カラヤンのレパートリーの守備範囲は広く、ベートーヴェン、ブルックナーに限られた指揮者だったら、やがて表面化するオーケストラとの関係破綻を回避できただろう。(ここから以降は仮原稿です。話のアウトラインに過ぎません。後日完成させようと思います。)生きたサウンドを満喫するなら絶対これ。チャイコフスキーらしいかどうか、それはチャイコフスキーの音楽に求めているものが聞き手それぞれだからなのだけれども、この演奏は鳥肌モノ。1970年代のカラヤンとベルリン・フィルの豪快で凄く立派なチャイコフスキーの音楽になっています。とにかくダイナミックスの幅が広く鮮やかで迫力満点。牧歌的な部分から迫力ある部分まで表現の幅が広く、リズムも引き締まっています。演奏はオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し、それにオーケストラも応えている。それはカラヤンと演奏を作り上げていくのが楽団員みんなが楽しくて仕方がなさそうだ。音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルでカラヤンの個性が濃厚で面白い。そこがまたカラヤン節とも言える。チャイコフスキーは指揮者によって印象が変わるが、もっと《冬の夢想》を何度も演奏して欲しかった。オーケストラとの関係悪化が惜しまれる。それが世界最高峰のベルリン・フィル、ウィーン・フィルであるだけに、帝王に潰しは聴かなかったのだ。そして、演奏会でも取り上げたことのなかった公式なセッション録音として唯一の録音です。1979年のステレオ録音。奏者の誰もが全身全霊で弓を動かし、管を吹き、打楽器を打ち鳴らしていた。音のひとつひとつが生命力をもつと同時に、ほかのすべての音と一体になっていた。自己陶酔している表情を見せる指揮姿の表紙。どんなにロマンティックかとレコード針が盤面をトレースすると、いきなり金管が超弩級のファンファーレで迫る。期待したチャイコフスキーのロマンティックは消し飛んでしまう。カラヤンはチャイコフスキーの3大バレエ組曲だけでなく、数多くの舞台音楽も録音しているが、どれもシンフォニックで合奏が完璧な生きたサウンドをオーケストラに求めている。カラヤンが何度も演奏会で取り上げ、世界一のオーケストラで繰り返し録音しているチャイコフスキーの後期交響曲です。1977年のステレオ録音。この後もカラヤンの再録音は止まらず、ウィーン・フィルと2種類の映像と録音を残していますが、交響曲第4番に関しては、この演奏を超えることができなかったように思います。近代オーケストラの魅力を満喫できる第1楽章冒頭は鳥肌モノ。金管が強く出ている。それをコントラバスの低音域が、しっかりと支えており、カラヤンらしく、音楽がよどみなく、流れるように紡がれている。とにかくダイナミックスの幅が広く鮮やかで迫力満点。ベルリン・フィルの総合力の良さが分かる。機能性あるベルリン・フィルから、美しさと華やかさを引き出した仕上がりとなっている。ベルリン・フィルのチャイコフスキー演奏は、オーケストラの創成期にさかのぼります。作曲家チャイコフスキーは最初のふたりの首席指揮者、ハンス・フォン・ビューローとアルトゥール・ニキシュを知っており、その演奏を評価していました。続くヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤンも、優れた演奏を残しています。カラヤンとチャイコフスキーは相性が合う。カラヤンは、1929年1月に20歳でプロの指揮者としてデビューした時に、交響曲第5番を指揮しています。初めての《悲愴》は、その4年後に、ウルムで振りました。その演奏会の後、彼は両親に「終演後、聴衆は10秒間打ちのめされたようにただ座っていました。そして直後にサッカー場のようなブラボーが起こったのです」と興奮した様子がわかる。ベルリン・フィルとの最初のチャイコフスキーは、1939年の《悲愴》の録音で、これは彼がベルリン・フィルにデビューした1年後のことでした。数ヶ月違いで録音したフルトヴェングラーがレコーディングに一ヶ月もかかる手こずっていたことに対して、カラヤンはただ一回の演奏でレコードを仕上げてしまった。それが悔しかったようだ。フルトヴェングラーは『音楽と言葉』の第6章『音楽と生命力』で、『レコード向きの演奏がコンサートホールに持ち込まれるようになった結果、音楽にヴィタミンが欠如するようになってしまった』と持論を展開している。しかし、今読むと陳腐で、カラヤンにレコーディングの才能を見てしまった、ドイツ楽壇に君臨する自分が持ち得ない技術を30歳も若い新人が持っていることへの、やっかみだなと気付かされて読んでいると人間味を感じてフルトヴェングラーが可愛く思えてしまう。残念だけど、このフルトヴェングラー著作集『音楽と言葉』を今探してみたが見つからなかった。熊本地震の折に他の資料と一緒に失ってしまったようだ。閑話休題。彼カラヤンは当時すでに、交響曲第4番もレパートリーに加えていました。(途中ですが、以降は別の機会にまとめます。)音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルでカラヤンの個性が濃厚で面白い。カラヤンのチャイコフスキー(に限らないかも知れないが)には一定の「節度」を感じる。メランコリーはあるが、それにのめり込まずメロディの美しさが強調される。劇的な表現でも「激烈」にはならず、オーケストラのバランスは崩れない。全体が調和とともに最大のボルテージに達する。チャイコフスキーは聴かせどころ満載で、両者の交互の相克はスリリングである。そのリアリストがチャイコフスキーと
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