カラヤンが自伝の中で「血の中を流れている」と語る楽曲たち ― ザルツブルク生まれでウィンナ・ワルツにも精通していたカラヤンならではのスケール感やリズムの切れ味、洒落た表情などに満ちたひとときが味わえる演奏です。 ― オーストリア生まれのヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮するウィンナ・ワルツの素晴らしさは、1987年の「ニューイヤー・コンサート」で改めて世界的に実証されました。カラヤンは何度もウィンナ・ワルツを録音していますが、彼が手兵ベルリン・フィルと1980年12月にドイツ・グラモフォンにデジタル録音した3枚のアルバムがある。オーケストラはウィーン・フィルではなくベルリン・フィルですが、もう、理屈ではありません。ワルツをこれほど「うっとり」聴かせる指揮者はカラヤンの前にも後にもいないし、出ないと思わせるほど見事な演奏です。カラヤンのワルツは踊るための音楽ではなく、聴く者を陶酔に誘う魔法です。いつまでもカラヤンの魔法に浸っていたいと思わせる、ステキに輝き、そして聴く者を心底とろけさせる至高の演奏です。アナログ完成期からデジタル初期 ― 1970年から1980年にかけて行われたEMIへのセッション録音にも1975年にベルリン・フィルハーモニーザールで『こうもり』序曲、『アンネン・ポルカ』、『美しく青きドナウ』、『ジプシー男爵』序曲、『トリッチ・トラッチ・ポルカ』、『皇帝円舞曲』を録音。若い頃からヨハン・シュトラウスをよく指揮していたカラヤンは、SPレコードもあり、モノラル時代での録音も数多く遺していますが最も流麗でゴージャスなのが、この録音です。1960年はカラヤンがウィーン国立歌劇場の監督をしていた、名実ともにヨーロッパの楽壇の帝王であった全盛時代の名演である。魅力の違いは、1970年代からはカラヤンのイメージを裏切らない流麗なものになった。1960年代の録音はシンフォニックな序曲かと思うようなデフォルメぶりが個性的。これも紛うことなくカラヤン・スタイルだが、当時の帝王カラヤンの有無を言わせぬ圧倒的な権威を象徴するものと言えるだろう。カラヤンの圧倒的な統率力、オペラ座付きのウィーン・フィルと違って、コンサート・オーケストラの機能美を最大引き出してダイナミクスな音楽を展開しているので高貴にして優美な演奏に鑑みれば、本盤の演奏を同曲随一の名演と評価することに躊躇しない。録音から半世紀近く経ているが、カラヤンは、聴き手が望んでいることを完全に読み取ることができたのだろう。そして、それを自分が意のままにできるベルリン・フィルという最高の楽器によって実現出来たのである。自分の思い通りにオーケストラをドライブするという技術において、カラヤンの右に出る者はいないと本盤を聴くたびに思います。
関連記事とスポンサーリンク
第二次世界大戦は日本軍の無条件降伏、ポツダム宣言で集結したが終わっていない戦いもあった。戦後、フルトヴェングラーの勢力下、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルで演奏することさえ制限されたカラヤン。そこへ救いの手を差し出したのが英国 EMI の名プロデューサー、ウォルター・レッグだった。ヘルベルト・フォン・カラヤンのレコーディング専用オーケストラ、フィルハーモニアでたくさんのレコードを発売。劇場での指揮は出来ずとも、レコードでカラヤンの名前は全世界に知られるようになる。ただカラヤンの悪い虫が騒いだというのか、オーディオへの関心を深めることになった。そして彼はステレオ録音を希望したが、折り悪く英国 EMI の経営陣はステレオ録音に懐疑的だった。不満を払拭できないままカラヤンは EMI との契約更新を曖昧に引き伸ばしていた。そうこうしていると、1954年にドイツ音楽界に君臨していたフルトヴェングラーが急死。カラヤンはウィーン・フィルに復帰できた。以来、名門ウィーン・フィルとも生涯深い関係を築く事になるのだが、しかし、ウィーン・フィルは英国 DECCA と専属関係にあったので、カラヤン指揮ではレコードを作れない。そこに接近してきた英国 DECCA 社では、1959年に EMI と契約の切れたカラヤンと契約。そのことでカラヤンは、この愛すべきオーケストラとの録音をドイツ・グラモフォンではなく、イギリス・デッカと行いました。また、フルトヴェングラーの急逝にともない、翌55年にカラヤンは、ついにヨーロッパ楽壇の頂点ともいえるベルリン・フィルの首席指揮者の地位に登りつめた。英EMIの偉大なレコード・プロデューサー、ウォルター・レッグは未来の演奏会やアーティストを評価するときに基準となるようなレコードを作ること、彼の時代の最上の演奏を数多く後世に残すことであったという。ここで英EMIの親分レッグとカラヤンの関係は終止符を打つが、この約10年間に残したレッグ&カラヤン&フィルハーモニア管弦楽団のレコードの数々で、この基準となるようなレコード作りをレッグから嫌と言うほど学んだカラヤンは、1959年以降この手兵ベルリン・フィルとともにドイツ・グラモフォンに膨大な数の基準レコード作りに邁進した。広く親しまれた名曲を最高の演奏でレコード化することに情熱を傾け続けた彼の姿勢は、このアルバムにも端的に示されています。何れも全体に覇気が漲っていて、弦も管も美しく技巧的にも完成度は高い名盤を量産。後の EMI や DGG のベルリン・フィル盤にはない魅力タップリのまったく聴いていてダレるような箇所がない。カラヤンの指揮する曲は概して大胆さや迫力にプラスして、丁寧でかつ美しいということです。とりわけ、ゆっくりのテンポの美しい旋律は、カラヤンの最も得意とする部分だと思います。例えば、怒濤のような旋律の中で、ぱっと花が咲くように美しいメロディーが流れる。この点にかけては、カラヤンは見逃さず見事に再現している。彼一流の粘り、盛り上げはすでに十分。
- Side-A
- ヨハン・シュトラウスII世:喜歌劇《こうもり》序曲 Ouvertüre Zu »Die Fledermaus«
- ヨハン・シュトラウスII世:トリッチ・トラッチ・ポルカ作品214 Tritsch-Tratsch-Polka Op. 214
- ヨゼフ・シュトラウス:ワルツ《うわごと》 Delirien-Walzer Op. 212
- ヨハン・シュトラウスII世:喜歌劇《ジプシー男爵》序曲 Ouvertüre Zu »Der Zigeunerbaron«
- ヨハン・シュトラウスII世:常動曲作品237 Perpetuum Mobile Op. 257
- Side-B
- ヨハン・シュトラウスII世:ワルツ《美しく青きドナウ》作品314 An Der Schönen Blauen Donau, Walzer Op. 314
- ヨハン・シュトラウスII世:皇帝円舞曲作品437 Kaiser-Walzer Op. 437
- ヨハン・シュトラウスII世:アンネン・ポルカ作品117 Annen-Polka Op. 117
- ヨハン・シュトラウスI世:ラデツキー行進曲作品229 Radeyzky-Marsch Op. 229
カラヤンのシュトラウスといえばDGGでは1969年盤や1980年デジタル盤、1987年のニューイヤー・コンサートが有名ですが、60年代のカラヤンのものがダントツに面白い、この1966年盤も実は隠れた名演です。喜歌劇「こうもり」序曲は全曲盤を含めて9回録音をしている。スタジオ・セッション録音で公式リリースされたレコードで、これほど同曲を繰り返してレコーディングしているのはカラヤンより他にはいない。ヨハン・シュトラウスは喜歌劇「こうもり」で一躍時代の寵児になりますが、歌劇を作曲してこそ宮廷音楽家に認められなかった。ウィンナ・ワルツは幾つものメロディーをつなげたポプリ形式のおおらかな作りですが、「皇帝円舞曲」の場合、もう少し細かいユニットに別れていて、「威厳をたたえた部分」と「おしゃれでチャーミングなメロディユニット」の対比が第1主題、第2主題として聴くことで交響曲の一つの楽章に思えてきます。ヨハン・シュトラウス2世はブラームスとの親交が深く、ブラームスの得意とする音楽ジャンルは犯すまいと心に決めていました。晩年、歌劇「騎士パズマン」を作曲しウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)で初演。名実ともに音楽史に残る作曲家と認められます。《皇帝円舞曲》はシュトラウスの晩年のワルツの中では最も人気のある楽曲と認められており、彼の「10大ワルツ」の一つに数えられている。シュトラウスの大親友だったヨハネス・ブラームスは、シュトラウスは年老いてから創造力が減退したと思っていた。二重和声が付けられたシリーズや、普段から簡単な曲ばかりを作曲しているにも関わらず、わざわざ「誰でも弾けるピアノ曲集」などと銘打ったシュトラウスの晩年の作品群をブラームスは嫌っていた。しかしこのワルツ《皇帝円舞曲》については非常に好意的にとらえ、「これは管弦楽法がすばらしいので、見事に鳴るんだ。しかし結局、魅力の秘密なんか考えてもしょうがないな。」などと語り、このワルツの楽譜がジムロック社から出版されることを喜んだという。楽団が総勢100人という大構成で演奏する曲でもあり、SPレコード時代から名指揮者の名演盤が数多い。フィルハーモニア管弦楽団時代から、ウィーン・フィルともカラヤンはヨハン・シュトラウス2世のワルツ集を録音しているが、アナログ録音だった1969年の時は2枚のアルバムとしての発売でした。ポルカ・シュネルですら優雅さを重視していてカラヤンが自伝の中で「血の中を流れている」と語っているのに違わず、楽曲たちには重視したことを徹底した完成した優雅さがあります。カラヤンの思い入れが強いほど感じられる。1960年代初頭の録音で、ベルリンのイエス・キリスト教会が録音ロケーションになっていました。当時は初期のステレオですが、なかなか臨場感がありカラヤンも颯爽とした壮年期で、 前任者フルトヴェングラーの時代の余韻の残るオーケストラと推進力あふれるカラヤンの指揮が見事にマッチした演奏です。とにかくダイナミックスの幅が広く鮮やかで迫力満点。牧歌的な部分から迫力ある部分まで表現の幅が広く、リズムも引き締まっています。演奏はオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルで完全主義者だったレッグのノウハウが 100% DGG に流出したと言っても良い出来栄えも隙が無い。DGGの製作人の中で燦然と輝く指揮者としても活躍のオットー・ゲルデス&ギュンター・ヘルマンス製作盤。
録音は1966年12月28、29日ベルリン、イエス・キリスト教会でのステレオ・セッション。Producer – Otto Gerdes, Recording Supervisor – Hans Weber, Engineer – Hans-Peter Schweigmann.
YIGZYCN
.
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。